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5.眠る仔羊亭に、澪は居を構えた

第5話「眠る仔羊亭に、澪は居を構えた」





「さぁ、着いて来い」


 ガルドが椅子から立ち上がり、工房から出るよう澪を促す。

 草原で会ってシザーを見た時は、「兎に角早く道具作りするぞ!」といった感じだったのに、今のガルドは随分落ち着いて見える。なぜだろう、と澪は不思議に思った。


 ガルドの中で、とても大きな心境の変化があったのだ。澪という存在が、どれだけ特別なのかを彼は知り始めたからだ。

 そして、いくらでも、時間をかけて澪のそばにいようと決めた。


 工房を出たガルドの傍らに、黒い影のようにヴァルクが付き従っている。その足取りは軽く、偏っていた重心も整っている。

 澪はそれを見て笑顔になった。


「ルーチェは抱っこ? それとも歩いてく?」


 自分に従う小さく愛らしい従魔。話しかけると、きょとんと首を傾げた後、当たり前のようにトコトコと歩き出した。

 どうやら、従魔には抱っこされて歩く趣味は、無いらしい。


 先をゆくガルドだが、長身で大股なのに、不思議と置いていかれる感じが無い。


(もしかして、ゆっくり歩いてくれてるのかな)


 澪はガルドに心の中で感謝した。あなたがこの異世界で最初に会えた人で良かった、と。口に出して言うには、恥ずかしい。

 それに、感謝の心は日本人にはあるあるだけど、この王国では、そういう文化がないかもしれない。まだ習慣も何も分からないのだ。


 分かっているのは、言葉は通じること。それから、食べ物も美味しいこと。


 ガルドの後をついていくと、通り過ぎる人々がガルドに声を掛けていた。


「新作は出ました? 今日は工房に篭ってないんですか?」


「ガルドさんの従魔、久しぶりに見ましたけど、元気そうですね!」


 皆が敬語で話しかけている。と言っても、話しかけている人たちも町民といった雰囲気で、ガルドはその中でも尊敬される立場にあるのだろう。


 本人も「この王国最高の匠」と自分の事を言うくらいだ。超有名人だとしても、おかしな話ではない。


 道ゆく人々の従魔を見ているだけでも楽しい、それと同時にもどかしくもなる。みんなくたびれて汚れている。毛玉だらけの子や、毛刈り前の羊みたいな子もいる。みんな、片っ端からトリミングしたい、と澪は思った。


 健康のためにグルーミングを受けた犬は、自信があって美しい。それを澪は知っている。

 ブラックトリミングサロンに就職するより前、愛犬家たちが、自分の愛犬の幸せを願いながら、愛情いっぱいのトリミングをしている姿を見て、澪はトリマーになったのだ。

 それは、魔力で契約するこの世界よりも、前の世界で真に素晴らしいグルーミングを受けた犬と、そのオーナーの絆が本当に深いからなのではないだろうか。


 この世界でも、そういう幸せな子を増やしたい。というか、トリマーだから、汚れている犬、もつれ、毛玉がある犬、カットが適切でない犬を見ると、どうしてもトリミングしたくなってしまう。


(うーん、早くそこらじゅうのわんこをトリミングしたい、キレイにしてあげたい)


 そのためにはどうしたらいいかーーと思ったところで、ガルドが立ち止まったのに気付かず、澪はその背中にドンッとぶつかった。


 澪は尻もちを付いたが、ガルドは微動だにしていない。


「おいおい、大丈夫か? ちゃんと前見て歩かないと危ないぞ」


 ガルドが手を差し出す前に、ヴァルクがすぐ澪の脇の下に頭を入れて、ぐいと澪を立ち上がらせた。


「あ、ありがとうヴァルク。ごめんなさい、ガルドさん、ちょっと考え事してて」


「いや、お前にケガがなきゃ別にいい。見ての通り、俺は職人で頑丈なんでな。ほら、お前は今日からここに住むんだ」


 異世界から来てしまった澪のため、行くあてがないのだと察してくれ、今夜から過ごすところまでも考えてくれた。澪は涙腺が緩むのを感じた。


「ウゥ、ワンっ」 


 ルーチェがガルドに吠える、ーーお前、主を泣かせたな? とでも言いたそうだ。そこへヴァルクがやってきて、前足でルーチェの小さなおでこをちょこんと押した。

 まるで、心配するな、とでも言っているように。


(はぁ、尊い……シェパードとチワポメ風が、おでこに前足乗せる絡み)


 澪はまたしても無意識にスマホを探していた。が、あるわけがない。あるのはシザーとコームと小型魔力ブロワーのみ。

 はぁ、とため息が漏れる。生粋の犬好きの澪にとって、可愛い犬の写真撮影、動画撮影は「しなくてはならないもの」だったのに、この世界ではそれが叶わない。


 澪のため息を違う意味で受け取った男が一人。


「なんだ、ここじゃ気に食わないか? 外は古いが、中はいいぞ。飯も美味いし、部屋が温かいんだ。お前みたいな子供でも、安心して仮住まいできる貴重な宿だ」


 澪のため息を、ガルドは連れてきた先に対する不満と勘違いしたらしい。澪は慌てて手を振った。


「ち、違うんです! すみません、今のルーチェとヴァルクの絡みが可愛すぎて、撮影したかったのに、できなくて悲しくて……。宿は、すごく素敵です、中を見るのが楽しみです」


 実際、石造りの宿は、年季の入った「眠る仔羊亭」という看板も素敵で。扉も年季が入って色が変わった木製のドアが渋い。建物には窓がいくつも付いていて、そこに花の咲いた鉢植えが置いてある。

 花がある宿、それだけでもう、素敵なのだろうと予想がつく。


「撮……? まぁ、そうか、それなら良かった、ここは俺が自信を持って推せる宿だからな。入るぞ」


 ガルドが扉を押すと、ギィ、と蝶番が鳴った後、カランコロンとドアベルが鳴り響いた。

 窓がいくつもあるとはいえ、石造りの建物は少し暗い。だが天井を見ると、電灯ではないと思うが、光る何かがぶら下がっていた。


 室内には四人掛けの椅子付きテーブルが4つ。よくDIYで見るような木製のものだ。それから奥にカウンターがあって、その奥が調理場になっているようだ。


 カウンターの左端、そこに小柄な中年女性が立っている。

 ガルドを見て、にやりと笑った。豪快さと、温かみのある笑顔だ。


「《眠る仔羊亭》へようこそ。ガルドさんに、見知らぬお嬢ちゃん」


「こいつは、澪だ。町の外に居るところを、連れてきた」


 澪はガルドの説明を聞いて、そう説明するしかないですよね、と心の中で頷いた。突然この世界にやって来ました、住んでいたところは日本です、別の世界です、と言っても誰も信じられないと思う。


 受付の中年女性は澪に笑顔を向けてくれた。


「あらま、家出かい? それとも迷子? まだ小さいのにねえ。ガルドさんが見つけてくれて良かったよ、人攫いにでも会ってたら、どうなってたか。あら? お嬢ちゃんは、すごく綺麗な従魔を連れてるのね」


「女将、世話話は後でいいだろう。澪はしばらくここで世話になるからな。まず、部屋を案内してやってくれ。ここのルールも教えてやってくれよ、世間知らずの子供なんだ」


「こっ、子供じゃ……」


 もう成人して、就職もしてるのに。澪は反論しようとしたが、ガルドの視線が「黙ってろ」と言っていたので、慌てて口を閉じた。


 女将はにこにこして、


「そうね、ガルドさんがせっかく、可愛らしいお客さんを連れて来てくれたんだもの。お嬢ちゃん、名前は?」


 さっきからガルドが澪、と紹介しているのに、女将は聞いているのかいないのか。どちらにしても、お世話になる人だ。礼儀正しくしなくては。


「花守澪です、澪って呼んでください。えと、世間知らずというか、ここのことがよく分からないので、良かったら色々教えて下さい」


 精一杯、頭を下げる。そんな澪を見て、ガルドと女将は顔を見合わせた。


「こりゃ、ガルドさんが心配するのも分かるわ。どこから来たのかとか、色々聞かせてね、澪ちゃん。じゃあ、お部屋に案内するわね」


 女将が鍵束を持って、建物の右奥にある木造の階段に進んでゆく。

 澪はもちろん後ろから付いて行くが、ガルドも無言で着いてきた。


 二階に上がると、長い廊下があり、扉が等間隔に五つ並んでいた。


「澪ちゃん、女の子だし、まだ子供だから、一番奥の部屋にしましょうねえ。そこなら、向かいの扉が私たち家族の家に繋がってて、何かあれば扉を叩いてくれたら安心だと思うの」


「それは有り難いな」 


 後ろからついてきたガルドが安心したように言う。彼はもはや、澪の保護者会気分なのかもしれない。

 もしそうだとしたら。


(怖いおじさんかと思ったけど、良い人だし嬉しい。私は子供じゃないけど……そのうち歳を伝えないと、誤解されたままになっちゃいそう)


 女将は奥の部屋の扉を開けて、澪に中に入るよう手招いてくれた。


 部屋の中は、夕暮れの町が見える窓があり、木造のベッドには手縫い風のパッチワークのようなデザインの布団が敷いてある。寝心地は悪くなさそうだ。

 他にも小さな丸テーブルが一つと、丸椅子が二つ。

 それに、壁付けの机と、部屋の隅にはコート掛けらしきものがある。それから、カーテンで仕切られた向こう側には、バケツがある。


 澪が不思議そうに見ているのを気付いたのだろう。女将が入ってきて説明してくれた。


「まずベッドね。テーブルもある。壁のとこのテーブルは荷物置きにしてね。この棒には服を掛けるのよ。それから、トイレは一階なの、一階の食堂と共有だから、夜使う時は酔っ払いに気を付けてね、もちろん私も目を光らせておくから安心しなね。カーテンの向こうのバケツのお水は、毎日夫の従魔が変えるから、魔力を使って温めて体を拭くといいわよ。やり方は知ってるかしら?」


 澪は申し訳なさそうに首を横に振った。

 そのことについて、ガルドも女将も色々想像しているのか、驚く様子はない。むしろ同情しているように、優しく話してくれた。


「バケツに赤い石が付いてるでしょ? そこに触れると、魔力が流れて水が温まるのよ。こういう魔道具は、ガルドさんが一番詳しいから、この先、ここで暮らすならガルドさんに教わるといいわ」 


 澪は頷いた。ガルドが只者ではないことが、よく分かった。そして、彼が信頼できる人だということも。

 ただ、澪には唯一気掛かりなことがあった。

 意を決して口を開く。


「あの、私お金が……」


「それは、いい。ヴァルクの礼だ、ここの宿代は俺が持つ」


 ガルドは前以て決めていたようで、澪の言葉を遮るようにはっきりと言った。

 女将はにこにことガルドと澪を見ている。微笑ましいと思っているのか、プロだから口を挟まないのか。


 町で有名なガルドが女の子を拾ってきた、という話はあっという間に広まりそうだ、と女将は密かに思っていた。


 澪は精一杯頭を下げた。


「ありがとうございます、ガルドさん。お役に立てるよう、私の技術のことも、沢山お伝えしますね」


「ああ、ぜひそうしてくれ。本当なら色々話を聞いて道具の事も打ち合わせたいが、今日はもう疲れただろう。さぁ、お開きにするぞ」


 パン! とガルドが手を叩くと、その長身ゆえか、大きな音がして、ルーチェが「ワンっ」と文句を言うかのように吠えた。


「あ! ルーチェは、えと、従魔は、同じ部屋に泊まっても……?」


 澪の控えめな質問に、あはは! と女将が笑った。明るい笑い声だ。


「もちろんよ! 従魔と離れたら危ないでしょ! この子、本当に世間知らずなのねえ。でも、礼儀正しいし、可愛くて良い子だわ。ガルドさん、うちで安心して過ごせるように私も気にするわね。澪ちゃん、お腹が空いたら一階にご飯食べに来るのよ」


「分かりました、ありがとうございます」


 澪はガルド、女将二人にそれぞれ頭を下げた。


 ルーチェはもうベッドの上に上がり、尻尾を振って澪を見ている。

 女将もガルドも、ゆっくりお休み、と言って部屋を出ていった。部屋の鍵も女将から渡され、澪は扉を閉めて部屋にルーチェと二人きりになる。


「……ルーチェ! 可愛い私の従魔さん!」


 今まで人目があったので、ずっと我慢していた。

 元気になり、従魔になってくれたルーチェを心底可愛がること。それを、実はずーーーっとやりたかったのだ。


「よしよし! よーしよし。可愛いねぇ、綺麗だねぇ。ルーチェの毛の色、キラキラ輝いてるよ」


 澪はルーチェを撫で回し、抱き上げ、膝に乗せたり、寝転がって胸の上に乗せる。ハァハァと笑顔のルーチェも、尻尾がちぎれんばかりに揺れている。


「はぁ、幸せ」


 思わず、言葉が漏れた。

 今日このまま眠っても、明日あの怒鳴り声が飛ぶサロンに出勤しなくて良いのだ。

 朝というには暗い時間に早起きして、誰よりも早く出勤し、掃除をして、オーナーの犬の朝の世話をさせられてきた。だから澪の朝はいつも早かった。そして、1日の仕事終わりは誰よりも遅かったーーそんな生活と、お別れできる。


 この世界で、犬ーー従魔ーーをばんばんトリミングするんだ。

 神様がくれたスキルと、今まで練習してきたトリミング技術で、みんなを幸せにする。


 胸がわくわくする。ルーチェも主のわくわくを感じて、尻尾を振ったままへそ天になって寝転がって、澪にそれを見せつけている。


「ルーチェ! かわいーい!! 明日から、頑張ろうねっ」


 ルーチェを抱きしめると、お日様の匂いがした。魔力で繋がっているからか、ルーチェの嬉しい気持ちが流れ込んでくる。


(あ、そういえば、ルーチェにご飯あげてない……トイレも行かせてあげてないや……)


 ウトウトし始めたが、大事なことを思い出した。ルーチェは痩せ細っているのだ、消化に良くて栄養のあるものを、自分なんかより先に食べさせてやらなくてはならかった。

 もちろん、排泄もさせてあげないと、宿を汚してしまうかもしれない。


 起き上がろうとした澪を、ルーチェが胸の上に飛び乗って押さえるようなポーズをとった。


「ルーチェ? お腹、すいたよね、ごめんね」


 つぶらな瞳はチワワのようで、でもポメラニアンのようなつんとした鼻先をしている。サラサラの被毛に触れるだけで、幸せな気持ちになる。


 ルーチェはふるふると、首を左右に振った。


(わたしは……大丈夫。ミオの魔力をもらうから、ね)


 それは、澪の心の中に響く不思議な声だった。


「え? ルーチェなの?」


 澪は思わず聞き返す。でもルーチェはお座りして、耳の後ろを後ろ足でかきかき、知らん顔だ。


(先輩の怒鳴り声から、犬の声に幻聴が変わったのかな……)


 ルーチェは澪の頬に顔を擦り寄せると、澪の腕の中で丸くなった。まるで、一緒に寝ようと言っているかのように。

 小さいけれど、温かくて、愛おしい。


 澪は小さな命を助けられたことを誇りに思いながら、静かに眠りに落ちて行った。


 1遠くで、誰かが笑った気がしたーーーー


「この世界は、澪を歓迎するよ、ふふふ」


 巨大なもふもふの神様。

 五つの尻尾はそれぞれ色が違うけれど、星屑みたいな輝きを纏っていて。

 神様の嬉しそうな声が、いつまでも澪の耳に残っていた。

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