祖母について・その4
3月もそろそろ終わり、もうすぐ新しい年度が始まる……という、そんな早春のある晴れた日。
祖母の葬儀が行われました。
我が家の表には観音開き(?)っぽくなっている大きな窓があるのですが、普段は閉めているその部分を開放し、焼香などを置いた簡易な仏壇を作りました。一般の人にも参っていただくためです。
祖母と仲良くしてくれた近所の方や、祖母をよく知る私の友人、それから私が通う学校の担任の先生までもがわざわざ来てくれました。実にたくさんの方に参っていただけてとても嬉しかったです。
午前中には近くのお寺からお坊さんを数人お招きし、お経を上げて頂きました。
お葬式にはそれまでも何度か伺ったことがあったのですが、実際にきちんと葬儀の様子を目の当たりにしたのはこれが初めてで、とても興味深かったです。
お経が終わると――おそらく、我が家が属する宗派独特の――何かものすごい儀式が始まりました。
まずは一人、豪奢な衣装のお坊さんが中心となって、その肩を囲むようにあとの6人ぐらいが並び、お経の大合唱。それから立ち上がったかと思うと、大仰に土下座をするように座り込み、また立ち上がり……というのが幾度か繰り返されました。
そうこうしているうちに、私が一番唖然とした、全く訳の分からない儀式が始まりました。
まずたくさんいるお坊さんがそれぞれシンバルや、チーンと鳴らすアレや、某戦国トリップアニメのキャラが持っているようなシャラシャラ音の鳴る棒などを持ちます。次に両親や親戚など数人が、祖母の慰霊や戒名が書かれた木の長いやつなどを持ちます。そして……お経を読みながら、みんなでその場をぐるぐる回ります。
そんなシュールな光景を目の当たりにした私は思わず、なんじゃこりゃ、と心の中で叫びました。しんみりした気持ちが一瞬で吹き飛び、しばしポカンとしながらその様子を見つめていました。
この後も幾度かお葬式に伺ったことがありましたが、どうしてこんな奇妙なことをしているのか……今でもさっぱりわかりません。
それから立ち上がり、持ってこられた祖母の棺をみんなで囲みました。一人一人に花が配られ、それを祖母の棺に納めます。この時点でたくさんの方のすすり泣きが聞こえてきました。
みんなが花を入れ終えた後、蓋がなされ、釘をあてがい……金色の金槌で、一人ずつコンコン、とたたく真似をします。私も重たい金槌を持ち、何度かコンコン、とやりました。
みんなに回ったら、最終的に父親が釘を完全に打ち付けてしまいます。つまり、この時点でもう祖母はどう頑張っても出ることができなくなるわけです。
そしてとうとう、祖母は霊柩車へと運ばれていきました。
葬儀屋の皆さんというのは、雰囲気を作るのが非常にお上手ですね。
悲しい音楽が流れていく中で、葬儀屋の方がナレーションをされました。どのようなことをおっしゃられたか、今はもう覚えていないのですが……此処でついに、私の涙腺は決壊しました。
そのあとはどれほど止めようとしても、溢れる涙を止めることができず……霊柩車を追うバスに乗り込む際も、私はずっと泣いていました。その時隣にいた従姉が慰めるように肩を抱いてくれたことを覚えています。
バスに揺られ、ようやく落ち着いた私は窓の外を見ながらぼんやりと昔を思い出していました。
祖母がまだ元気だったころ、一度祖母が私に言ったことがあったのです。
「もしばあちゃんが死んでもな、だーれも悲しんでくれへんに決まっとるんや」
私はこの言葉に、どう答えたかよく覚えていません。オーソドックスに「そんなことないよ」と言ったか……もしかしたら何も答えられず、黙りこくっていたかもしれません。
けれど実際に祖母が亡くなった日、そして、お葬式の日。
両親や親戚の方は泣いていました。近所の方も、祖母の死を惜しんでくれました。たくさんの方が祖母の見送りに来てくれました。祖母のために、祈ってくれました。
私は祖母に、語りかけました。
おばあちゃん、見とるか。
こんなにいっぱい、おばあちゃんのために悲しんでくれとる人がおるんやで。
おばあちゃんはな、一人ぼっちなんかじゃなかったんやで。
私だって、悲しいんやで。




