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実験場

二本のリコーダー

掲載日:2026/06/11




「……あれ?」



 特別棟での音楽の授業を終え、教室に戻った美月は、自分のロッカーを開けて固まった。


 たった今、授業で使ったリコーダーがあるのに、ロッカーの中にもリコーダーがある。

 一瞬、意味が分からなかった。



「えっ!? ……なんで?」



 手に持っている一本。

 ロッカーの中に入っている、もう一本。


 どちらも同じ。


 当然だ。

 学校指定のリコーダーなのだから、中身もケースも一緒。



「どうした?」



 一足遅れて教室に戻ってきた春斗が声をかけた。

 美月はロッカーの中のリコーダーを取り出し、二本並べた。



「増えてる」

「はぁ?」



 春斗は目を丸くする。



「一本しか持ってないはずなのに」

「いや、普通は一本しか持ってないだろ」



 春斗が開いたままのロッカーの中を覗き込む。



「どっちが自分の?」

「もちろん、こっちだよ」



 美月は即答し、元々持っていたリコーダーを上げた。



「……あれ?」



 だが、気づく。

 ケースの名札入れに、何も入っていない。



「名前、入ってない?」



 春斗が覗き込む。



「入れてたはずなんだけど……」



 美月はもう一度、ケースをひっくり返す。

 どこにも名前はない。



「おかしいな……」

「もう片方は?」



 春斗がもう一本のリコーダーを指さす。

 美月は裏にある名札入れを確認する。



「……こっちが私のだ」



 愕然とした。


 言うまでもなく、リコーダーは口を付ける道具である。

 つまり、誰とも知らぬ相手のものを使ったことになる。


 それも音楽の授業中、何度も。



「そっちの方、ちょっと貸して」



 春斗が手を伸ばす。



「あっ、うん」



 美月は少し迷ってから、誰のか分からないリコーダーを差し出した。


 指先が軽く触れる。

 ほんの一瞬のことなのに、なぜか意識してしまう。


 二人は家が隣同士の幼馴染だ。

 小学校の頃は、手なんて平気で握れたのにと思う。



「どれどれ……。」



 春斗は受け取ると、ケースをいろいろな角度から観察する。


 表面を軽くなぞり、側面を確認し、わずかに目を細めた。

 それに満足すると、ケースを開き、中からリコーダーを取り出した。


 指先で本体をくるりと回し、特に傷を確かめるように見る。



「……少し濡れてる」



 小さく呟いた。

 事実確認のような、感情の乗らない声。



「当たり前でしょ! さっきまで使ってたんだから!」



 美月は思わず反応する。


 声が少し大きくなった。

 顔が熱くなるのを感じながら、リコーダーを取り戻そうと手を伸ばした。



「もうっ、ジロジロ見ないで!」



 だが春斗は、リコーダーを頭上に掲げる。



「ちょっ!?」



 届かない。

 今年、中学三年の春斗は背がぐんぐん伸びた。


 中学入学時点では、美月の方が背は高かった。

 でも、今は春斗の方が頭一つ分は上になっていた。


 美月がつま先立ちして、手を伸ばすが、春斗は少しだけ体を引いて、さらりとかわす。



「ほら」



 軽く意地の悪い声。

 美月は反射的に跳ねようとした。


 だが、跳ねてしまえば、ぶつかってしまう。

 リコーダーを取ろうと手を伸ばし、体を張った自分自身と。


 その想像に気づいた瞬間、美月は伸ばしかけた手を、そのまま止めた。



「だけど、これで分かったぞ」



 春斗は頭上に掲げていたリコーダーを、わざわざ左手へ持ち替えた。


 空いた右手をゆっくりと顎へ当てる。

 人差し指と親指で軽く挟むようにして、考え込む仕草。



「えっ!? 本当?」



 幼馴染だからこそ、美月は分かる。

 ここぞという時の、その『格好つけた仕草』には、説得力があった。


 ふざけているように見えて、その実、何かを掴んでいるときの癖。

 昔から変わらない、それを見るときだけは、少しだけ信頼してしまう。


 美月は小さく息を飲んだ。



「美月……。お前の名字は、青山」

「だから?」

「女子の一番だ」

「だね?」



 ところが、その口から出てきたのは、当たり前の事実だった。

 春斗は一拍置き、わざともったいぶるように間を作り、口を開く。



「そして……。俺の名字は、若松」

「幼稚園の頃から知ってるよ? 家が隣同士だもん」



 美月は呆れを込めた溜息をついた。

 だが、春斗は構わず言葉を続けた。



「男子の二十二番、後ろから二番目」

「……何なの?」



 美月は眉をひそめる。

 春斗は右の人差し指で、目の前のロッカーをゆっくりと指し示した。



「ロッカーを見ろ。縦三段だ」

「うん?」

「俺とお前のロッカーは並んでいる」



 しかし、それもまた当たり前の事実だった。

 言われるまでもない。



「今更、なに?」



 美月は眉をひそめたまま、短く言い放つ。



「ふっ……。」



 春斗は鼻で笑った。


 ロッカーを指していた人差し指を引っ込め、代わりに親指を立てる。

 そのまま、自分自身を勢いよく指し示した。



「つまり、犯人は俺!」

「……へっ!?」



 美月の目が丸くなる。

 春斗はあっさりと続けた。



「このリコーダー、俺のだ!」


「朝、放り込んだとき、きっと間違えたんだな!」


「いやー、忘れたと思って、先生に怒られたの無駄になったよ!」



 軽く肩をすくめながら、どこか満足げにうなずく。


 まるで自分の推理に、自分で納得しているかのように。

 悪事を自白したというより、ただの事実確認のような軽さだった。



「なっ、なっ、なっ!?」



 美月は言葉にならない声を漏らしながら、春斗とリコーダーを交互に見た。

 すると春斗はニヤリと笑い、そのままリコーダーに口を付ける。



「なっーーーっ!?」



 ピーーーッと澄んだ音色が鳴るのと、美月の叫びが重なった。



「間接キスくらい、別に良いじゃん?」



 春斗はさらりと言った。



「だって、小学四年まで一緒に風呂入っていたんだしさ!」



 その一言に、教室の空気が一瞬止まる。



「い、良い訳あるかーーっ!」



 美月の声が一気に跳ね上がった。



「……というか、みんなの前でバラすなーーーっ!」



 周囲から、くすくすと笑いが漏れる。



「またやってる」

「はいはい、夫婦夫婦」

「さっさと認めればいいのに……。」



 そんなひそひそ声が、あちこちから聞こえてくる。

 美月は一瞬固まり、さらに顔を赤くした。



「あばよ! 美月ぃ~~っ!」



 すでに犯人は、笑いながら逃走を始めていた。



「こ、このっ……。ば、バカ春斗っ!」



 美月はすぐさま追いかける。

 そのまま教室に残っているのは恥ずかしすぎた。


 すると、廊下の先にある曲がり角で、犯人がこちらを待っていた。

 その余裕と、どこか含みを残した優しさが小憎らしかった。




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