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第27話 悪夢の中の現実

 円念寺の境内は、外の道に転がっていた死体たちの騒がしさが嘘のように、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。

 風すらもその存在を忘れたかのように止まり、八月の暴力的な太陽が、無数に並ぶ墓石の列を白く焼き付けている。

 その光景は、あまりに明るく、それゆえに死の色が濃い。


 一行が砂利を踏みしめ、本堂の裏手に回ったその時だった。


「……あ、あ、ごめんなさい! ごめんなさい!!」


 突如、父親たちの背中で娘たちが狂ったように叫び始めた。

 彼女たちは血走った目を見開き、何もないはずの空間を指差して激しく身悶えする。

「来ないで! 違うの、そんなつもりじゃなかったの!! 許して、お願いだからこっちを見ないで!」

「瑠璃、どうした! 何が見えるんだ、しっかりしろ!」  

 健三がルリルリを強く抱きしめるが、彼女の焦点は虚空の一点に釘付けになったまま、激しく震えていた。その視線の先には、陽炎のように揺らめく不自然な空間があった。


「……五百旗頭さん、あれです。あそこが『中心』だ」  

 神代駐在が、一本の古びた、苔むした岩を指差した。

 一見すれば、無造作に置かれたただの庭石にしか見えない。

 しかし、目を凝らせば、その表面には気の遠くなるような年月を経て風化し、削り取られた「何か」の文字が刻まれていた。

 鳳党の党首から奪われた妻子の「首」だけを葬ったとされる、呪われた一族の墓標。


「ああ、見えたぞ。……凄まじいな。何百年分だ、この執念は」  

 神代の呟きと共に、周囲の空気が一変した。

 

 墓標の周囲の地面が、まるで沸騰するように泡立ち始める。

 そこから、泥にまみれた「手」が何本も、いや何十本も、地中から這い出すように伸びてきた。

 怨霊たちが次々と地面から這い出し、群れをなしていく。

 その光景は、さながらゾンビ映画のワンシーンのようであった。

 しかし、これが映画ではないと思い知らされるのは、鼻を突く猛烈な腐臭と、群れをなす蠅の大軍の存在である。

 それらが放つ圧倒的な「死」の気配が、この非現実的な光景を、嫌というほど現実のものとして突きつけてくるのだ。


 彼らのあらゆるところからは蛆虫蠢く腐敗汁が滴り、それは助けを求める手ではなく、生きている者の足首を掴み、奈落へ引きずり込もうとする地獄の触手だった。

 太陽はすでに雲で完全に隠れ、あたりは闇が支配していた。

 そして、その岩の上に、陽光さえも吸い込むような漆黒の影が立ち上がった。

 胡座をかいて、荒縄で縛られている男。

 縄で数珠繋ぎにされた三つの生首が、影の胸元に不気味にぶら下がっていた。

 影は腐乱して崩れ落ちて顔のない首をこちらに向け、空気を直接震わせるような絶念の声を放った。


『……妻の……玉子たまこの……体を……返せ……』

『……娘の……志乃しのの……きくの……体を……返せ……!!』


「……抜かせ」

 神代が、制服の袖を荒々しく捲り上げ、一行の先頭へと躍り出た。

 その眼光は、対峙する怨霊よりも鋭く冷たい。 「お前たちの悲劇には同情してやる。だがな、目の前の娘たちの命を身代わりに欲しがるのは、違うだろうが!この俺が絶対に許さん」


 地中から伸びた無数の手が、神代の足首に襲いかかった。

 捕まれば最後、泥の中に引き摺り込まれる。

 しかし、神代の動きは常人の域を超えていた。


(――パァンッ!!)


 神代が放った鋭い回し蹴りが、重い空気を切り裂く。

 霊体の腕が根元から粉砕され、乾燥した陶器のように霧散した。

 続いて、党首の影が放った泥の触手に対し、神代は一歩深く踏み込み、全身のバネを拳に込めて正拳突きを叩き込む。


「らぁッ!!」


 物理的な衝撃波が空気を爆ぜさせた。

 驚くべきことに、実体を持たないはずの霊体が、神代の拳が触れた瞬間にガラスが砕けるような音を立てて消し飛ばされた。

「守屋さん、こっちだ! 娘さんを守れ!」  

 神代の怒号に応じ、義明もまた咆哮を上げた。 「俺の娘に、指一本触れさせるかよぉッ!!」  義明の剛腕が、伸びてくる泥の手を正面から殴りつける。

 拳が衝突した瞬間、地面を這いずり回っていた怨念の群れが、目に見える衝撃波によって四方八方へ弾け飛んだ。


「小野寺さん! 佐伯さん! 呆然とするな!娘達と奥さんたちは、あんたらが守るんだ!」  

 神代が次々と襲い来る影をなぎ倒し、安全地帯を維持しながら叫んだ。

「奴の本体はあの岩だ! あれが奴らの執着を繋ぎ止めている楔だ。あそこだけが気配が違い過ぎる!五百旗頭さん、あんたの出番だ。何とかしてくれ!!」


 圧倒的な武力によって切り開かれた、怨霊の海の中の一本道。  

 警察官・義明、医師・誠一、弁護士・健三。

 三人の父親たちは、神代が作り出した束の間の隙を突き、娘たちをその腕に固く抱き直した。

 自分たちの日常を、愛する家族を奪還するための最後の一歩。

 因縁の墓標に向かって、彼らは泥を蹴った。

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