祖母について・その1
さて、ここからは『母』のモデルとなったもう一人――私の祖母についてお話したいと思います。
祖母は私の父親のお母さんにあたる人でして、実家で私たちと一緒に暮らしていました。
ちなみに祖母のお父さんが大工仕事をしていた人で、私の実家は彼が祖母のために建ててくれた家なのだそうです。つまり私の実家にあたる家というのは、完全に祖母の私物だったわけです。
それを知った時は、少し肩身の狭い思いをしたものですが……。
私の家は共働きで、父親も母親も夕方ごろまで家にいませんでした。なので私は学校へ行っている時や遊びに行っている時以外は、主に祖母といっしょに過ごすことが多かったです。
祖母はお菓子をくれたり一緒に遊んでくれたりと、たまには優しいところもありましたが、基本はきつい性格で頑固な人でした。私が遊びに行くというと文句を言ったり、私がおつかいで余計なもの(お菓子など)を買うとすごく怒ったり。
たびたび母親とも口論になっていましたね。一度私は祖母と喧嘩した母親に連れられて、母親の実家へと避難したことがあります。多分、祖母と母親はそりが合わなかったのだと思います。
父親と母親の結婚にも、もともと祖母は反対していたというのですから。
祖母は特に、私と一緒にいるとき『似たもの~』の『母』のように、家族(主に母親)に対する愚痴や文句を私に聞かせてきたり、私に対して嫌なことや悲しいことを言ってきたりしました。
私も祖母と似て気が強く、頑固で負けず嫌いな人間でしたから、たびたび祖母に反論し……それで喧嘩っぽい会話にまで発展したことも多々ありました。
それで私が祖母を嫌っていたのかというと……実は、そうではありませんでした。
幼い私は祖母にどれだけ心苦しい仕打ち(……といっていいのでしょうか)を受けても、何故か祖母になついていたのです。俗に言う『おばあちゃん子』ってやつですね。しかも妙に歪んだ……。
ところで、私の父親には弟が一人いました。
父親の弟――つまり叔父は、結婚して家を出て、現在は別の場所で暮らしています。
小さい頃は、その叔父家族がよく実家に来ていました。叔父には子供が二人いたのですが、二人とも私より十歳ほども年上だったので、そのたびに遊んでもらっていました。
祖母はたまに来る孫たちを、非常にかわいがっていたようです……多分、一緒に暮らしていた孫である私よりも、ずっと。
その事実も、私にとっては非常に心苦しいものでした。
私のことはよく怒るし、私の家族には文句を言うくせに……叔父の家族に対しては、どうしてそんなに優しいの?
もしかして本当は、私たちよりも叔父家族と暮らしたかったの?
私は……あなたにとって、必要ない存在なの?
生まれてこない方が、よかったのかな?
幼いながらも私は祖母に対して、そんな風に思っていました。
このことからわかるように、私と祖母はほのぼのとした普通のおばあちゃんと孫、という関係では決してありませんでした。
要するに、微妙だったんです。