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第7話 反省

 ファミレス「デニーレイド」の自動ドアが左右に滑り、涼しい冷気とともに、ハンバーグが焼ける香ばしい匂いや家族連れの賑やかな笑い声が、洪水のように三人を包み込みました。

 けれど、ユイとみなみんにとっては、その色鮮やかな店内のすべてが、ひどく薄っぺらで、指で突けば簡単に破れてしまう書き割りのように感じられました。

 自分たちだけが、モノクロの、泥の匂いがする異界に片足を突っ込んだまま、この明るい場所に迷い込んでしまったような錯覚。


 三人はドリンクバーに近い、四人掛けのボックス席に身を沈めました。

「……ねえ、本当にどうしちゃったの? 二人とも暗すぎ。バスケ部コーチの黒木さんの話とか聞きたくない? 今朝、バスケ部の前を通ったらさ、髪切っててマジでかっこよかったんだよ」

 ルリルリは、まるで自分たちを囲む重苦しく、粘り気のある空気を無理やり切り裂くように、努めていつもの明るいトーンでお喋りを並べ立てました。

 親友たちの変貌を、言葉の壁を作って食い止めようとしているかのようです。


 けれど、みなみんは震える手でお冷やのコップを握りしめたまま、小さく、絶望的に首を振りました。

 その瞳は、一点を見つめたまま焦点が合わず、さっき更衣室で見た「何か」を今も網膜に焼き付けているようでした。

「……ごめん。ルリルリ、今はそんな話、してる場合じゃないの。ちゃんと、ちゃんと話そう? 私たちに何が起きてるのか」

 みなみんの声は、湿った砂を噛んでいるかのように掠れていました。


 彼女は、さっき更衣室のシャワーで自分の身に起きたことを、途切れ途切れに話し始めました。

 温かかったはずのお湯が、急に生暖かい、鉄の匂いのする粘り気を帯びたこと。

 鼻を突く、魚の死骸のような、胸が悪くなる腐臭。

「……もしかしたら、あれ。魚じゃない。人の、人が腐った匂いなのかもしれない……」

 みなみんのその呟きに、ユイの背筋が粟立ちました。

 鏡越しに見た、あの肉の剥がれ落ちた真っ白な指。

 排水口を埋め尽くした大量の黒髪。


 それを聞くルリルリの顔からも、徐々に血の気が引いていきました。

 手に持っていたメニュー表が、指の力で歪みます。

「それって……ユイが家で見たり聞いたりしたのと同じことが、みなみんにも起きてるってこと? ……嘘でしょ? 」

 ユイはただ、言葉を失って黙って頷きました。

 テーブルの中央に置かれた三つのコップ。

 透明な水面が、店内の明るいシーリングライトを反射してキラキラと輝いています。

 けれど、その純粋な美しさが今はたまらなく不気味でした。

 世界中の「水」という水がすべて地下で繋がっていて、あのキャンプ場の泥濘からここまで、彼女たちの喉を、命を求めて追いかけてきている――。

 そんな被害妄想が、確信へと変わっていくのを感じました。


「……やっぱり、夏休み中に、もう一度あそこへ『ごめんなさい』しに行こうよ。ちゃんと調べよう? あそこが本当はどんな場所だったのか」

 ルリルリの言葉には、まだどこか「理由がわかれば解決できる」という、都会で育った現代っ子らしい合理的な期待が残っていました。


 三人は示し合わせたようにスマートフォンを取り出し、震える指先で検索バーを叩きました。

「比良賀 キャンプ場 史跡」「比良賀 祠 呪い」……。

 いくつか調べていくうちに、あのキャンプ場の近くにあった、祠の写真が出てきました。

 でも、どうやってもあの祠の写真は出てきません。

 驚くほど詳細な情報が少ないのです。

 まるで、誰かが意図的に隠しているかのように。


「……あ、これじゃない?」

 ルリルリが画面の一点を指差しました。

「この地域一帯に二十ヶ所以上点在する塚。あまりにも小さく、数が多いため、詳細な位置はネットに載せきれない……。――これだ。『鳳党おおとりとうの処刑跡地』」

 その禍々しい名前をキーワードに、三人は一斉に再検索をかけました。

 画面に映し出されたのは、公的な歴史の教科書には決して残ることのない、血と怨念に塗れた郷土史の断片でした。


「……これ、見て」

 ユイの声が、冷気を含んで低く響きました。

「あそこ、ただの古い建物じゃなかった。鳳党っていうのは、幕末、最初は本当に国を良くしようとする高潔な志士たちの集まりだったんだって。リーダーはすごく立派な人だったみたい」


 幕末、熱い志を抱いて比良賀の地に集まった若者たち。

 けれど、その名が権威を持ち始めた頃から、物語は急速に歪み始めます。

「名前が有名になりすぎて、変な連中が紛れ込んじゃった。強盗、強姦、惨殺……。鳳党の看板さえ掲げれば何をやってもいいと思い込んでるような悪党たちが、尊王攘夷をかさに着て、近隣の村々でやりたい放題したみたい。略奪や暴行を繰り返されたせいで、鳳党はいつしか農民たちから『人食い鬼』って忌み嫌われ、恨まれるようになったの。……でも、本当に酷いのは、その結末だよ」


 ユイはスマホをテーブルの中央に置き、二人に見えるようにスライドさせました。

「最後、鳳党のメンバーが捕まった時、彼らを裁いたのは役人じゃなかった。……怒り狂った農民たちだったのよ」

 その言葉に、ルリルリとみなみんが短く息を呑みました。

「鳳党は捕まって、この地域一帯で、文字通りなぶり殺された。各地で想像を絶する拷問の上、死罪。そして罪人として死体をバラバラに晒され、埋葬も許されず打ち捨てられた。あの辺に点在する無数の小さな塚は、すべて彼らの肉体が晒された『処刑場』だったんだよ」


 ユイの声が、恐怖で細く、鋭く震えます。

「あの祠に誰が祀られているかは分からない。でも……」

 今度はみなみんが、画面の先の、目を背けたくなるような記述を読み継ぎました。

「農民たちは、リーダーには特に酷い仕打ちをしたんだって。リーダーの家族……十歳や十三歳の、私たちと同じくらいの娘たちまで捕まえて、雪の中を全裸で引きずり回した。そして、氷の張った川の底に何度も何度も沈めて、水を飲ませて……」


 そこでみなみんの声が、物理的に詰まりました。

「…………っ、ダメ。ごめん、これ以上は声に出して読めない。拷問の内容が酷すぎて、ムリ。最後には、錆びた鈍ら刀で何度も、何度も……」


 みなみんの言葉が止まった瞬間、厨房の奥から「ガシャン!」という食器の重なる硬い音が響き渡りました。

 それが一瞬、首を断ち切る鈍い音に聞こえて、三人は悲鳴を飲み込み、一斉に肩を震わせました。


「あの祠は、略奪をした犯人じゃなくて、その身代わりとしてなぶり殺された、純潔な家族たちの怨念を封じ込めるための『蓋』だったのかもしれない。それを……私たちが、あんなふうに……」

 ルリルリが「でも、あまりにも塚が多くて、本当に悪い人なのか、可愛そうな人なのか分からないよね」と、縋るような声を上げました。


 けれど、みなみんがそれを強く遮りました。

「ねえ、ルリルリ。どういう人であろうと関係ないよ。間違いなく『とてつもない怨念を持って、苦しみ抜いて亡くなった人』だということだけは、確かだよ……」


 みなみんの言葉通り、ユイの耳の奥では、自らの心臓の鼓動が早鐘のように打ち鳴らされていました。

 あの写真、あの不気味に増殖した生首たち。

 彼らが求めているのは、喉を潤す綺麗な水ではありません。

 理不尽に汚れた冷たい水で殺されたことへの、終わりのない、救いのない復讐の連鎖なのです。


「……ねえ、これ以上調べるの、もうやめよう。お願い」

 ルリルリが、ひっくり返ったような、掠れた細い声で懇願しました。

「あそこには、私たちが触れていいものなんて何もなかったんだよ。……あの場所が、何をそんなに怒っているのか、もう、十分わかったから……。ね?」


 しかし、みなみんは確信していました。

 コップの中で揺れる、何の変哲もないお冷やの水。

 その透明な奥底から、死者たちの呪詛が、微かな気泡となって絶え間なく湧き出している。

 何かが水面越しに、じっとこちらを見上げている。

 もう、調べるのをやめたところで、彼らが「終わらせて」くれるはずなどないのです。


 三人は、知らずに「地獄の蓋」を開けてしまった。

 それも、あんな悪ふざけの自撮りと、禍々しいカラーコピーという、これ以上ないほど死者を愚弄する形で。

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