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6.異世界初めての朝、早速お手入れ開始!

第6話「異世界初めての朝、早速お手入れ開始!





 何か、温かくて濡れている、ぬめっとした何かが、澪の顔を舐めている。


「うーん……もう、朝なの?」


 眠たい目をなんとかこじ開けると、目の前にルーチェのドアップが。ニコニコの笑顔で、澪の顔を舐めて起こしてくれている。


 窓の外を見ると、明るい。この世界にも太陽があるなら、それが出ているんじゃないかと思う。外に出たら確認してみたいところ。


 コンコン、部屋のドアをノックする音が聞こえた。


「ワンっ」


 ルーチェがまず反応して吠える。すると扉の向こうから「バウッ」と返事のような吠え声がした。


 澪はベッドから降りて、おずおずと扉を開ける。


「おはよう、ございま……す?」


 目の前には、誰も居ないーーと思いきや、ほんの少し視線を下に向けると、そこにはセントバーナード風の従魔が、居た。


(きゃああ、うそ! 本物のセントバーナード!!)


 日本では滅多にお目にかかれない、超大型犬だ。レッドアンドホワイトのパーティカラー。ただ瞳に魔力の揺らぎが見えて、そこは日本で見た犬たちとは全く違う。


「バフゥ」


 吠え声さえ珍しくて面白くて可愛い。

 セントバーナード風の従魔は、のしのしと巨体で澪を押し除けて部屋の中に入ると、カーテンの向こうにある水入りバケツのところへ向かった。


 ワクワクしながら見ていると、従魔はバケツの中に顔を突っ込み、ズズズ……と音を立てて何かしている。澪のところからは見えない。


 次に、器用にバケツの取手を咥えると、空になったバケツを持って、のしのしと部屋を出ていく。


 その後ろ姿を見ていると、神様からもらったスキルが自動で発動するのを感じた。


【従魔毛並鑑定】(非接触)


 腰椎:慢性炎症

 痛覚閾値:低

 忠誠心:普通

 主依存傾向:低

 毛並:抜け毛多・汚れ多


 あぁ、この子も痛いところがあるんだ….そんな様子を微塵も感じさせなかった、おそらく宿の女将か、その旦那さんの従魔。


 澪が触れる暇も無く、従魔はバケツを持って行ってしまった。


 仕方ないので、ベッドを整えて、髪を手櫛で整える。一張羅は、仕事終わりのカジュアルな服。デニムにスニーカー、そしてパーカーの上にはマウンテンジャンパー。雨の日は撥水してくれる優れものだ。ワーキングマンという日本にある作業服メーカーで買った。

 服も一応整えてみる。この世界の服を手に入れて、着替えを用意して、服を洗濯しないと。いつまでも着ていたら、従魔たちより自分の方が汚くなってしまう。


 トリマーは清潔感が大切。犬を綺麗にする仕事だから。

 でも、澪がいたブラックトリミングサロンで働く人の中には、その概念が足りていない人もいた。その人はいつもフケだらけで、そばにいくとすえたにおいがした。

 澪は何も言えなかったが、竹田先輩は面と向かって怒っていた。


「あんた、毎日風呂入ってる!? くさいし、フケすごいんだけど! トリミングルームでくさいにおいさせないでよ!!」


 その人はいつも「はい、すみません」と消え入りそうな声で謝っていた。澪はまだ新人だから、声をかけたりできなかったが、歯痒かった。


 その人が悪いわけじゃない。何か事情があるのかも。

 いつもそう思ってた。


 そんなことを考えていたら、先ほどのセントバーナード風従魔が、水入りバケツを器用に咥えて持ってきた。

 こういう作業をする彼らは、澪の知る犬と違ってすごくレベルが高い動きをしている、と澪は気づいた。犬のように単純ではない。人の命令を忠実に理解し、慎重にこなしているのだ。


「ありがとう。ねえ、あなた、運んでくれたお礼に、少しだけ撫でてもいい?」


 澪が話しかけると、従魔は目線を泳がせて「うーん、どうしよっかなあ」という顔をした後、ちょっとしてから、ずい、と澪に近寄ってきた。


(良かった、触らせてくれる。きっと仕事中だから、少しだけやってみよう)


 先ほど鑑定はしたから、一気にやってみる。


【グルーミングEX】

【皮膚再生】


 この二つは、コーミングしながら皮膚の赤みをケアできるし、鑑定スキルで見つけた腰椎のトラブル箇所にも、再生スキルを使える。使いながらも、コーミングする手は止めない。


 超大型犬のアンダーコートは、本当にすごい。

 ぱっと見、そんなに溜まっているように見えなくても。実は根元で大量に溜まっていて、そこが蒸れて細菌繁殖して悪臭を放っていたり。


 コーミングするたび、ボワァ! とコームいっぱいにアンダーコートが取れてくる。


(これは…やばいわ。この巨大さ、コーミングするの時間かかっちゃう。とりあえず、背線とボディと、関節周り、胸……ああ、キリがない。それに、こんなに大量のアンダーコート、ど、どうしよう)


 宿の部屋には、ゴミ箱らしきものが見当たらない。

 とりあえず、アンダーコートの抜いたやつは一箇所にまとめておく。


 その時、階下から大きな声が聞こえてきた。


「マダン!! マーダン!! まだ終わらないのか? 次の仕事があるんだぞ!」


 それは男性の声で、セントバーナード風従魔はビクッと反応し、そそくさと澪の部屋を出て行った。


(どうしよう、私のせいで怒られちゃう!)


「ルーチェ! 一緒に行こ」


 澪は慌てて部屋を出て、ルーチェと共に階段を降りる。シザー、コーム、魔力ブロワーは忘れない。これは澪にとってこの世界で唯一の財産であり、大切なものだから。肌身離さず持っていようと思っている。


 階段を降りながら、下にいるであろうさっきの従魔ーーマダンと呼ばれていたーーの主に向かって声を上げる。


「すみません! ごめんなさい、私のせいで遅くなっちゃったんです」


 自分が降りるより前に、謝る声が先に響いて行った。

 恥ずかしさと申し訳なさで、顔が赤くなるのを感じながら、澪はルーチェと共に階段を下りきった。


 そこには、女将と、その隣には背が低く恰幅の良い中年男性が居た。男性の方が、先ほどの声の主だろう。二人の足元には、水を運んでくれたマダンもいる。


「おはよう、澪ちゃん。ねぇ、うちの主人の従魔、この子、マダンなんだけど、澪ちゃん、何かした……?」


 女将に問われ、澪は心臓がドキドキして、体が震えるのを感じた。


(怒られちゃう……勝手に人の犬に触っちゃったし、コーミングまでしちゃった……働いてたのを止めさせて、迷惑までかけちゃった……どうしよう、もし怒って出て行けって言われたら、どうしよう)


 澪の目には涙がじんわり浮かんでいる。ルーチェは主の不安を感じ取り、甲高い声で吠えてから、主の足元で守るように身構えた。


「す、すみません。私、あの、勝手にマダンちゃんに触って、ブラッシング、というか、コーミングもして、お仕事の邪魔しちゃったんです」


 だが、帰ってきたのは意外な言葉だった。


「すごいわ! 昨日ガルドさんが言ってたのは、この事なのね?」


 心の底から、感嘆するような声音で。女将は、夫の従魔の背中を撫でた。マダンという名のその子は、背中のアンダーコートを澪に取ってもらったおかげで、毛艶が出て、毛並みも整っている。そして【皮膚再生】スキルによって癒した腰椎が、本当に楽になったようで、澪を見る瞳がキラキラと輝いていた。

 バケツを運んでいた時の目とは、全然違った。


「大したもんだ。手入れっつーのが、どんなもんか分からなくて、たまに櫛で梳かそうとしたことはあったんだが、全然通らなくてなぁ。ちゃんと梳かすと、こんなきれいになるのか」


 マダンの主、女将の夫も嬉しそうで。


 澪は思わず、緊張が解けたのと、褒められた喜びとで、その場にしゃがみ込んで泣き出してしまった。


 すると、見覚えのある黒い背をした大型犬、太いマズルに大きな立ち耳の、ジャーマンシェパード風の従魔、ヴァルクが隣に来て、澪の涙をぺろりと舐めた。


 ルーチェも負けじと反対側からぴょんぴょんして舐めてくれる。


 それから、澪の頭を、ぽん、と大きな手が撫でてきた。


「こいつはな、すごい技術を持ってるんだよ。俺がここまで目をかけるのには、ちゃあんと訳があるんだ。な、ヴァルク」


 ヴァウ!! ヴァルクの主、ガルドがいつの間にか、澪の背後にいて、澪の頭をぽんぽんと撫でてくれていた。

 澪はその大きな手の温かさと、澪を信じてくれている言葉から、またうるっとしてしまう。


「ガルドさん……居たんですか?」


「そりゃ、早く技術を見たいからな!」


 ガルドが手を差し出してくれ、澪はそれを遠慮がちに掴んで立ち上がった。二人の様子を見ていた女将が、にやりと笑う。


「やあねぇ、ガルドさんたら朝早くから来て、澪ちゃんが起きるまで待ってるって言ってね。慣れないところで大丈夫か、心配してるのがこっちまで伝わってくるわよ」


 ルーチェがまたワン! とバウのポーズでヴァルクを誘う。


「遊ぶんなら外でやっておいで!」


 女将に言われ、二匹はすぐさま店外に飛び出して行った。どうやら従魔は、人の言葉をほぼ完全に理解しているようだ。


 マダンとその主、旦那が澪の方にやってくる。


「お嬢ちゃん、マダンを綺麗にしてくれてありがとな。もしかして、もっと綺麗になるのかい……?」


 マダンもキラキラした瞳で澪を見ている。二人同じ目をしていて、思わず吹き出しそうになってしまった。


「あの、えと、できますよ?」


「ダメよ、マダンとあなたはまだまだ仕事がいーっぱいあるでしょ? 澪ちゃんは、朝ごはんを食べなきゃいけないわ。従魔のことは、それから、ね」


 女将に諭され、旦那とマダンはトボトボとカウンターの裏側に消えてゆく。どうやら、この夫婦、女将の方に主導権があるらしい。


「さぁ、座るといいわ! 朝ごはんを出すから、ガルドさんと一緒に食べなさい。まだ子供なのにこんなに痩せてたら、良くないわ」


 女将が澪の肩を掴んで、手近な椅子に座らせる。

 今何時かわからないけれど、他に食堂に客の姿は見えない。

 いるのはガルドだけ。ガルドは大きな身長で、食堂の椅子に座るのに苦心していた。


「朝ごはんを持ってくる間、良かったら私の従魔を紹介するわね。アンジュ、おいで」


 呼ばれてカウンターの奥から現れたのは、キャバリアキングチャールズスパニエルによく似た、可愛らしい大きな瞳の中型犬。コートカラーはブレンハイムで、白い顔の頭頂部には赤毛の丸い模様がある。ブレンハイムスポットと呼ばれていて、愛好家に好かれる模様だ。


「可愛いですね! 優しそうなお顔してる」


 澪はニコニコしてアンジュを見つめる。アンジュもまた、優しい目つきで澪を見ている。


 女将はおもむろにアンジュをわっしと抱き上げると、澪の膝にずっしりと乗せた。少し皮脂のにおいが強いけれど、お料理の匂いも染み付いている。澪に全身を預けて、澪の足からずり落ちそうなのを気にする感じもない。


「アンジュはね、仕事も良くできるけど、お客さんが寒い時、こうして抱っこされて暖めたりもするのよ。さぁ、朝ごはんまで暖を取っていてね」


 そこまで寒くないのだがーーそれはきっと、澪が着ている服がしっかりしたものだからだろう。女将もガルドも、澪よりずっと薄着だ。


「はぁ、キャバリア可愛い……このキラキラのお目目」


「キャ……? お前の言葉は時々分からん。でもそんなことはいいんだ、ほら、そのアンジュで例のスキルをやって見せてくれないか?」


 待ちきれないと言わんばかりに、ガルドが催促してくる。

 その姿が子供のようで、可愛いと思って澪は笑ってしまった。


「分かりました。ーーまず、従魔の全身の状態が、触れると分かるんです」


【従魔毛並鑑定】接触


後肢膝蓋骨:緩め

痛覚閾値:低

忠誠心:高

主依存傾向:高

他者への好意:高

毛並:皮脂、アンダーコートもつれ下半身多


 なるほど、と頭に浮かんでくる情報を読んで澪はつぶやいた。


「そのスキルは、無詠唱な上、お前の頭の中でしか見えないのか」


 残念そうなガルド。自分も見たかったらしい。澪は自分の頭の中に浮かんだ、スキルによって見えた事を一つずつ伝えた。


 それから、シザー、コーム、小型魔力ブロワーをテーブルに置く。

 まず緩くなっている膝からケアしていこう。

 アンジュの膝に手をかざす。


【皮膚再生】


 腰の辺りからお尻、そして膝からかかと、足先へ。優しく、ゆっくりと撫でながら魔力を伝えてゆく。


(だんだん、このスキルに慣れてきた気がする。手が温かくなって、それが吸い込まれると、上手く内側まで伝わってる感じ)


 澪は満足して、今度はコームを取り出した。日本では手にした事のない軽さと、光り輝く艶。そして不思議なことに、コーム自体が冷たくないのだ。


 ガルドはじぃっとコームを見つめる。それはもう、食い入るように、だ。


「……俺は、そこまで細かい目の櫛は見た事がない。しかも、その金属。恐らく、神鋼だ」


 澪はコームをアンジュの背中の後ろ側から、優しく通し始める。スルスルと、部分的にもつれ固まっていたアンダーコートが取れてゆく。

 手は止めずに、澪は聞き返す。


「かみはがね、ですか?」


「そうだ。お前はそれがどれほど貴重なモンか分かってないだろうが、神鋼ってのはな、聖剣とか、神器に使われる特別な金属だよ。まず、手に入れる事ができん」


「えっ!?」


 コームを通しながら、澪は声を上げた。幸い、アンジュはコームが気持ち良いのか、大声に反応せずまったりしたまま。よくお座りするのだろう、下半身の汚れやもつれが多い。特にお尻の飾り毛。しっぽはそんなにもつれていないところを見ると、女将がそこはとかしているのだろう。


「まぁ素人にゃ分からん。だが、お偉いさんや、目利きがある奴に会う時は、気を付けなきゃダメだ。俺が持ち運ぶための鞄を作ってやるから、ハサミも一緒に、そこに仕舞っておけばいい」


 鞄。有り難い話すぎて、澪は(この人はどれだけ親切なんだろう……そして、私はその親切に甘えてて大丈夫なのかな)と不安になった。

 だが、心配は無用だった。


「だからな、その魔道具、お前さんが持ってる小さいやつ、今度はそれを使って見せてくれ。鞄代だと思ってしっかり頼む」


 そういうわけで、澪は小型魔力ブロワーをテーブルの真ん中に置いて、ノズルの先をアンジュに向けた。下半身のコーミングはほぼ完了しているので、もうブローしても大丈夫だろう。特にここは食堂だから、気を遣わないとと思う。


「ふむ……なんだこれは。魔力回路が見たいな。とりあえず、使ってみてくれ」


 ガルドの言うままに、澪は魔力ブロワーのスイッチを入れた。日本で使っていたブロワーの半分以下のサイズで、円柱型のボディは青色。そこにボリューム式のスイッチがあり、短めのノズルが付いている。


 澪がスイッチを入れた瞬間。

 ふわぁ、と柔らかい風がノズルの先から生まれる。


(あ、なんか少し吸い取られる感じ……?)


 澪は一瞬、違和感を感じたが、すぐ分からなくなったのでそのまま風をアンジュに当てた。風は一番弱くして、アンジュの体に当てながら手を当てて魔力回路の渦巻きをチェックしてみる。


(少し、下半身の回路の巡りがおかしい。治さないと)


 見えるまま、感じるまま、澪は手櫛で優しくブロワーを当ててみる。当たるうちに、アンジュの汚れた毛の汚れが飛んでいき、毛がふわっとサラサラになってゆく。背中の毛並みはキラキラと輝くほど艶も出た。


「これで、できたと思います」


 ふぅ、と澪がブロワーを止めると、アンジュがキラキラした瞳で澪を見上げ、鼻を澪の唇に押し付けてから、ペロリと舐めてくれた。

 まるで、ありがとう、と言ってくれているかのように。


「うおお!!!!」


 突然、ガルドが叫び出す。


「何だこれは! こんな魔道具は見た事がないぞ! 汚れが落とせて、従魔の魔力回路を正常にしたんだろう? 俺には、魔力回路用眼鏡が無いと見えなかったがな」


 澪の知らぬうちに、ガルドは片目にメガネをかけていた。メガネと呼ぶのではないかもしれない。時計屋さんが修理の時に使っているやつみたい、と澪は思った。

 どうやらそれを使えば、澪のように従魔の魔力回路が見えるらしい。


 ガルドは興奮気味で魔力ブロワーを見ている。手に取ってみたり、逆さまにしたり、魔力を通してスイッチを入れているがーーなぜか動かない。


 すん、と急に興奮から覚めた様子で。


「澪、お前じゃないと動かないらしい」


 それはそれは、残念そうな呟きだった。


「待たせたねぇ、朝ごはん、張り切って用意したわよ」


 ちょうど良く、女将がカウンターの向こうから料理をトレーにのせてやって来た。


セントバーナードのマダン

・とても力持ち。穏やかというより、主と仕事以外関心がない。実はそれは慢性的な痛みや疲労を抱えていたせいだった。


キャバリアのアンジュ

・後ろ足の膝蓋骨が外れかけていて、でも痛みの感覚はないらしい。割と人懐こいが、それもまた仕事と思ってやっている節がある。

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