叔母について・その4
翌日は叔母のお通夜で、私は朝早くから叔母の家にいました。
相変わらず叔母は同じ部屋の、同じ場所に、同じ表情で眠っていました。私は叔母の顔は見ても、一度たりとも触れはしませんでした。こうなった人間は体温がなく冷たいということは、祖母の件でよく知っていたからです(詳細は後述いたします)。
その日、お通夜の準備のため叔母の家はばたばたとしていたので、手持無沙汰だった私は邪魔にならないように外で一人、庭に植えられた花々を見ていました。
いとこ二人は気丈にも、準備のお手伝いをしたり、親戚の子供たち(いずれも五歳前後の幼い子でした)の遊び相手をしたりしていました。
叔父――つまり、叔母の夫にあたる人――は、周りに指示を出したり注文を入れたりしていました。傍目からは、喪主という責任を全うするためきびきび動いている立派な人に見えたでしょう。私も実際、途中まではそう思っていました。
だけど叔父の赤く充血した目と、痛々しく腫れた瞼を見て、私はすぐに気付きました。この人はきっと……昨日眠らずに、一人で泣いていたのだろうと。本当は、平静を装うことなどできないくらい参っているのだろうと。
私は、叔父のその姿が目に焼き付いて離れなくなりました。
その後、お経の後に立ち上がった従兄が(どうやら足がしびれて動けなくなったらしく)派手にずっこけ大爆笑を誘ったり、親戚の子供たちが場所もわきまえず騒いだり暴れたりして収拾がつかない状態になったりと、それどころではないようなハプニングが続々起こりましたが、どうにか無事にお通夜を終えることができました。
そして次の日が、本当に叔母とお別れする日――お葬式でした。
その日は休日で(十一月最初の休日というと、大体いつだか見当がつくと思いますが)、よく晴れた日だったと記憶しています。
当時中学生だった私ですが、もう既にお葬式というものは何度か経験していましたので、勝手はちゃんとわかっていました。
お経を聞き、ご焼香を済ませ、そして……五人ほどのお坊さんと叔母の家族がその場をぐるぐる回るという何ともシュールな光景をぼうっと見つめていました。
この期に及んでまだ、もうすぐお別れだという実感がなかったのです。
悲しすぎて実感がなかなか湧いてこないのか、それとも元々最初から私の感情がぶっ壊れているだけなのか……何故かは、今でもわかりません。
その後、叔母が眠る棺桶の中に親族が花を一輪ずつ入れ、棺桶に蓋をして金槌を打つという作業があるのですが、そこで既に母親や母方の祖父母などの親族は泣き崩れていました。
そして、霊柩車に棺桶が入れられ……そこで叔父が、涙ながらに挨拶をしました。一語一句は覚えていませんが、確か「こんなにたくさんの人に見送られて、妻は幸せ者です」というようなことを言っていたと思います。
そこで私も、少し泣きそうになりました。
それから霊柩車を追いかけるように用意されたバスに乗り、火葬場へと向かいました。
霊柩車とバスの列は途中で、叔母が生前働いていた場所の前を通りました。そこには従業員――おそらく、全員居たのでしょう――が並んで、手を振りながら叔母を見送ってくれました。
『幸せ者』――叔父の言った通りだと思いました。こんなにたくさんの人が、叔母の旅立ちに立ち会ってくれている……少し大げさな言い方ですが、叔母はたくさんの人に愛されていたんだな、という風に感じました。
バスの中でも、従妹が叔母の慰霊を落としてしまうというハプニングがありましたが(本当にハプニングばかり起こしますね、この親族は……)、しばらくして火葬場にたどり着きました。
綺麗な顔をした叔母が、棺桶ごと火葬場へと吸い込まれていきます。本当にもう、お別れです。
見送る親族たちは、ほとんどが泣いていました。この時ばかりは従妹も我慢できなかったのか、涙ぐみながらいなくなる叔母を見つめていました。
叔母が完全に姿を消してから、私たちは火葬場をあとにしました。
途中で従兄がふと足を止め、呆然と空を見上げていました。視線を追うように私も空を見上げると、火葬場の煙突らしき場所からもくもくと煙が上がっていました。それは人間を焼くときに出るという、独特の色をしていました。
きっと、叔母の煙なのでしょう。
それを言葉もなく見つめる従兄の後ろ姿が、何処となく寂しそうに見えました。
その日の夜、帰宅後。自分の部屋で私は、一日のことを思い返しました。
妹を失った姉、娘を失った両親、母親を失った子供、妻を失った夫……さまざまな立場からの悲しみというのを、私はすべて感じました。
どんな形であっても、皆は彼女を支えとしていたはずなのです。
その支えがいなくなった後の、大きな喪失感。そして抱えきれないほどの悲しみ。
一日で見てきたもの、感じたこと……それらを全て振り返って初めて、私は涙を流しました。
一度でてきた涙は、そう簡単に抑えられるものではありません。声を殺して、わたしはしばらく一人で泣き続けました。