二本のリコーダー
「……あれ?」
特別棟での音楽の授業を終え、教室に戻った美月は、自分のロッカーを開けて固まった。
たった今、授業で使ったリコーダーがあるのに、ロッカーの中にもリコーダーがある。
一瞬、意味が分からなかった。
「えっ!? ……なんで?」
手に持っている一本。
ロッカーの中に入っている、もう一本。
どちらも同じ。
当然だ。
学校指定のリコーダーなのだから、中身もケースも一緒。
「どうした?」
一足遅れて教室に戻ってきた春斗が声をかけた。
美月はロッカーの中のリコーダーを取り出し、二本並べた。
「増えてる」
「はぁ?」
春斗は目を丸くする。
「一本しか持ってないはずなのに」
「いや、普通は一本しか持ってないだろ」
春斗が開いたままのロッカーの中を覗き込む。
「どっちが自分の?」
「もちろん、こっちだよ」
美月は即答し、元々持っていたリコーダーを上げた。
「……あれ?」
だが、気づく。
ケースの名札入れに、何も入っていない。
「名前、入ってない?」
春斗が覗き込む。
「入れてたはずなんだけど……」
美月はもう一度、ケースをひっくり返す。
どこにも名前はない。
「おかしいな……」
「もう片方は?」
春斗がもう一本のリコーダーを指さす。
美月は裏にある名札入れを確認する。
「……こっちが私のだ」
愕然とした。
言うまでもなく、リコーダーは口を付ける道具である。
つまり、誰とも知らぬ相手のものを使ったことになる。
それも音楽の授業中、何度も。
「そっちの方、ちょっと貸して」
春斗が手を伸ばす。
「あっ、うん」
美月は少し迷ってから、誰のか分からないリコーダーを差し出した。
指先が軽く触れる。
ほんの一瞬のことなのに、なぜか意識してしまう。
二人は家が隣同士の幼馴染だ。
小学校の頃は、手なんて平気で握れたのにと思う。
「どれどれ……。」
春斗は受け取ると、ケースをいろいろな角度から観察する。
表面を軽くなぞり、側面を確認し、わずかに目を細めた。
それに満足すると、ケースを開き、中からリコーダーを取り出した。
指先で本体をくるりと回し、特に傷を確かめるように見る。
「……少し濡れてる」
小さく呟いた。
事実確認のような、感情の乗らない声。
「当たり前でしょ! さっきまで使ってたんだから!」
美月は思わず反応する。
声が少し大きくなった。
顔が熱くなるのを感じながら、リコーダーを取り戻そうと手を伸ばした。
「もうっ、ジロジロ見ないで!」
だが春斗は、リコーダーを頭上に掲げる。
「ちょっ!?」
届かない。
今年、中学三年の春斗は背がぐんぐん伸びた。
中学入学時点では、美月の方が背は高かった。
でも、今は春斗の方が頭一つ分は上になっていた。
美月がつま先立ちして、手を伸ばすが、春斗は少しだけ体を引いて、さらりとかわす。
「ほら」
軽く意地の悪い声。
美月は反射的に跳ねようとした。
だが、跳ねてしまえば、ぶつかってしまう。
リコーダーを取ろうと手を伸ばし、体を張った自分自身と。
その想像に気づいた瞬間、美月は伸ばしかけた手を、そのまま止めた。
「だけど、これで分かったぞ」
春斗は頭上に掲げていたリコーダーを、わざわざ左手へ持ち替えた。
空いた右手をゆっくりと顎へ当てる。
人差し指と親指で軽く挟むようにして、考え込む仕草。
「えっ!? 本当?」
幼馴染だからこそ、美月は分かる。
ここぞという時の、その『格好つけた仕草』には、説得力があった。
ふざけているように見えて、その実、何かを掴んでいるときの癖。
昔から変わらない、それを見るときだけは、少しだけ信頼してしまう。
美月は小さく息を飲んだ。
「美月……。お前の名字は、青山」
「だから?」
「女子の一番だ」
「だね?」
ところが、その口から出てきたのは、当たり前の事実だった。
春斗は一拍置き、わざともったいぶるように間を作り、口を開く。
「そして……。俺の名字は、若松」
「幼稚園の頃から知ってるよ? 家が隣同士だもん」
美月は呆れを込めた溜息をついた。
だが、春斗は構わず言葉を続けた。
「男子の二十二番、後ろから二番目」
「……何なの?」
美月は眉をひそめる。
春斗は右の人差し指で、目の前のロッカーをゆっくりと指し示した。
「ロッカーを見ろ。縦三段だ」
「うん?」
「俺とお前のロッカーは並んでいる」
しかし、それもまた当たり前の事実だった。
言われるまでもない。
「今更、なに?」
美月は眉をひそめたまま、短く言い放つ。
「ふっ……。」
春斗は鼻で笑った。
ロッカーを指していた人差し指を引っ込め、代わりに親指を立てる。
そのまま、自分自身を勢いよく指し示した。
「つまり、犯人は俺!」
「……へっ!?」
美月の目が丸くなる。
春斗はあっさりと続けた。
「このリコーダー、俺のだ!」
「朝、放り込んだとき、きっと間違えたんだな!」
「いやー、忘れたと思って、先生に怒られたの無駄になったよ!」
軽く肩をすくめながら、どこか満足げにうなずく。
まるで自分の推理に、自分で納得しているかのように。
悪事を自白したというより、ただの事実確認のような軽さだった。
「なっ、なっ、なっ!?」
美月は言葉にならない声を漏らしながら、春斗とリコーダーを交互に見た。
すると春斗はニヤリと笑い、そのままリコーダーに口を付ける。
「なっーーーっ!?」
ピーーーッと澄んだ音色が鳴るのと、美月の叫びが重なった。
「間接キスくらい、別に良いじゃん?」
春斗はさらりと言った。
「だって、小学四年まで一緒に風呂入っていたんだしさ!」
その一言に、教室の空気が一瞬止まる。
「い、良い訳あるかーーっ!」
美月の声が一気に跳ね上がった。
「……というか、みんなの前でバラすなーーーっ!」
周囲から、くすくすと笑いが漏れる。
「またやってる」
「はいはい、夫婦夫婦」
「さっさと認めればいいのに……。」
そんなひそひそ声が、あちこちから聞こえてくる。
美月は一瞬固まり、さらに顔を赤くした。
「あばよ! 美月ぃ~~っ!」
すでに犯人は、笑いながら逃走を始めていた。
「こ、このっ……。ば、バカ春斗っ!」
美月はすぐさま追いかける。
そのまま教室に残っているのは恥ずかしすぎた。
すると、廊下の先にある曲がり角で、犯人がこちらを待っていた。
その余裕と、どこか含みを残した優しさが小憎らしかった。




