祖母について・その5
火葬場からいったん戻り、昼食をいただいた後。
祖母が焼きあがった(こんな言い方だとまるでパンが焼けたとかそういうのみたいで嫌ですが)という連絡が入り、両親と私、叔父家族などの特別に近い親戚のみで連れ立って火葬場へ向かいました。遺骨を取りに行くためです。
当たり前のことですが、出てきた祖母は完全に骨だけになってしまっていました。それは分かっていたことなので特に印象は抱かなかったのですが……大きなピンセットで遺骨とするものを掴んだときに、私は思わず目を見開いてしまいました。
軽くつまんだだけなのに、それはあっけなくぼろりと崩れてしまったのです。
え? と思い、骨に目をやると、中身が見事なまでに空っぽでした。
父親に聞いてみると、「ばあちゃんは骨粗鬆症やったんや」と言いました(その時『骨粗鬆症』という言葉をみんなで言おうとして、揃って噛み倒した……というのはまた別の話です)。
私はそれを聞いて、あぁ……なるほど、と思いました。
祖母が骨折したのは、多分そのせいだったのだと思います。普通は転んだくらいでそう簡単に骨折などするはずがないのです。骨がもともと弱っていたから、少しの衝撃で容易に折れてしまったのでしょう。しかも相当酷く、多くの骨が粉々に崩れてしまったに違いありません。
崩さないようにそろそろと遺骨を拾いながら、私は思っていた以上に祖母が弱っていたことに、大きなショックを受けていました。
その日親戚が帰った後、夜中まで頂いた御香典を整理する作業をお手伝いしました。祖母のために総額で200万以上の御香典が集まったことが分かり、私は改めて思いました。
ほら、やっぱり。おばあちゃんのために悲しんでくれる人はいっぱいおったやんか。
全然孤独なんかじゃなかったやろ。
これで、ちょっとは報われた?
――お葬式の翌日、通っていた小学校で離任式があったため、私は出かけなければなりませんでした。
新聞に載っていたらしく、しかも私の名字は少し珍しいものだったので、祖母のことは既にみんなが知っていました。友人や先生など、会う人会う人に「おばあさん亡くなったんやって?」と声を掛けられ、心配されました。
私は昔から大嫌いなことがあります。それは、同情されることです。
弱っている姿を見せて、同情を誘い、憐れまれることが何よりも大嫌いでした。悲劇のヒロインを演じるような卑怯な人間にはなりたくなかったし、私自身もそんな人間を一番軽蔑していました。
だから教室へ入るとき、不自然なほどテンション高く「おっはよー!!」と言いながら席に着きました。みんなに「大丈夫なんけ?」と言われても、「んー? ぜんっぜん平気だよ~」と呑気に答えました。近所に住んでいた少し意地悪な男子に「お前昨日泣いてたやろ~」とからかわれたときは、さすがに少し恥ずかしくなりましたが。
そんな私の様子を察したのか、みんなはそれ以上何も言いませんでした。




