祖母について・その2
祖母は何でも自分のことは自分でこなすような人でした。今思えば、相当ストイックな性格だったのかもしれません。
ご飯も自分の分は自分で作るし、布団を敷くのも自分でするし……一緒に暮らしていたのに、私たち家族3人とは何処か分離していたようなところがありました。
まぁ、いわゆる家庭内別居というやつですかね。
しかし、人間やはり年齢には勝てないもので……。
ある日、祖母が怪我をしました。私の家の台所と居間の境目が少し段になっているのですが、どうやらそこで躓いて転んでしまったようなのです。
その時に祖母はしたたか身体を打ち付けたらしく、歩くこともできないため、完全に寝たきりの状態になってしまいました。
後に祖母は市内の病院に入院することになるのですが、それまでの間に家族で介護のようなことをしました。私も当時まだ小学生だったのですが、トイレへ行けない祖母のためにおしめを替えてあげるなど、少しだけお手伝いをしました。
そしてしばらく経ったある日――多分、1月の半ばぐらいのことだったと思います――、家に帰ると祖母がいませんでした。母曰く、とうとう祖母は入院することになったのだそうです。
「すぐお見舞いに行くで」と言われましたが、その日は友達と遊ぶ約束をしていたので断ってしまいました。どんな理由があろうと、当時のアホな私には、約束を反故にするということができなかったのです。
結局私が初めてお見舞いに行ったのは、その数日後でした。
ベッドに身を横たえていた祖母は案外口調もしっかりしていたし、口も悪いし、いつもどおりでした。……表向きは。
しかし病院にいて少し経つと、いきなり祖母が「凛、ドアを閉めてくれ」と言ったのです。どう見てもドアはちゃんと閉まっていたのに。
それから天井を指さして、「虫がいっぱいおるから退治してくれ」というようなことも言いました。
当時は何を言っているんだろうと訝しく思ったものですが、今思えば祖母は幻覚を見ていたんですね。しかも相当はっきりとした。
――私が祖母と話したのは、多分それが最後だったと思います。
次に病院に行くと、祖母は身体に管をいっぱいつけた状態で眠っていました。
それでもすぐにどうにかなってしまう、というわけではなかったようだったので、私は病院内をしばらく探検したりして時間を過ごしました(それからも何度か病院へ行きましたが、ずっと同じことをしていました。ひょっとしたらこの時の私は、頭に蛆か何か湧いていたのかもしれませんね)。
病院にいる間に一度、祖母は危篤状態に陥りましたが、すぐに持ち直しました。
予断を許さない状況は、ずっと続いていました(私はその間に、祖母の病室がある棟を大体攻略しました。本当に何やってんだ自分)。
そして、3月の終わりごろ……ちょうど春休みが始まったぐらいの時に、事態が急変しました。