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第3話 夜の檻

 カードゲームの狂騒が去り、テントの中にランタンの淡い灯りだけが残ると、周囲の静寂はかえって鋭利な刃物のようにユイの鼓膜に張り付きました。

 薄いポリエステルの布一枚隔てた外側では、時折、夜鳥が飢えたような鋭い声を上げ、湿った風が杉の枝を不気味に揺らしています。

 その「ガサッ」という乾いた音が響くたびに、ユイの心臓は跳ね上がりました。


「……ねえ。あの写真さ、なんだかんだ普通にすぐ燃えちゃったね」

 ルリルリがシュラフの感触を確かめながら、どこか他人事のような眠たげな声で言いました。

「そうそう、なんかインクが変な燃え方してたよね。青い炎。でもまあ、跡形もなくなったし、もう大丈夫だよ。忘れよ! あ、そうだユイ。スマホのデータも、今のうちにゴミ箱に入れちゃいなよ。あんなのずっと残しとくの、普通に呪われそうだし、縁起悪いじゃん」

 みなみんがモバイルバッテリーをスマホに繋ぎながら、事も無げに言います。

 その言葉を聞いた瞬間、ユイは自分のポケットの中で冷たい重石のように居座るスマートフォンに指先が触れ、芯から凍りつくのを感じました。


「う、うーん……。あれ、学校始まったらさ、クラスのみんなに見せたいから。まだ消さずに置いとくよ。もしかしたらSNSに上げて一気にバズるかもしれないしさ。夏休みのネタとしては最強でしょ?」

 ユイは引き攣った広角を無理やり持ち上げ、あえて強気な「いつもの自分」を演じました。

「えー、ユイったら。不謹慎だし、普通に危ないと思うよ? まあ、無理に消せとは言わないけどさあ……。あー、眠い。おやすみ」

 みなみんが呆れたように小さく笑って、ランタンのスイッチを捻りました。


 ふっ、と光が消え、テント内は濃密な闇に支配されます。

 ユイの本心は、みなみんの言葉とは真逆でした。

 一刻も早く、あの忌まわしいデータをこの世から抹消し、記憶の彼方へ葬り去りたい。

 だが、こんな逃げ場のない暗闇の中で、ついさっきのコンビニで「増殖」を目撃したばかりのこの指で、写真フォルダを開く勇気など1ミリも残っていませんでした。

 もし開いた瞬間、あの巨大な『顔』が画面の枠を越えて蠢いていたら? もし『十一の首』が、バックライトの光を借りて、自分を真っ直ぐに凝視していたら?

 この閉ざされたキャンプ場の夜に、あのおぞましい記録と視線を合わせることは、即座に致命的な「何か」を招き寄せる儀式になる――ユイの生存本能が、そう激しく警告していたのです。


 深夜2時


「……ねえ、みなみん。起きて。トイレ。ついてきて」

「はあ!? さっき寝る前に行ったじゃん! 寝かせてよ!」

 みなみんがシュラフから顔を出し、不機嫌そうに抗議します。

「お願い、マジで無理なの。キャンプ場の夜って、本当に、本当に怖いんだもん……。ねえ、お願い!」

「ユイ、あんた小学生なの? 中3だよ? マジやばいって、この状況」


 文句を垂れ流しながらも、みなみんとルリルリは渋々サンダルを履き、テントの外へ出ました。

 夜のキャンプ場は、昼間の賑わいが嘘のように冷え切っています。

 ユイにとって、炊事場の蛇口から滴る「ポツン……ポツン……」という単調な音さえ、あの泥濘から這い寄る男の足音に聞こえてしまいます。 

 杉林の奥から聞こえる風の唸りは、誰かの低い呪詛のようです。


 トイレの個室にたどり着いた時、ユイはあろうことか、二人を狭い個室の中にまで無理やり連れ込みました。

「ちょ、ユイ! 狭いってば! 臭いし、暑いし、マジで無理! 何考えてんの!」

「いいから! ドアの外で待たれるのも怖いんだって! お願い、もしこの繋ぎ目のドアの隙間から、変な目が見えてたり、覗かれたらどうするの! 一人にしないで!」

 ユイは半狂乱で個室の鍵を閉め、二人の体に密着しました。

「……あんた、明日から部活の練習来れるの? 幽霊が怖いから水泳部辞める、なんて言わないよね。こんなんじゃ、怖くて水にも潜れないじゃん」

 ルリルリが呆れて大きな溜息をつき、みなみんが仕方なくスマホのライトで足元を照らしてやります。

 この時のユイは、一人で闇と向き合う機能を完全に喪失し、友人たちの「正気」という名の温度に縋り付くことしかできませんでした。


 テントに戻ってからも、ユイの終わりのない戦いは続きました。

 隣で規則正しい寝息を立てる二人。その温もりにしがみつくように密着しても、背中に触れるテントの生地一枚隔てた外側には、あの「首のない男」や「転がった女たち」が、息を潜めて立っているような気がして片時も目が離せません。


 バサッ――。


 不意に風が吹き、テントのフライシートが大きく鳴りました。

 それが、巨大で冷たい手のひらで、自分たちの寝床を外側からゆっくりと撫で回した音のように聞こえ、ユイは息を止めました。

 地面の奥底から、自分たち水泳部が使い慣れたプールの清浄な水の匂いではなく、あの魚が腐ったような、鼻を突く泥水の臭いがじわりと染み出してくる――そんな生理的な幻想に、彼女は明け方まで怯え続けました。


 結局、ユイは一睡もできませんでした。

 東の空が白み始め、鳥たちが無邪気な朝の訪れを告げるまで、彼女はスマホの画面を一度も開くことなく、奥歯を鳴らして固く目を閉じていました。

 夜明けの薄い光がテントの布を透かした時、ユイは「生き延びた」という安堵を覚えましたが、同時にある確信に打ちのめされました。


(今日もまた、このスマホの中にある『あの顔』と共に過ごさなければならない……)


 朝日の中に見たのは、希望ではなく、逃げ場のない呪いとの同居という重苦しい絶望でした。

 彼女の指先は、ポケットの中で、今もなお微かに熱を持ち続けるスマホから離れることができませんでした。

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