EP 9
神々のサボり場「麺屋 泥亀」
太郎国の夜は明るい。
魔法灯とネオンサインが輝く歓楽街は、冒険者や商人たちの熱気で溢れている。
だが、その喧騒から一本路地裏に入った静寂の中に、その「屋台」はひっそりと出現する。
赤提灯に書かれた文字は『泥亀』。
漂ってくるのは、濃厚にして芳醇な豚骨スープの香りだ。
「……親父、替え玉だ」
「承知した」
屋台の主人は、渋い低音で答えた。
彫りの深い顔立ち、整えられた白髭、そして高級スーツの上から掛けた前掛け。
彼こそが、かつて邪神を封印した三柱の調停者の一角――『竜王デューク』である。
彼は湯切りザルを振るう。
チャッ、チャッ!
その動作は神速。一滴の湯も残さず、黄金の麺を丼へ滑り込ませる。
「はい、お待ち」
「ん……ありがと」
丼を受け取ったのは、カウンターの端で管を巻いているジャージ姿の女だ。
足元はサンダル、片手には『ストロング系チューハイ(ロング缶)』。
彼女こそ、この世界の創造主にして管理者、女神ルチアナである。
「はぁ~……生き返るわぁ。やっぱ仕事の後の豚骨と酒は最高ね」
「ルチアナ様、仕事などしておりましたか? 今日は一日中、タロウ国王の執務室で漫画を読んでいたように見えましたが」
デュークが葉巻(調理中は火を消している)を弄びながらツッコミを入れる。
「バカね。あれは『視察』よ。タロウが持ち込む地球のエンタメが、この世界に悪影響を与えていないかチェックしてたの」
「……で、どうでした?」
「『呪術廻戦』、面白かったわ。あとタロウから巻き上げた『ピアニッシモ』も美味い」
ルチアナはプハァと酒を煽り、メンソールのタバコに火をつけた。
完全にダメな大人だ。
神の威厳は、屋台の換気扇と共に吸い込まれて消えていた。
「いいご身分ですねぇ、ルチアナ様は……」
その隣で、ドンと音を立てて熱燗の徳利を置いた美女がいる。
燃えるような赤髪に、疲労困憊のオフィスレディ風スーツ姿。
調停者の一角、『不死鳥フレア』だ。
彼女の目の下には、濃いクマができている。
「こっちは今日だけで、魔物の氾濫を3件、国境紛争を2件、邪神の封印チェックを5ヶ所回ってきたんですよ!? 全部ワンオペで!」
「あらあら、お疲れ様フレアちゃん。働き者ねぇ」
「誰のせいですか誰の! 貴女が適当にスキルをばら撒くから、バランス調整で私が死にそうなんですけど!?」
フレアは涙目で叫び、お猪口を一気に空けた。
「ああもう! こんなに残業ばかりじゃ、お肌も荒れるし婚期も逃すわ! 私、不死鳥なのに過労死する自信がある!」
「まあまあ。我の特製チャーシューでも食って落ち着け」
デュークが小皿に盛った炙りチャーシューを差し出す。
フレアはそれを口に放り込み、咀嚼しながら泣き伏した。
「うぅ……美味しい……。デューク、貴方もズルいですよ。なんで竜王がラーメン屋やってるんですか。手伝ってくださいよぉ……」
「断る。我はこの『呼び戻しスープ』の番で忙しいのだ。タロウ直伝のこの製法、火加減を一秒でも間違えれば風味が飛ぶ」
デュークは真剣な眼差しで寸胴鍋を見つめた。
かつて世界を救った力は、今やスープの炊き出しに使われている。
「それにしても、タロウ国……面白いことになってるわね」
ルチアナが酔った目で呟いた。
「本来なら、人間・獣人・魔族の三竦みで戦争させて、人口調整する予定だったんだけど……タロウが全部ぶっ壊しちゃった」
「ええ。戦争どころか、みんなタロウ国の『風呂』と『飯』に依存して、骨抜きにされていますからね」
「ま、いっか。面白いし。それに、あそこに行けば地球のお菓子も手に入るしね~」
ルチアナはケラケラと笑う。
この世界の管理者は、とてつもなく緩かった。
その時だ。
路地裏の静寂を破り、チャラついた声が響いてきた。
「よぉーっす! やってるぅ?」
暖簾をくぐって入ってきたのは、銀髪の青年。
耳にはピアス、首にはシルバーアクセ。そして口には『マールボロ・アイスブラスト』。
調停者最後のひとり、『狼王フェンリル』だ。
「……帰れ、駄犬。貴様の食わせるラーメンはない」
「冷たいこと言うなよオッサン! いやー、今日もパチンコでスッちゃってさぁ! 財布スッカラカンなんだわ!」
フェンリルは悪びれもせず、フレアの隣に座り込んだ。
そして勝手に彼女の熱燗を奪って飲む。
「あー、負けた負けた! 新台の『CR魔神討伐』、激アツ演出外したわー。ありえねぇよな?」
「……(ピキッ)」
フレアのこめかみに青筋が浮かぶ。
彼女が死ぬほど働いている間、この狼はパチンコを打っていたのだ。
「でさぁ、腹減ったからラーメン奢ってくんね? チャーシュー増しで」
「金がないなら帰れと言っている」
「ケチケチすんなって! ……あ、そうだ。久々に力比べしようぜ? 俺が勝ったらタダ飯な!」
フェンリルはニヤリと笑い、全身から冷気(闘気)を放出した。
屋台の温度が一気に氷点下まで下がる。
スープの表面が凍りつきそうになった瞬間――デュークの眉がピクリと動いた。
「……貴様」
デュークが静かに葉巻を置いた。
「我のスープを冷ました罪……万死に値するぞ」
カッッッ!!!!
屋台の中で、太陽のような黄金の光が炸裂した。
竜王の口元が開き、圧縮されたエネルギーが迸る。
「――『アルティメット・バースト(営業妨害排除)』」
「ちょ、ま――」
ドゴォォォォォォン!!!!
黄金のブレスが、フェンリルを直撃した。
狼王は悲鳴を上げる間もなく、路地の向こう側、遥か彼方の空へと星になって消えていった。
……シーン。
屋台に静寂が戻る。
デュークは何事もなかったかのように、スープをかき混ぜ始めた。
「……ふん。少し温度が下がったか。火力を上げねば」
「相変わらず容赦ないわねぇ、デュークは」
ルチアナは面白そうに笑い、フレアは「はぁ……またあのバカ狼の治療(回収)も私の仕事ですか……」と絶望的な顔で机に突っ伏した。
神々が集う夜の屋台。
そこには、世界を揺るがす力と、どうしようもない人間臭さが同居していた。
タロウ国が平和なのは、あるいは彼らがこうしてサボっ……息抜きをしているおかげなのかもしれない。




