7.実は……子供じゃなくてすみません!
第7話「実は……子供じゃなくてすみません!」
女将が持って来たのは、小さく刻んだ野菜やきのこらしきものが入ったスープ。それから温めたパン。そして何かのくすんだ色のペースト。木製のナイフが添えられているから、パンに塗るものかもしれない。果物らしき、黄色の角ばった木の実のような物もある。それから、飲み物は少し黄色味がかった何かだ。木製のコップに入っているので色がよく分からない。
「あらまぁ! アンジュ! ……このツヤ、分かるよ、澪ちゃんが良い事をしてくれたんだね? アンジュも喜んでるわ、ありがとう。ガルドさん、アンジュがこんなに綺麗になって! 瞳が嬉しくてキラキラしてるわ!」
女将は自分の従魔の変化にすぐ気付き、澪の膝から離れないアンジュの頭を、優しく撫でた。それからそうっと、アンジュを床に下ろした。
「これからご飯だから、アンジュは仕事をしておいで。あぁ、こんなに白い毛が輝いて、アンジュから良い魔力が伝わってくるわ、なんだか元気になったみたい」
ガルドはもうテーブルに置かれた朝ごはんに手を付けていて、パンにペーストを塗りながら、スープを流し込んでいた。そしてもぐもぐ口を動かしながら、同時にしゃべる。
「ああ、乱れてた魔力回路をこいつが治してたぞ」
「治すっていうか、あの、コームでとかして毛もつれをほどいてあげたり、他にも調子が悪いところにスキルを使うと、魔力回路の渦巻きが綺麗に回るようになるんです」
澪なりに一生懸命説明した。が、女将は首を捻っている。普通の人には従魔の魔力回路が見えない、ただなんとなく感じられる程度らしい。
ガルドはガツガツと朝ごはんを食べながら、澪に頷いて見せた。
「ほら、澪、お前も早く食え。ーー女将、こいつはな、特殊なスキルと道具と技術を持ってるんだ。それを他のやつに悪用されたりしないように、俺がしばらく面倒見てやるつもりだ」
食べ方はあまり美しくないが、ガルドの言葉は温かいものだった。澪は感謝します、と呟いてから、朝ごはんを食べ始めた。
女将はなるほどと頷いている。
「澪ちゃんスキル持ちなのね。それはすごい事だわ、だけどガルドさんの言う通り、悪い人に誘拐されたり、奴隷にされたり、危険も一般あると思う。うちじゃやっぱり、限界があるからね。ガルドさん、まだ子供だから、優しく守ってあげてね。澪ちゃんの力は、本当にすごいわ」
「ああ、言われなくてもそうしてやるさ。俺もこいつの技術も、道具も、気になって仕方ないんだ。なんたって、俺のヴァルクの事を助けてくれたんだからな」
名前を呼ばれて、外で走り回っていたであろう、ルーチェとヴァルクが店内に転がり込んで来た。二人ともハァハァとパンティングして息を切らせている。
よっぽど激しく遊んでいたようだ。
食堂の隅には、きちんと従魔用らしき飲み水が置いてあり、二人は仲良くそのバケツから水を飲んだ。
「あの、スキル持ちって、そんなに珍しいんですか……?」
恐る恐る、澪は聞いた。聞かずにはいられなかったのだ。二人の口ぶりからして、スキルがあること自体が、珍しいようだが、どのくらい珍しいことなのだろう、と。
するとガルドが口を開いた。もう彼の前に並んだ朝食は、全て空になっている。
「そうだな、百人いたら、スキル持ちはだいたい一人か、二人いるかどうか。それくらい、スキル持ちってのは、少ないんだ。しかも、内容もいろいろでな。役に立つものもありゃあ、何の役にも立たんスキルもある」
それからガルダは澪の方に身を乗り出して、
(俺のスキルは後で、工房でみせてやる)
と囁いた。
ガルドもスキル持ちと聞いて、澪の気持ちがなんとなく軽くなる。
もちろん、神様がくれたスキルは大切なものだし、有り難い。だけど、この世界で澪一人だけ浮いてしまったらどうしようとか、なんか悪魔と契約してるとか、呪術だとか、悪い方に取られてしまって捕まったりしないかなんて、そんな心配だって頭をよぎってしまった。
でも。
澪がここに来たのは、犬ーー従魔ーーをトリミングするため。
そのためだけに、たった一人、異世界からやって来た。そして、今はもう一人じゃない。ルーチェがいる。ブラックトリミングサロン時代には叶わなかった、自分の犬を飼う、という夢が叶ったのだ。
あの頃は、家に帰る時間が少なすぎて、犬を飼うなんて夢のまた夢で。ずっと夢見てきたことが、ルーチェのおかげで叶った。
澪が神妙な顔つきでいるのを見て、ガルドは彼女の小柄な頭をわしゃわしゃと撫でてやった。
「安心しろ。悪いことなぞ起こらんよ。俺がついてるからな」
「そうよ、ガルドさんは平民の私たちと一緒に気兼ねなく過ごしてくれてるけどね、王国一の名匠として、男爵の名誉爵位をもらってる、本当にすごい人なの」
男爵! 北海道の大地に眠るホクホクした丸いものを一瞬想像した澪は、自分の頭を殴りたくなった。
(この世界には、身分制度があるんだ。貴族制度……全然分かんないけど、大丈夫かなぁ)
澪の不安を感じ取ると、ルーチェはすぐさま寄ってきて、澪の手に鼻先を擦り寄せてくれる。
その仕草も、澪を想ってくれている気持ちも嬉しくて、胸が熱くなった。
「さぁ、食べ終わったか。しっかり食べたか? これから工房だからな、頭を使うと腹が減るぞ、しっかり備えておけ」
「食べられない事になら、慣れてますよ、大丈夫です!」
澪は明るく答えたつもりがーー彼女の返答を聞いて、ガルドと女将の顔色が変わる。
(も、もしかして、子供扱いされてるし、虐待されて食べられなかったとか、そういう誤解させちゃった?)
焦って二人の顔色を伺うと、二人とも悲しそうな顔を少しだけ浮かべてから、うんうんとお互い顔を見合わせて頷いている。
ヴァルクは「バウ」と小さく吠えて澪の足に体を擦り寄せてくれた。
「よし、よーく分かった。この先、メシのことは心配するじゃないぞ。俺がついてるからな。部屋の鍵はあるか? 女将に預けて、工房に行くぞ」
澪は頷いて、部屋の鍵を女将に渡した。女将は優しく澪の手を握り返してくれる。その両手が温かくて、なんだかほっとして涙が出そうになった。
(お母さん、お父さん、お兄ちゃんに……おじいちゃん、おばあちゃんにも、もう会えないんだ。この世界で、一から頑張るしかないんだ)
それでも。ブラックトリミングサロンでは孤独以上につらい日々を送っていた。パワハラも受け続けてきた。それに比べたら、ここではトリミングをすると喜ばれるし、犬も沢山いて、夢のような世界にいるんだ。
大股で出ていくガルドを、澪は小走りに追いかけた。ヴァルクはガルドの左側に忠実に付いて歩き、ルーチェはというと、好奇心を満たしたいのか、あちこちの匂いを嗅ぎながら、離れすぎないように澪について来ている。
ガルドの横に追いついたところで、澪は少し息を切らしながら、口を開いた。
「あのっ、ガルドさん。私、ガルドさんに話したいことがあって」
長身の男が、なんだ? と不思議にそうに澪を見下ろしてくる。本当に背が高い。そして当たり前だが足が長い。痩せているわけではなく、しっかりした体つきをしている。この人が着る服は、手足が長すぎて普通じゃ売ってなさそう。
とか考えていて、はっと我に帰る。
「あの、私、もう21歳なんです!!」
その瞬間、ガルドの足が止まり、雷が落ちたかのように、手をぶるぶると震えさせ始めた。そして重そうに、口を開く。
「な、なんだと……?」
子供だと言う誤解を解かなくては、と思って話した、だが、予想以上の反応に、澪は不安になる。年齢詐称が罪だったらどうしよう? でも子供と思い込んだのは向こうで、澪は何も言っていない立場ではある。
ガルドは澪に向き直った。
「そうだったのか! お前! 見た目が子供っぽすぎるぞ! い、いや、悪い意味で言ったんじゃない。てっきりもっと小さい子供だと思ったんだ。見た目がな、イングロンの住民とは違うから、分かりづらかった。そうか、もう立派な大人に近い年頃なのか」
そして、気まずそうに後ろ頭をぽりぽり。ヴァルクは「クーン」と見てられないと言わんばかりに顔を洗っている。猫じゃないのに。
「す、すみません……子供っぽくて。一応、私がいた世界ではもう大人扱いで、仕事もしていました」
「なるほどな。妙に礼儀正しい子供だとは思ったんだ。だがなぁ、まさか21とは」
「ガルドさんはおいくつなんですか?」
澪は「子供っぽい」と言われたことが少しだけ引っかかったが、確かに背も低いしノーメイクで童顔に見えるかもしれない。前にいた世界で見ても、日本人は幼く見えると言われていたし。
ガルドはこの世界で何歳なのだろう。疑問に思って聞いてみた。
「俺か? 俺は35だ。もういい歳だが、職人としては技術に磨きがかかる年頃だな」
とことん職人視点のガルドは、35歳とのこと。
兄と見るには少し年上過ぎるし、父と見るには若すぎる。
不思議な歳の差の二人は、とりあえず工房までやって来た。早く入れと、ヴァルクが扉を開けて澪を歓迎している。
「おじゃまします」
「まぁ、入れ入れ。お前が大人なら、話は早い。まず、お前がどこか遠くから、神様の手で連れてこられた、ってのは分かった。天涯孤独の身で、ここ、イングロンでこの先、生きてかなきゃならん、ってのも俺は分かってるぞ」
椅子を差し出され、澪はそこに座った。ガルドは澪の肩に手を置こうとしてーーやめた。子供だと思っていたから安易に体に触れられたのだ。
21の大人の女性の体に、勝手に触れるのはマナー違反もいいところだ。
澪は「天涯孤独」という言葉に胸がずきんとして、じわりと涙が浮かぶのを感じた。
その時、ヴァルクにちょっかいをかけていたルーチェが、主の異変に気付いてすぐ駆け付けてきた。澪の膝に飛び乗り、彼女の顔に鼻先を擦り寄せる。
「そっか、ルーチェがいるから……この子がいるから、天涯孤独じゃあ、ないですよ」
澪は泣き笑いの表情で。ルーチェを抱きしめる。
「そうだな。それに、俺とヴァルクもいる。さぁ、湿っぽいのはやめだ! 今日は澪の道具を見せてもらうぞ。今後、必要になりそうなものも、あれば教えてくれよ」
なんと頼もしい言葉だろう。澪は涙をぬぐうと、ジャンパーのポケットに入れていたシザー、コーム、そして片手で持ち運んでいた小型魔力ブロワーをテーブルの上に置いた。
すぐガルドは職人の顔になる。まずシザーに手を伸ばし、様々な角度から観察する。「こんなに繊細な作りは……鋳型か? うーむ、神の技か」とぶつぶつ言っている。
「おい、これはハサミだろ? なんでこんなに指入れが狭いんだ?」
「それは、親指と、薬指だけを掛けるからなんです」
「なんでそうなる??」
なんで……と聞かれて、澪は犬の美容専門学校にいる頃のことを思い出した。あの頃、学校の講義でシザーについて勉強した内容を、なんとか思い出す。
「えーと、犬……じゃなくて、従魔の毛をカットする時。何回もハサミを素早く開閉させたいのと、刃先がカットしてる時ブレないようにと、長時間カットしても疲れないように……っていう理由で、私が元々住んでいた国で、考案されたらしいです。普通のハサミ、ありますか?」
澪が聞くと、ガルドはガタン! と椅子から立ち上がり、壁に備え付けの棚の引き出しから、ハサミを取り出して澪の目の前に置いた。
そのハサミは、澪の目には園芸用のようなタイプに見えた。両手の指を入れるところのサイズが同じなのだ。
「えっと、このハサミを何度も開閉すると、手が疲れますよね? それに、刃先もブレます。だからカットが綺麗に揃わないじゃないですか」
「カット? 揃う??」
ハテナマークだらけのおじさんに、澪は「ルーチェをテーブルに上げてもいいですか?」と聞き、ガルドが頷いたので、膝の上のルーチェをテーブルに乗せた。
そして、神様からもらったコームでルーチェの尻尾をとかす。尻尾は長く、毛も伸び伸びになっている。尾の先端をそっと持ち、コームで毛を下に下ろしてから、右手をシザーに持ち変える。
「こうやって、毛をカットするんです。私の国では、なるべく美しく揃えることが重要視されてました」
喋りながら、澄んだ音を立ててシザーがルーチェの尾の毛を切り落としてゆく。緩やかに丸みをつけて、弓なりになるように切ってゆく。
切り終えると、尻尾を上げたり、背中に沿わせたり、手を離して様々な角度からチェックする。
「切り残しが無いか、毛並みは揃っているか、尻尾がどんな位置にあってもカットが崩れないかーーそういう点を、チェックします」
ひとたびシザーを握ると、別人のように真剣な目つきになった澪。
そして、澪の小さくも綺麗な手が、シザーをまるで生き物のように動かす。それは、無機物に命を吹き込む神のようでありーーガルドは、気付けばシザーではなく、澪から目が離せなくなっていた。
「はい、終わりました! ルーチェ、お利口さんね!」
澪は愛おしげにルーチェを抱きしめて、たくさん撫でててから床に下ろす。
ルーチェはカットしてもらった尾を、ヴァルクに見せびらかしているのか、ヴァルクの眼前でお尻と尻尾をフリフリしている。
「ガルドさん?」
名前を呼ばれ、ハッと我に帰る。
「あ、ああ。凄いな。俺には見たことのない、すごい技術だ。これなら、澪、お前は食っていけるどころか、助かる従魔とその主が大勢いるだけじゃない。従魔を美しくカットするっていう、新しい技術もこの世界に広げられる。だがーーまぁ、なんだ、難しい話はまたにして、だ」
ガルドは何かを言い淀む。それは苦しげな表情だったが、一瞬でいつものしかめっ面に戻り。しかめっ面なのに、どこか嬉しそうに見えるから不思議だ。
「お前の技術に乾杯しよう。お前が21と分かったんだ、酒は飲めるだろう?」
にやり、と笑うイケオジ。この顔は、酒好きの顔だーー澪は少し目を泳がせつつ、「はい、少しなら」と控えめに答えた。
そして、ガルドが次々と酒を持って来るのだが、この後、驚きの事実が明らかになる。澪は酒の味音痴な上に、ざるだったのだ。
カットについて
ーー本来ならカットは、シャンプーブローの後、毛が真っ直ぐ綺麗にブローされた状態でカットして行きます。
うねり、クセ、汚れなどがついた状態でカットすると、綺麗に揃わないからです。
今回、澪はカットとは何か? を見せるために、それを分かった上でガルドにやって見せました。
神様コームが思いの外、汚れが取れてうねりも取れるので、その効果もあり、カットも悪くない仕上がりになったようです。
ガルドはそんな職人、澪の姿に目を離せなくなっていましたね。




