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第15話 計画

 五百旗頭いおきべは、自嘲気味に鼻で笑い、首の骨をポキリと鳴らした。

「それでだな……まあ、俺の明日からの別の仕事は全部パァだ。……まあ、良い。これは20年に一度も無い特別な『G案件』だ。俺も腹を括るしかないな」


 彼はリビングのソファに深く腰掛け、鋭い眼光を父親たちに向けた。

 五百旗頭が呪符を三人の痣に貼り終えた段階で、あれほど猛り狂っていた怪異の気配は、ひとまずは鳴りを潜めている。


「これからどうするかを話そう。この手の案件の落とし所は、怨念の元へ行き『許してもらう』か『封印するか』の二つに一つだ。だが、許してもらうのはまず無理だ。奴らの感情はもう人間とは違う。理屈の通じない、荒ぶる本能そのものだからな。となれば、あそこへ直接乗り込むしかない」


 五百旗頭いおきべは指で窓の外、遠く陽炎の向こうに連なる山々の方向を指して続けた。 「移動はレンタカーだ。三家族と俺、それを乗せるならマイクロバスが最適だろう。……運転は出来るか?」  

 その言葉に、みなみの父、義明が即座に応じた。

「私がやりましょう。機動隊時代にバスの免許は取っている。任せてください。五百旗頭さん、あなたには娘たちを助けてもらわなければならない。運転で体力を削らせるわけにはいかない」 「助かる。……本当なら、今すぐにでも発ちたいところだ」


 五百旗頭は腕時計に目を落とし、苦渋の決断を口にした。

「しかし、今出ると目的地には夜中に着いてしまう。奴らが最も力を増す丑三つ時にあそこへ入るのは、自殺行為だ。それは最悪の選択になる。……明朝、夜明けに出発しよう。午前6時、しっかり日が昇る頃の出発を目指す」


 その言葉は、絶望以外の何物でもなかった。 「あと、一晩……?」

「無理だよ、お父さん! さっきだってあんなに睨んでたのに!」  

 瑠璃、みなみ、結衣は、死刑宣告を受けた囚人のように真っ青になり、父たちの腕を折れんばかりの力で握りしめた。

 黒いカーボンシートの護符で姿こそ消えても、彼女たちには分かっていた。

 太陽が沈み、あの冷たい「黒い水」が最も深くなる夜を、もう一度この家で過ごさなければならない恐怖を。


 その凍りつくような死臭の吐息を思い出して彼女たちは戦慄していた。


「……お父様方。今夜は文字通り、一分一秒たりとも娘さんから離れないでください」  

 五百旗頭いおきべのトーンが一段と厳しくなる。

「バスには食料を十分に積む。それと、移動中も男は必ず車内に二人は残ること。……トイレも、SAサービスエリアは使えない。個室に閉じ込めるわけにはいかないからな。携帯トイレしかない」


「大便はどうする? 恥ずかしいだろうが、命に関わる深刻な問題だ。娘一人につき、男二人の護衛が必要だ。だが個室に入れた一瞬の隙に連れ去られる可能性の方が高い」とユイの父、誠一が考えながら意見を求める。


「……仕方がない。私が震災の被災地派遣で使った手段で行こう」  

 義明が重い口を開いた。

「ゴミ袋と新聞紙を多めに用意してくれ。移動中も、誰一人として死角を作らない」


 少女たちは羞恥に頬を染める余裕さえなかった。

 その瞳には、暗闇から伸びる無数の手への恐怖だけが宿っている。

 長い、あまりにも長い夜が始まった。  

 三家族はリビング中央に布団を固め、深夜を過ぎる頃には、大人たちの鼓膜にも「音」が等しく響き始めていた。


 深夜一時。支配するのは重苦しい沈黙と、時折響く「ピチャッ……」という濡れた足音。


「……五百旗頭さん、提案がある。大人を二組に分け、一時間ずつの交代制で仮眠を取るべきだ。体力が持たない」  

 二時間制にした方が寝れるが、精神が持たない。

 一時間制というのは義明が考えたギリギリの時間配分だった。

 義明の提案に五百旗頭いおきべが頷く。 「義明さんと誠一さんが第一陣の起番(見張り)、私と健三さんは次だ。女性陣、娘さんたちは仮眠を。ただし、意識は常にこちらに置いておくように」


「……ねえ、健三さん。聞こえるわよね?」

 佳苗が震える手で夫を掴んだ。天井をペタペタと歩き回る裸足の音。

 壁の向こうで、何十人もの人間が爪を立ててコンクリートを削り取る不快な音。

「ああ。だが、義明くんたちがついている。……佳苗、俺たちの恐怖は奴らの餌だ。目を閉じろ」  健三は努めて冷静に振る舞い、瑠璃を抱き寄せた。


 その時、部屋の隅で五百旗頭が低く呟いた。 「護符でターゲットの特定ができないから、手当たり次第か。連中、業を煮やしているな。……引き摺り込み(ひきずりこみ)が出なければいいが」


 その言葉が予言となったのは、数分後だった。 

 あらかじめ、トイレに誰か行く時は起番以外の男が付き添うことにしていたが、最初に異変に襲われたのは義明だった。


 廊下に出た義明が用を足そうとした瞬間、便器の奥底から泥にまみれた「巨大な腕」が、凄まじい速度で足首を掴んだ。

「――っ!」  

 声は出さない。

 義明は即座に重心を落とし、逮捕術の要領で身体を鋭くねじり、相手の引き込む力を利用して強引に振り払う。バシャァッ!と汚水が跳ねる不快な音がし、腕は虚空を掴んで消えた。


 戻った義明の顔は、脂汗で濡れていた。

「……五百旗頭さん、出ました。逮捕術を知らなければ、今頃穴の底だった」

「やはり出ましたか。次は一人で行かせない方がいい」


 だが、次に標的となったのは、小野寺家の母、美奈代だった。

 顔を真っ青にした彼女に、誠一が「私がつく」と立ち上がる。

「美奈代、俺の腕を絶対に離すなよ」


 トイレのドアを半開きにし、誠一が外側から美奈代の右腕を万力のような力で掴む。

 だが、その瞬間。

「――いやぁぁぁあ!!」  

 狭い空間に、美奈代の絶叫が木霊した。

「美奈代! 離すな!」

「誠一さん、重い! 引っ張られる!!」


 便器の中から突き出した数本の「腐乱した腕」が、美奈代の内腿に指を食い込ませ、猛烈な力で彼女を虚無の空間の中へと引きずり込もうとしていた。

 誠一は医師の知識から、これ以上引けば関節が外れると直感し、歯を食いしばりながら叫んだ。 「くそっ、この力……人間じゃない! 義明くん、助けてくれ!!」


 駆けつけた義明が誠一の背中を支え、五百旗頭いおきべが懐から取り出した呪符を虚空に叩きつける。

「――離せ!!」  

 一喝とともに、ようやく腕は力を失い、ズルリと奥へ引っ込んでいった。

 叩きつけられた呪符からは、じりじりと紫色の煙が立ち上り、そのまま静かに灰となって崩れ落ちた。


「やれやれ……在庫が少ないんだがな」  

 五百旗頭は毒づくように呟き、消えゆく泥の気配を睨みつけた。

「手当たり次第、この部屋にいる全員を『あっち』に引きずり込み、『一族』にする気ですよ」


「一族にする……? 冗談じゃない!」

「理屈はもう通じません、小野寺さん。奴らにとって、あの祠を壊した瞬間から、あなた方は『加害者』ではなく『眷属にして取り込む対象』なんです」


 エアコンの送風音に混じって、再び天井からピチャ、ピチャと足音が聞こえ始める。

 夜明けまで、あと三時間。大人たちの手には、冷や汗が絶えることはなかった。

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