10.最強の毛玉と、最強の王国騎士団長、登場
第10話「最強の毛玉と、最強の王国騎士団長、登場」
ガルドに送られて、眠る子羊亭に戻った頃には、外はすっかり暗くなっていた。女将がすぐ気付いて、澪のもとにやってくる。アンジュも尻尾を振りながら、嬉しそうに来てくれた。
「お帰り、澪ちゃん。まぁ、ガルドさんは随分と非常識なことをしますね! こんな子供を、遅くまで連れ歩くなんて」
「誤解だ、女将。澪は21なんだそうだ。この子供みたいな見た目を、すっかり信じちまって、思い込んでた俺が悪かった。とはいえ、嫁入り前の若い娘だ、これからはもっと早く送り届けるよ」
ガルドが謝る理由なんて一つもないのに。澪は何故か胸が苦しくなり、女将に頭を下げた。
「私が悪いんです。歳も言わなくて勘違いさせてしまって。ガルドさんには送り迎えまでしてもらっちゃって」
下げた頭に、よしよしと、柔らかくて温かい手が乗せられた。
「澪ちゃん。ここではね、簡単に頭を下げてはダメなのよ。首を晒すっていうのはね、自分の命を差し出します、って意味になっちゃうの。それに、澪ちゃんの服ね、この辺りでは見た事ない服を着てるでしょ? ガルドさん、野暮ったいから、気付いてるか心配だったんだけど、やっぱり気付いてあげてなかったのね」
女将は腕を組んでガルドを睨み付ける。
まず、澪はこの世界での「頭を下げる」行動の意味を知ってびっくりした。殺されても構いません、と言っているようなものなのだ。そんな恐ろしい事を、何度もペコペコしていたとは。
それに、女将が気付いてくれた洋服のこと。実は澪も気になっていた。
「澪ちゃん、お金はガルドさんから貰って、明日、服を買いに行きましょ。私が一緒に行くわ。私はお店の買い物があるから、帰りはそれを運ぶのを手伝ってくれたら嬉しいわ」
女将の完璧な配慮に、澪はまたしても頭を下げようとして、はっとして固まった。ぎぎぎ、と頭を上げて、「ありがとうございます、嬉しいです、でもお金を出してもらうのは申し訳ないです」と言った。
ガルドは頭をかいてから、
「いい、好きなだけ必要なものを買って来い。靴は俺が仕立ててやるから、それ以外でな。金は、出世払いでいい」
出世払い。果たしてそれが実現できるだろうか。澪が不安そうに女将を見ると、その足元から「ワンッ!」と元気な吠え声がした。アンジュだ。あなたなら大丈夫、と言ってくれているようだ。
澪はすぐさましゃがみこみ、「ありがとうね、優しいアンジュちゃん」と頭を撫でた。アンジュは満足そうに目を細める。
「まぁ、アンジュが仕事以外で人の事に口出しするなんて、初めて見たわ。澪ちゃんは、本当に従魔に好かれるんだねぇ」
笑顔でそう言ってもらえて、澪も嬉しかった。
好きな気持ちをお互いにもてる事、そして認められること。犬はやっぱり、勇気や自信をくれる、と澪は思った。
「さぁ、二人とも、晩御飯を食べてから寝ましょ。今日のメニューは朝吠鳥のスチュアーよ」
何の鳥か、よく分からないけど、この世界のごはんは美味しい。
――それか、前の世界にも美味しいご飯はあったけど、ブラックトリミングサロンで働き詰めで、美味しいと思えなかったのかもしれない。人は、過労やストレスで味覚を感じなくなるって言うし。
そういうことにも、気付く余裕が出てきたように思う。
ガルドが持ち前の長身のせいで、苦心しながら何とか食堂の椅子に座り、澪はその向かいで難なく椅子に座る。
「そうだ、明日、洋服を買うなら、店で、『貴族の家に行くのに格が合うもの』を買って来い。普段着ももちろん買うんだぞ。それとは別に、お前を紹介したい貴族の家に行かないといかんからな」
そいうえば、そんな話もあったな、と澪は苦笑いする。ガルドの顔に泥を塗らないよう、きちんと良い仕事をしなければ。
「そのためには、良く食って、良く寝るんだぞ!」
澪の考えを読んだかのように、ガルドは笑いながら言った。そこに、女将が湯気の立つ料理を運んでくる。白いシチューのようなものの中に、色々な野菜、そしてクリーム色の肉が入っている。
一人じゃない、美味しい食卓。それに、ルーチェがいつも見守ってくれている安心感。他の従魔たちの、温かい歓迎の気持ちも伝わってくる。
澪は、肩から下がる藍色の鞄を撫でながら、一日、一日とこの世界が好きになってゆく自分に、気付いた。この世界を大切にしたい、この世界の役に立ちたい。
そう願って、夜はルーチェと眠りについた。
――――そう、思ったのに。
ここは城下町の、様々なお店が軒先を連ねる商店街。朝一番で女将と買い物に来て、今、女将は仕入れのため周辺の店を回っているため、一緒にはいない。
澪は、冷たい石畳の上に膝をついて、自分を冷たく見下ろす男を見上げていた。
その男の為に膝をついたのでは、ない。澪と男の間に、優雅に立つ従魔――その子は、澪がアフガンハウンドと呼んでいた犬種にそっくりで、長い被毛を優雅に――は揺らしておらず、毛玉だらけで大変なことになっているのだ。
その子に触れようとした瞬間、男に突き飛ばされた。
漫画の世界から飛び出て来たような、長い金髪を揺らしている超美形。
(自分の髪の毛は手入れできてるくせに)
澪はそう思った。男は澪よりは年上だろうが、若く端正な顔立ちで、金髪碧眼がまるで王子様のようだ。普通の女性なら、10人のうち10人が「かっこいい」と認めるかもしれない。
でも、澪は違う。
(この人、全然手入れができてない)
じっと男を見つめる澪の瞳に、だんだん怒りが滲んできたことに気付いたのか、男は冷たく言い放った。
「無礼ですね。突然他人の従魔に触れようとするなんて。しかも、王国騎士団の制服を着た者の従魔に。貴方、命が惜しくないのですか?」
敬語だが、慇懃無礼にしか聞こえない。
澪が反論しようとした瞬間、ルーチェが光のように男の前に飛んできた。
「ヴゥ!! ガァウ!」
ルーチェが威嚇の吠え声を出す。だが、小型犬サイズのルーチェと、剣も下げている成人男性。ルーチェの方が危ないとすぐ澪は思い、
「ルーチェ、こっちにおいで!」
と呼んで、男から守るように抱き締めた。
それを見て、男は首を傾げる。
「何故、従魔を前に立たせないのですか?」
「なぜって、この子は小さいでしょ、あなたみたいな乱暴な人が、もし蹴ったり、叩いたりしたら、危険だから。守ってあげないと」
「ハッ」
男は澪の台詞を聞いて短く嘲笑った。
「従魔を、守る? おかしなことを言う人ですね」
辺りには、だんだん人だかりができ始めていた。朝一番の時間帯から、買い物に来る人が増えて来たのだろう。澪は膝をついたまま、男の従魔――毛玉でガチガチのアフガンハウンド――を見つめた。
「この子、全身毛玉で、少し動くだけでも、痛いはずです。関節の可動域も限られてしまって、本来の運動能力を発揮できないだろうし、皮膚炎だって、ここまでひどい毛玉だと、色んなところにあるかもしれません。どうしてこんなになるまで、放置してたんですか」
澪ははっきり言った。ブラックトリミングサロン時代では、絶対できなかったことだ。当時はお客様が絶対だったから、少しでも責めているように聞こえるような言葉は使ってはいけないと強く指導されていた。
でも、今は違う。お金をもらう相手でもない、ただの失礼な男相手なのだから、と澪は思う。
男がどうこうという以上に、こんなに毛玉を抱えて、この子はどれだけしんどい思いをしているのだろ、そう思うと涙が出そうになる。
「なんと、他人の従魔の手入れに口出しまでするとは。無知なのか、何なのか」
呆れてるのはこっちのほう、と澪は心中で思った。
見れば分かるだろう。きちんと、両の目を見開いて、自分の従魔を見てやれば、分かるだろう。
ルーチェはサラサラの金茶色の被毛を風になびかせ、そのつぶらな瞳は陽の光を反射して宝石以上に輝いている。
対して、アフガンハウンドは瞳に光が無い。首を下げ、どこかくたびれた様子で。
「ワンッ」
ルーチェが澪の腕を飛び出し、アフガンハウンドにやんわりと吠えて声を掛ける。アフガンはゆっくりとルーチェを見、互いに鼻を合わせて挨拶を交わす。
その後。
「なっ、なんだと……」
アフガンの方から、澪に歩み寄ってきたのだ。
男は信じられないと言わんばかりに、肩を震わせている。澪はそんな男は無視して、アフガンの体に触れた。
【従魔毛並鑑定】(接触)
関節炎:軽度(関節拘束状態)
皮膚:軽度炎症(臀部)
痛覚閾値:低
忠誠心:高
主依存傾向:普通
毛並:危険
赤い文字で危険と表示されている。皮膚炎の位置も分かった。澪は人目をはばからず、魔力ブロワーを傍らに置き、藍色の鞄からコームを取り出す。
「ん? その鞄の刻印は……」
男がガルドの作った鞄の刻印に反応を見せた時――遠くから一気に、黒い獣が駆けてきて、澪の傍らに寄り添って立った。
それは、ガルドの従魔、ジャーマンシェパードを彷彿とさせる姿の、ヴァルクだ。
『ヴァルク!』
男と澪の声が、重なる。
澪はびっくりして男の顔を見上げた。男の方も、澄ましてはいるが、驚いた顔を隠しきれていない。
「……何やってんだ! レオンハルト!!」
遠くから、聞き覚えのある声の、怒声がした。
アフガンハウンド
ノアの方舟をご存知ですか。あの船にはすべての生き物が一種類ずつ乗せられたと言われているのですが、犬の中の代表として乗せられたのが、アフガンハウンド、という逸話があります。(真偽は明らかではありません)
とにかく厄介な犬種で、シングルコートは人の髪よりずっと細いストレート、それを伸ばすのがスタンダードなので、毎日2時間もお手入れする飼い主さんも多く。
運動量も多いため、ドッグランで走らせなければなりませんが、そうすると足の豊かな毛に体力の枯れ草やチクチクした植物の種子、昆虫なんかも潜んでいたりします。
そのため、車にトリミングテーブルを積んできて、乗せる前にそこに犬を上げてブラッシングしている飼い主さん、なんていう姿を見る事も。




