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第6話 連鎖

 真夏の太陽が校庭の砂を白く焼き、蝉時雨が天から降り注ぐ朝。

 夏の大会を終え、中学生活最後の部活、その「引退の日」を迎えました。

 校門の前に立つユイの顔は、輝くような朝の光に照らされてなお、土の中から掘り起こされた死人のように、どす黒い土色をしていました。


「あれ? ユイ、ちょっと顔色悪すぎじゃない? 大丈夫?」

 校門で待ち構えていたみなみんとルリルリが、弾けるような笑顔で駆け寄り、怪訝そうに親友の顔を覗き込んできます。

 二人のあまりにも無邪気な、自分とは別の「光の世界」にいる声を聞いた瞬間、ユイの中で張り詰めていた細い糸が、音を立てて決壊しました。


「……っ、う、うあぁ……っ!」

 ユイはその場にへたり込み、子供のように声を上げて泣きじゃくりながら、昨夜の出来事を絞り出すように話しました。

 浴室の鏡に浮かび上がった、自分と同じ年頃の少女の顔。

 指先にべったりと付着した、温かい鮮血の感触。

 そして、いくら飲んでも癒えない底なしの渇きと、深夜の庭でもがいていた四体の異形の影。


 二人は最初、「そんなことあるわけないって」「キャンプの疲れだよー」と、困ったように顔を見合わせていました。しかし、呼吸さえ困難なほどに全身を激しく震わせ、瞳の奥に「本物の地獄」を宿しているユイの異様さに、次第にその表情から余裕が消えていきました。


「……わかった。落ち着いて、ユイ。とりあえず今日は、最後の部活だから行こう? 顧問の池田先生にも挨拶しなきゃだし。終わったらすぐに、いつものファミレス『デニーレイド』に寄って、ドリンクバーでも飲みながら全部聞くから。ね?」

 ルリルリが震えるユイの肩を抱き寄せ、優しく、言い聞かせるように宥めました。


 部活の時間。

 いつもなら「引退試合まで気合入れていくよ! 全員集合!」と、誰よりも大きな声を出す水泳部キャプテンのユイが、今日は後輩たちの前で、今にも消え入りそうな幽霊のような声で呟きました。


「……みんな、今日までありがとう。がんばってね。応援、してます……」

 それだけでした。

「えっ、ユイキャプテン、どうしたんですか?」

「『気合だ!』とか言わないの、逆に変ですよ!ユイキャプ何かあったんですか?」

 戸惑いとともに飛び交う後輩たちの声を、ユイは力ない苦笑いで受け流すことしかできません。

 彼女の目は、自分たちが今まで愛してきたはずのプールの水面を、まるで底知れぬ深淵、あるいは自分を飲み込もうと待ち構える「怪物」の口を見るかのような、根源的な恐怖で凝視していました。


 練習が終わり、湿った熱気がこもる更衣室。

 みなみんだけが後輩との部費の引き継ぎの話し込みで、着替えが少し遅れていました。


「みなみん、まだー? 先にプールサイドの外で待ってるよ!」

 重い鉄扉越しに、ルリルリとユイが声をかけます。

 ユイは、結局練習中に何も恐ろしいことが起きなかったことに、微かな安堵を覚え始めていました。

 しかし、心臓の不規則な鼓動と、指先の痺れはまだ止まりません。


 一方、一人きりで更衣室に残されたみなみんは、シャワー室へと向かいました。

 ツンとした塩素の匂い、タイルを叩く規則的な水の音。

(……ユイの言っていたことは、きっと何かストレスとか、疲れが見せた幻なんだろうな。かわいそうだし後でデニーレイドで、大好物のパフェでも奢ってあげようかな……ダメだ、パフェは高いし、プリンだ。うん、プリンにしよう)

 そう思いながら、みなみんはシャンプーを手に取りました。


 たっぷりと泡立て、指の腹で頭皮をマッサージします。

 視界が白い泡で塞がれ、シャンプーの華やかな香りが鼻をくすぐる。自分だけの、安全で心地よい時間。


(……ピチャ……ズルリ……ピチャ……ズルリ……)


 不意に、激しいシャワーの音を突き抜けて、背後のタイルを「濡れた素足」で這いずるような音が聞こえました。

「誰……? ユイ? ……ルリルリなの? 忘れ物?」

 返事はありません。ただ、耳元の水音が、重く、粘り気を帯びていく。

 その瞬間、背筋を切り裂くような冷気が走りました。

 温かかったはずのシャワーのお湯が、一瞬にして、ドロリとした「生暖かい液体」の感触に変わったのです。


 そう、まるで、たった今誰かの体から溢れ出したばかりの、新鮮な血液のように。


「っ……!」

 心臓が口から飛び出しそうなほど跳ね上がります。

 更衣室全体の空気が、目に見えない圧力に負けてミシミシと軋み始めました。

 浴室の天井が低く、重く感じられます。

 何か、得体の知れない強大な悪意が、この狭い空間に充満していることを、彼女の第六感が激しい警報として鳴らし続けていました。


 早く泡を流して、目を開けなければ。

 みなみんは必死で、顔に降り注ぐ「ドロリとした水」を両手で受け止め、顔に浴びせました。

 けれど、流しても、流しても、目の前の白い泡が消えません。

 それどころか、シャンプーの香りは一瞬で消え失せ、代わりに鼻を突いたのは、あの夜、祠の側で嗅いだ「腐った魚」のような凄まじい腐臭でした。


 ようやく、瞼に張り付いた泡を拭い去ったみなみんは、鏡を見て絶叫しそうになりました。


 鏡に映る自分の肩に、泥だらけで、指が数本欠落し、肉が剥き出しになった「真っ白な手」が、愛おしげに置かれていたのです。

 その指は、まるでみなみんの首をへし折る位置を探るように、じわじわと肉に食い込んでくる。


 恐怖に縛られ、視線を下へと落としたみなみんは、さらに息が止まりました。

 足元の排水溝からは、ゴボゴボという汚濁した異音とともに、おびただしい量の「濡れた長い黒髪」、そしてどこから湧き出しているのか、真っ黒な血液が絶え間なく溢れ出し、彼女の足首を包み込んでいました。


「……あ……ああ……あああああぁぁぁ!!」


 更衣室の外で待っていたユイとルリルリの耳に、親友の魂を削るような、引き裂かれた悲鳴が響き渡りました。


 次の瞬間、みなみんは全裸のまま、狂ったように更衣室から飛び出してきました。

 髪からは水ならぬ「何か」が滴り、瞳は焦点が合わず、ただ泣きじゃくりながら要領を得ない言葉を叫ぶばかりです。

「出た……いたの……私の肩に、誰かが……!」


 二人は慌てて、無人のシャワー室を確認しました。

 しかし、そこにはただ、透明な水が静かに流れ、タイルの上には使いかけのシャンプーの泡が白く残っているだけでした。異常は何一つ、物理的には残っていませんでした。


「よしよし、大丈夫だよ。みなみん。落ち着いて」

「そうだよ、誰もいないから。ね? 私たちがついてるから」

 ユイとルリルリは、自分たちの恐怖を必死で押し殺しながら、震えて泣きじゃくる親友の体をタオルで包み、優しく服を着せてあげたのでした。


 

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