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2.異世界ではじめて腕を振るう!

第二話「異世界ではじめて腕を振るう!」





 腕の中の従魔は、あまりにも軽かった。

 痩せ細り、毛は汚れ固まり、皮膚は荒れ、命の灯が今にも消えそうな気がする。

 そう思うこと自体、とても恐ろしくて、澪は体を震わせた。


「……大丈夫、もう痛くなくなるからね」


 この犬にしか見えない生き物ーー従魔ーーを勇気付けるためだけじゃない、自分を奮い立たせるためにも、澪は優しく、でも強い意志を持って声をかけた。

 そして、静かに地面へ膝をつく。


 そのとき、足元にふわりと光が落ちる。


 見慣れた物が草むらの上にある。


 ――仕事道具。


 銀色に輝く一本のトリミングシザー。

 滑らかな櫛目のコーム。

 そして小型の、見たことのない意匠のブロワー。

 電源がないけど、動くのだろうか?


 神様の声が、どこかで笑った気がした。


『最低限は持たせたよ〜』


 澪は驚いて目を見開いた。


「……ありがとう」


 自然と、そう零れた。

 迷わずに、シザーを握る。驚くほど手に馴染む。

 刃を開閉すると、空気が澄んだ音を立てた。


 うっとりするほど美しい音を立てて、開閉するシザーだ。

 そして、艶のあるコームを、抱き締めている従魔の毛にそうっと入れる。

 重度の毛もつれ、それがするりと、不思議なほどスムーズに取れた。


【従魔毛並鑑定】


 スキルが自動で発動し、情報が流れ込む。


 毛玉の密度。皮膚炎の範囲。魔力の枯渇度。

 魔力が毛並みに関係しているらしい。

 わからないことの方が多いけれど、今はこの子の状態を良くすることが最優先。

 澪の呼吸が整う。


「いくよ」


 まずは指でほぐす。

 皮膚を支え、引っ張って痛みを与えないようしながら、毛束を左右に割いて分ける。

 絶対に、無理に引かない。


 それから、必要最小限だけシザーを入れる。

 刃が毛を断つたび、絡まりが解放されていく。

 もふもふの神様がくれたシザーは、驚くほど切れ味が良い。


【グルーミングEX】


 光が淡く広がる。

 ある程度毛玉をほぐしたところに、コームを入れる。

 毛玉が、するりとほどける。

 汚れたアンダーコートがするすると従魔の体から離れてゆく。本来ならピンブラシから、スリッカーブラシを順番に入れたりして抜かないといけない。だがこのコームは不思議で、絡まりがあってもするりとほどく力を持っているようだ。

 従魔の身体が、ゆっくり力を抜き始めた。


 特に毛もつれがひどかったところを解くと、従魔は安堵のため息をついた。


「そう。そこ、苦しかったね」


 次に荒れた皮膚へ手を当てる。大きなフケ、赤み、皮膚トラブルの原因になる菌の繁殖がある。


 澪の頭の中に、次に自分がどのスキルを使うべきか浮かんできた。


【皮膚再生】


 小さく呟くだけで、スキルが発動する。

 もしかしたら、呟く必要もないのかも。

 澪の手のひらから温かな光が生まれ、従魔の皮膚に浸透し、赤みが引いていく。


(まるで魔法……って、魔法なんだ、きっと!)


 最後に、魔力ブロワーを構える。

 使い方が自然と頭に浮かんでくるから不思議だ。

 すぐに風がやわらかく吹き抜けた。


【魔力ブロー】


 汚れが風邪と共に落ち、毛がふわりと立ち上がる。

 シャンプーいらずのこの道具、凄すぎる……と澪は感嘆した。

 温水がないとできないシャンプーの工程を、風一つで汚れを落とせるなんて。

 これは、犬の負担も激減できる! もちろん、水やそれを温めて温水にするっていう過程も必要なくなる。澪はだんだん楽しくなって来ている自分に気付いた。


 くすんでいた毛色の奥から現れたのは、淡い金茶色。

 陽光を受けて、やさしく輝く。


「どうかな? 自分の足で、立てそう?」


 スキル【従魔毛並鑑定】を再び使ってみると、枯渇しかけ、同時に乱れに乱れていた魔力回路が、少ない魔力ながらも整って綺麗な渦を巻いているのが分かる。


(渦を巻くようにくるくる円を描く、これが正しい魔力循環なんだ)


 犬のことになると、自然と誰よりも真摯に学ぶ姿勢になる。

 犬の命を預かる仕事であり、彼らの日々の生活に直結している、生活の質を高めるのがトリミングだから。

 命を預かるトリマーは、常に責任を持たなくてはならない、と澪は考えている。


 ただ、勤めていたブラックトリミングサロンは澪以外誰も犬のことに責任なんて持ってなかったけど。

 みんな他人の陰口を叩くのに夢中だったし、犬をお金としてしか見てなかった。


 ーー花守! あんた仕事できなすぎ。無能だよ、む、の、う!!


 先輩に毎日怒鳴られていたせいで、幻聴まで聞こえるようになってしまった。


 澪が先輩の事を思い出して肩を震わせ怯えていると、腕の中の従魔が「きゅぅん」と不安そうな声で鳴いた。


 澪はハッと我に帰る。


「ごめん! いつまでも抱っこしてて。どうかな? 自分の足で、歩けそう? 少し、元気出たかな?」


 慌てて従魔を地面に下ろす。


 先ほどまで、汚れと抜け毛でボロボロ、痩せ細って弱りきっていた従魔。


 今、淡い金茶色の被毛を風になびかせて、耳をぴんと立て、澄んだ瞳で澪を見つめている。


 従魔はゆっくりと立ち上がった。

 一歩。

 もう一歩。


 そして、しゃがんでいる澪の胸に顔を押しつける。


「きゅーーん」


 先ほどとはまた違うトーンで、小さく、鳴いた。

 ありがとう、と言ってくれている。澪はそう感じた。


 澪の視界が滲む。


(私がやりたかったのは、ずっと、やりたいと思っていたのは、これだったんだ)


 ――この子の命を、守れた。


 澪が唯一できる、トリミングという技術によって、目の前の従魔を救うことができた。感動で胸が熱くなる。


 そのとき。後ろから足音と人の気配がした。


「……その刃物」


 低い声が、背後から落ちた。


 澪はドキッとして振り向く。


 そこに立っていたのは、かなりの長身の男だった。


 無精髭はないが、無骨。白髪混じりの頭髪。

 鋭い目。常に顰めっ面。掘りが深く整った顔立ち。


 澪がいた現代日本に居たら、掘りが深く整った顔立ちのイケオジ俳優でもやっていそうだ。特に似合いそうなのは、白い服を着て、ひたすらお風呂に感激するタイムスリップ? ものの映画の俳優さん。

 密かに澪はその映画が大好きで、学生の頃大笑いして観ていたことを思い出す。もうあの世界には戻れないんだ……切ない気持ちと、目の前の俳優そっくりさんの顰めっ面がリアルすぎて、不思議な気分だ。


 ふと見ると、何やら大きな荷物を抱えている。

 それは、木材と工具らしきものが入っている箱。


 視線は、澪の手元――シザーに注がれている。


「見せろ」


 短い言葉。


 澪は一瞬迷い、だが差し出した。もふもふの神様から頂いた大切なものだけど。

 この男からは、危険そうな感じがしないからだ。


 身なりが小綺麗なのもあるし、無愛想だけど、澪のことを不躾に見てくることもない。ただひたすら、シザーだけが気になって仕方ない様子で。


 男はシザーを受け取り、重さを確かめ、刃を開閉する。


 ほとんど聞こえないほど小さな、澄んだ音。


「……なんだ、これは」


 ぽつりと呟く。


「量産品ではないな。鍛え方が違う。どこの名匠の作だ? 南のハドシャか? それとも北のバルガンか? もしや、俺の知らない匠がまだ居るのか?」


 めちゃくちゃ早口だった。どうやらこの男は、道具に対して異常なほど強い拘りがあるようだ。異世界に来たばかりの、かなり世間知らず状態の澪にも、それはひしひしと伝わってくる。


 澪はドキドキしながら、信じてもらえるか分からない、と不安になりつつも口を開いた。


「もふもふの神様から、いただきました」


 男の眉がぴくりと動く。その動きがこれまた澪の好きな俳優さんに似ていて、親近感を覚えずにはいられなかった。


「神様、だと?」


「えっと……いろいろあって」


 澪がどう話せばいいか困っているのを見て、男はそれ以上追及しなかった。


 代わりに、澪の足元で佇む、復活した従魔を見る。

 毛並み。立ち姿。目の光。

 従魔を見つめる彼の目つきは、職人のそれだった。


「主人のいない従魔だぞ」


男の声が低く落ちる。


「普通は三日と持たん」


彼はしゃがみ込み、毛並みに触れた。


「……なんだ、この整え方」


職人の目が、澪を射抜く。


「はい」


 澪は小さく頷く。


「トリマーなので」


「トリ……?」


 聞き慣れない言葉に、男は低く繰り返す。

 しばらく悩んだ後、シザーを返した。

 返す時、シザーを優しく閉じて持ち手の方を澪に向けてよこした。とても丁寧で、敬意を払ってくれたように感じる。


「俺はガルド。魔道具職人だ。鍛治もやるぞ。刃物を打たせたら俺の右に出るものは、この国には居ない」


 身分を示すかのように、木箱を軽く叩く。

 よく見ると、木箱に刻印が入っていた。金床にハンマーのマーク。

 こちらの世界で、何か意味があるものなのだろう、きっと。


「そのトリ……なんたらとかいう技術、俺に見せる気はないか? 見せてくれたら、代わりにお前が使う道具を仕立ててやる」


 澪の胸が、静かに高鳴る。


 自分のトリミング技術を見たいと、気になると言ってもらえたこと。

 前のブラックトリミングサロンでは、そもそも接客すらさせてもらえなくて、裏方だけだったから。


 それが、今は、技術を見たいと言われ、見せたら見返りに道具を作ってもらえるという。そんなありがたい話、断る理由がない。


「はい、いいですよ」


 即答だった。

 ガルドの目が、わずかに細められる。


「お前が必要な道具を、しっかり聞いて設計しないとな」


「え?」


「俺はトリなんたらとかいう職業のやつに、会った事が無い。だからお前から話を聞いて、ゼロから作るんだ。どうだ、ゼロから自分の物を作られるというのは、わくわくしないか?」


 澪の鼓動が跳ねる。


「できるんですか、そんなこと」


「できる。お前がきちんと構造を説明できるならな」


 男の自信は本物のようだ。

 澪に対する態度も、真剣そのもの。

 今まで散々、ブラックトリミングサロンで受け続けてきた、否定も嘲笑もない。


 ただ、未来の明るい可能性だけがそこにある。


 従魔が、するりと澪の足元に寄り添う。


 その毛並みは、煌めきながら風に揺れていた。美しい小型犬が、そこにいる。

 その犬を見て、ガルドは満足そうに鼻を鳴らした。


「さぁ、着いて来い。時間を無駄にはできん、俺の工房に行くぞ」


 歩幅は、澪が追いつける速さ。

 彼の意思決定速度が、あまりに早い気もするけれど。真面目で一直線、そんな雰囲気が漂うガルドという人。異世界で初めて会った人に、澪はホッとするような気持ちでいた。


 この世界で初めて、“急かされない足取り”。


 澪は一歩踏み出す。


 神様からもらった道具一式をを胸に抱え。


 もふもふ神様の声が、遠くで笑った気がした。


 ――この世界の革命、はじまるね。

毛もつれ、毛玉、絡まりをほどく方法について


これは色々な方法、道具があるのですが、

毛質によっても、絡まってる「硬さ」によっても変わってきます。


柔らかい毛なら、左右に指で優しくほぐし、それからピンブラシやスリッカーを入れて、もつれの原因の毛をブラシで取り除きます。


ですが、絡まった状態で汚れたり、シャンプーして乾いてしまうと一大事!

硬い毛玉になり、そう簡単にはほどけなくなります。

その対象についてはまた後ほど物語の中で!

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