第28話 陽光
五百旗頭が、泥濘の上で静かに胡坐をかいた。
彼が見たこともない、しかし直感的に頼もしいと感じさせる密教の印を結び、呪文を唱え始める。
その姿を見た神代は、ついに最期の時が来たことを悟り、自らの覚悟を固めた。
墓所を支配していた凄惨な殺気が、一瞬で凍りついた。
神代駐在が、泥まみれの党首の影を真っ向から見据え、魂の底から咆哮した。
「――お前の娘は、一人生きているッ!!」
党首の影が、ギチリ……と不気味な音を立てて静止した。
「お前の首にかかっている三つの生首……そのうちの一つは、お前の娘じゃない。あの日、お前たち鳳党に惨殺された、ある村人家族の娘だ! その父親は、自分の愛娘を殺された絶望の中でも、お前の娘……『志乃』だけは助けようと、亡くなった自分の娘と志乃を入れ替えたんだ。自分の子の首をお前の腕に抱かせ、志乃を逃がしたんだよ!」
神代の口から、数百年の時を超えて真実が解き放たれた。
髪を剃り、尼僧として京都へ逃がされた志乃。
彼女は、鳳党の残党すら追ってこれぬよう、京都の秘境に位置する『蓮華浄土寺』という、古くから魔を排す異端の法を伝える寺に匿われた。
しかし、志乃の体には鳳の家紋が刻まれている。
その血の匂いを辿り、月に数回、決まった夜になると、無念を抱いて死んだ鳳党員たちの亡霊が、彼女を連れ戻そうと枕元に現れた。
そこで志乃が授けられたのが、宗派の奥義『不動金剛掌の法技』。
「迷える霊魂の執着を、物理的な衝撃に変換して打ち砕く。殴られた霊体は、その因縁ごと霧散し、しばらくは現世に形を成すことはない。場合によっては二度と形をなす事はない。志乃は、己の血を狙う亡者たちを、その拳で一人ずつ、葬り続けたんだ」
志乃はその後、維新の動乱で傷ついた志士を介抱した縁で彼に見初められ、幸せな結婚をした。
彼女の残した日記には、夫からの愛に包まれ、多くの子や孫に囲まれた穏やかな余生が綴られていた。
彼女を救った村人家族の犠牲を無駄にせぬよう、彼女は誰よりも懸命に、そして幸せに生きたのだ。
だが、その子孫には代々、家紋の痣を引き継いでいた。
その為、霊を「砕く」奥義も継承された。
神代がその異様なまでの武力で怨霊を粉砕できたのは、先祖たちが「愛する家族を守るため」に振るい続けてきた守護の拳だった。
その告白は、「家族を自分に取り戻す」という執着に狂っていた党首の魂を根底から揺さぶった。
己が抱き続けてきた首が、実は自分たちが奪った命であったという皮肉。
そして、自分の血が今もこうして「神代」の中に生き続け、自分を止めようとしている事実。
「……今だ!!」
党首の影が明らかに動揺している一瞬の隙。 五百旗頭が、懐から眩い光を放つ水晶玉を取り出し、墓標の前に静かに置いた。
「もはや、お前の生きる時代では無い。還るべき場所へ還れ」
全てを悟った党首の影は、もはや抗うことなく、とても安らかな顔に変わったのだ。
そして志乃の面影を宿した神代を最後に見つめると、ゆっくりと水晶玉の中へと吸い込まれていった。
(――パリンッ!!)
臨界点に達した水晶玉が、内側から弾けるように砕け散った。
その瞬間、周囲を支配していた魚が腐ったような悪臭も、肺を刺すような冷気も、すべてが霧散した。
八月の円念寺には、どこからともなく春風のような心地よい風が吹き抜け、雲が無くなり、この季節にふさわしい太陽の光が降り注いだ。
「……終わったのか?」
健三が、腕の中で眠るルリルリの刻印を見た。
そこにあったはずの禍々しい「逆さ鳳」の痣は、跡形もなく消えていた。
「痣が……消えてる。みなみ、よかった……」
義明も、誠一も、娘たちの肌が本来の輝きを取り戻したのを見て、その場にへたり込んだ。
神代の手に浮かんでいた紋章も、完全に消え去っていた。
「……ああ、終わったよ。長すぎる戦いだった」 神代が、赤く腫れ上がった自分の拳を見つめ、静かに呟いた。
先祖から受け継いだ重い宿命。
殴り続けて守り抜いたその先で、彼はついに自身のルーツを浄化し、志乃が手に入れた「日常」を再びその手に取り戻したのだ。




