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第17話 バスの中の家族会議

 マイクロバスの揺れに身を任せ、後部座席で固まる三人は、前の座席で周囲を警戒する父親たちの背中を見ながら声を潜めて話し始めた。


「……ねえ。私、昨日までお父さんのこと、ちょっと馬鹿にしてた。階級低いし、仕事ばっかりで家ではゴロゴロしてるし、加齢臭気になるし」  

 みなみんが、膝の上で握りしめた自分の手を見つめて呟く。

「……でも、あの化け物を殴り飛ばしたときのお父さん、全然違った。あんなに怖い顔、見たことない。……あの一撃がなかったら、私、今頃あそこの穴の底……別の世界……だったんだよね」


「……私も」

 ルリルリが続く。

「パパ、弁護士だからいつも上から目線で、偉そうで、口で勝てるわけないって諦めてた。でも昨日の夜、私の腕を掴んでたパパの手……力強くて、絶対に離さないって意志が伝わってきて。あんなに必死なパパ、初めて見た。……かっこいいとかじゃなくて、あ、この人、私のために死ぬ気なんだって、そう思った」


「私のパパも、お医者さんだからいつも細かくてうるさいけど」

 ユイの声は震えていた。

「昨日はボロボロだった。……お母さんの時も、私の時も、もう泣きそうな顔で私の肩を抱いてて。パパの手、いつも消毒液の匂いがするけど、昨日は汗と必死な匂いがして……。あ、この人にしがみついてれば、まだあっちに行かなくて済むんだって、それだけ信じてた」


「……お父さん、言ってたんだ。『娘の手が届かない場所には行かせたくない』って」みなみんが前方の運転席を見つめる。「私、今までお父さんに冷たくしてたの、ちょっと後悔した。……生きて帰れたら、気合入れて優しくしてあげなきゃって」


「……うん。五百旗頭さんがいなかったら、私たち今頃あんな高級マンションの中で、誰にも気づかれずに『家出の行方不明』になってたんだもんね」

 ルリルリが深く頷く。

「……今は、前の席にいるお父さんたちの背中だけが、現実の世界に見えるよ」


 その後しばらくして、バスの中央付近に座っていた整形外科医の誠一が、沈黙を破って切り出した。

「……五百旗頭さん」  

 車内全員に聞こえる、重い声量だった。

「娘の前でこんな話をするのは避けたかったんですが……現状、隠していても仕方がない。あの手は本気で『連れ去ろう』としている。……しかし、本当にそんなことが物理的にあり得るんですか? 幻影を見せて精神を追い詰めるのではなく、人間を丸ごと、別の場所へ……」


 その問いに、五百旗頭いおきべは缶コーヒーを啜り、無機質な声で即答した。

「それは、ありうる」


「ひぃっ……!」

「嫌ぁぁぁぁ!!」

「うっ、うっ……助けて、パパ!」  

 三人の少女が同時に悲鳴を上げ、それぞれの父親にすがりついた。

 五百旗頭は動じることなく、さらに残酷な事実を継ぎ足す。

「奴らの手が伸びて、こちら側に指がかかったとしたら、それはもう『霊的な現象』じゃない。物理的な、生きた人間と同じだけの質量と力を持って引きずり込んでくる。……もし引き込まれれば、死として、文字通り消えてなくなるか、あるいは……違う世界に引き摺り込まれる事になる」


 運転中の義明は、不安に震える娘の手を左手で包み込みながら、バックミラー越しに問いかけた。

「……紐や手錠で繋いでおくのは?」

「無駄だ」

 五百旗頭は即座に否定した。

「道具では奴らの次元の歪みには抗えない。あくまで『生きている人間』が、その意志と体温を持って掴んでいるからこそ、魂の流出を防げる。いいか、お父様方。夜、あなたたちが手を離すことは、彼女たちの死を意味する。……奴らの力が物理的であるならば、対抗できるのも物理的な力だけだ。だからこそ、全力でその手を掴み返し、こちら側に繋ぎ止めておくんだ」


 その言葉は、父親たちの魂に火をつけた。

「お父さん! 両手で、両手でちゃんと掴んでいて!」  

 みなみが義明の逞しい腕を必死に握りしめる。 

 義明はハンドルを握りながらも、空いた左手でその冷え切った小さな手を、壊れ物を包むように、しかし岩のような力強さで包み込んだ。

「ああ、分かっている。絶対に離さない。たとえ何が来ても、お父さんが引きずり戻してやる」


 誠一も、健三も、それぞれの娘の手を、皮膚が白くなるほどの強さで握り締めた。  

 普段は「臭い」「汚い」と避けられ、距離を置かれていた父親という存在。

 しかし今、この鉄の箱の中では、彼らの放つ体温と不格好なまでの腕力こそが、地獄へ続く泥濘から娘たちを繋ぎ止める、世界で唯一の錨となっていた。

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