第19話 暴かれた、絆の断片
図書館の最奥、一般人の立ち入りが厳重に禁じられた閉架資料室。
そこは数十年もの間、誰の呼吸も通わなかった死んだ知識の墓場だった。
カビの胞子と古い紙の死臭、そして何より、語ることを禁じられた怨念が凝縮されたような澱んだ空気が一行の肌に重く粘りつく。
五百旗頭が、指先の脂ですら変色しそうなほど脆い和綴じの本を開き、忌まわしき一節を静かに読み上げた。
「……娘たちの、頭に、穴をあけ、数珠として繋ぎ……流刑に処す。残されし肉身は、空井戸の泥深き穴に投げ込み、封じるものなり」
その瞬間、資料室の温度が数度下がったかのような錯覚が走った。
仮眠をとる義明と見守る恵。
それ以外の全員――佐伯健三と佳苗、小野寺誠一と美奈代、そしてルリルリ、みなみん、ユイの少女たちは、その言葉の重圧に押し潰され呼吸を忘れた。
誠一が、震える声でその一節をなぞる。
「……待て。ということは、あの祠に埋まっていたのは……」
「そうだ。あそこに埋葬されていたのは、首を切り落とされた、党首の妻と娘たちの『胴体』だけだ」
五百旗頭の声は、冷たい刃のように静まり返った室内を切り裂いた。
「愛する妻と、二人の娘……。目の前で拷問され、その生首を数珠繋ぎにされて、自分の首にかけられたまま流刑になった党首。奴が島へ持って行かされたのは『首』だけだ。そして、首を失った彼女たちの『体』は、あの祠の泥の中に、名前さえ奪われて捨て置かれた」
誠一は、整形外科医としての知識が仇となり、その光景を解剖学的に、鮮明に脳内に再現してしまった。
「十歳と、十三歳……。首を失い、肥溜めの肥を飲まされ腹を裂かれたまま、真っ暗な土の中に放置された胴体。……それが、数百年もの間、海を隔てた島にある自分の『首』を求めて、肥の中でのた打ち回っていたというのか」
その言葉を聞いた瞬間、みなみん、ルリルリ、ユイの三人は、耐えきれずにその場に泣き崩れた。
自分たちが「SNSの映え」で汚したのは、ただの古い祠ではない。
自分達と同年代の少女が、首を探して彷徨う「胴体」が眠る場所を、土足で踏みにじったのだ。
強烈な罪悪感と後悔が、鋭い刃となって彼女たちの心を責め立てる。
健三もまた、法も慈悲も届かない時代に行われた究極の非道に、憤怒を通り越して虚脱していた。
「党首は、その『生首の数珠』を首にかけたまま、離島――波留島へと流された。……生死は不明。だが、この執拗なまでの『娘』と『体』への執着。奴は、まだあの島にいる。『本土にある妻子の体と、島にある自分の首に架かっている妻子の首を繋ぎ直したい』という悲願を背負ったまま、島のどこかで待ち続けているんだ。そして、『妻子の体を探すと言う一念』が強過ぎて娘たちの瑞々しい体をも奪おうとしている……」
五百旗頭は無言のまま、カバンの中に収めた重厚な『水晶玉』の感触を確かめた。
この玉は、怨霊を一時的に現世に強制的に繋ぎ止め、中に怨霊を閉じ込めた状態で怨霊そのものを一気に粉砕するための唯一の武器。
だが、奴らに手の内を知られるわけにはいかないから、言葉にすることは出来ない。
「五百旗頭さん、移動はどうする。波留島へは定期船があるはずだが」
誠一が、膝をつく娘の肩を抱き寄せながら問いかける。
五百旗頭は即座に首を振った。
「定期船は絶対に使えない。港のような衆目に晒される場所へ、今の彼女たちを連れて行けば、乗船を待つ間にパニックを起こし、喚き散らす。周囲からは薬物中毒者か、深刻な精神錯乱者にしか見えん。即座に通報され、警察に保護される。そうなれば、あなたたち親は一時的に引き離され、彼女たちは精神病院の閉鎖病棟へ隔離される。それが最後だ。守り手を失った彼女たちは、病院のどこかで、そのまま向こう側へ引き摺り込まれて終わる」
「社会的に抹殺され、物理的に孤立させられるということか……。それに、24時間を超える航路だ。生理現象一つとっても、今の彼女たちには定期船の設備は使えない」
健三が呻くように言った。
「娘を奴らに渡すわけにはいかない。……私が裏のコネをすべて使い、外洋航行に耐えうる大型の漁船をチャーターします。以前、重大な刑法犯事案の弁護で大きな貸しを作った、口の堅い男が静ヶ浦の港にいる。そこまでバスを走らせよう」
その頃、駐車場に停めたバスの車内。
義明は運転席で、鉛のように重い眠りに落ちていた。
その傍らでは、妻の恵が片時も夫から目を離さず祈るようにその寝顔を見守っていた。
やがて、戻ってきた一行は、腰が立たなくなった娘たちをそれぞれ背負っていた。
その葬式のような沈痛な面持ちを見て、恵は息を呑んだ。
「……何かわかったの?」
資料室で暴かれた、血を吐くような凄惨な歴史。
家族の首が頭蓋骨に穴を開けられ、紐で、数珠つなぎにされ、胴体だけが本土に捨て置かれた事実。
『家族の首を数珠にされ、島流しにされた党首の無念』
健三たちがそれを静かに伝えると、目覚めた義明は、しばらくの間、微動だにせず前方を見つめていた。
そして、ミシミシと音を立ててハンドルの革を握り締めた。
「……そうか。奴も、父親だったんだな」
義明の瞳には、一瞬だけ、同じ娘を持つ親としての、救いようのない共感が宿った。
しかし、彼はすぐにその感傷を氷のような冷徹さで振り払う。
「だがな……。たとえどんな地獄を見たからといって、他人の娘を自分の地獄に引き摺り込んでいい理由にはならない。そんなことをしても、奴の娘さんたちが喜ぶはずがないだろう。……家族を繋ぎ合わせるための『器』に、俺の娘は貸してやれない」
義明はバックミラー越しに、恐怖に震えるみなみの姿を鋭く捉えた。
その眼光には、法を守る警察官としての厳格さと、娘を護る父親としての熾烈な決意が混在していた。
「俺が引導を渡してやる。奴を縛り付けているその怨念ごと、俺がこの手で終わらせてやる。……奴の家族も、もう解放してやるべきだ。首と胴体、別々の場所で泣き叫んでいるあの子たちを、もう眠らせてやろう」
恵は、夫の強張った横顔に刻まれた決意を見て静かに、しかし力強く頷いた。
「ええ。行きましょう。その島へ。私たちの娘を、あんな地獄の連鎖の身代わりにさせてたまるもんですか」
夕闇が迫る中、義明はアクセルを力強く踏み込んだ。
バスは、社会という檻から抜け出し、怨念の根源が待つ波留島へと向かうための闇の港、静ヶ浦へと走り出した。




