遊歩道のベンチで初恋の人を待っています
地方のとある大きめの病院に、入院患者の心を慰める為に作られたちょっとした庭園と、それに続く遊歩道があった。
遊歩道には四季折々に咲く樹木が植えられており、途中には休憩用のベンチが低木に埋もれるように置かれている。
ある晴れた日、春の日差しを受けながら、私はそのベンチに腰掛けて待ち人を待っていた。
彼にあったのは10年前。
ちょうどこのベンチの陰に身を縮こませて隠れていた時だった。
「……お前、そんなところで何やってるんだ?」
見れば二、三歳年上の男の子が、私を見つけて訝しげに声をかけてきた。
誰かに見つかった事に焦り、男の子に懇願する。
「お願い黙ってて!見つかったら手術させられちゃう!」
「………手術から逃げてきてそんな所に隠れてるのかよ。」
すると男の子は、『しょうがないな。』とでも言いたげな顔で、私を隠すようにベンチに腰掛けた。
パジャマにカーディガンをかけた姿をしているので、この子もきっと入院患者なんだろう。
男の子はこちらを見ずに、空を見上げながら、私に聞いてきた。
「なんで手術から逃げてるんだ?」
「だって………怖いんだもん。」
男の子はどうやら私を隠してくれている様なので、私は正直に彼に気持ちを話した。
「そんなに難しい手術なのか?」
「分かんない。お医者さんは大丈夫だって言ったけど…。」
「ふーん…………弱虫だな。」
馬鹿にされた事にカッとする。
「酷い!何でそんな事言うの?大丈夫って言われたって本当に大丈夫かどうかなんて分かんないじゃない!
もし失敗して死んじゃったらどうするのよ!100%大丈夫かなんて保証があるわけじゃないのよ!」
「分かった分かった!悪かったよ。まあ……そうだな。」
私の剣幕に押されて男の子は謝った。
「それでお前は何処が悪いんだ?」
聞かれて私は深刻な顔で心臓を指差した。
「心臓。穴が空いてるんだって。」
「ふーん、それで手術が必要なわけか。」
男の子が大したリアクションもせず、事も無げな顔をするので、何となく悔しくなった。
「あなたは何処が悪いのよ?」
「俺か?ここ。」
彼は自分の頭を指さした。
「頭!?頭が悪いの?」
キョトンとすれば怒られた。
「ふざけんな!脳だよ!脳に腫瘍があるんだ!」
「ご、こめんなさい。それって大丈夫なの?」
「大丈夫じゃないから入院してるんだろが。」
「そ、そうだよね。じゃあ、貴方も手術するの?」
「いや、……俺はまだ手術は………。」
男の子が言い淀む。
「あっ!もしかして、あなたも怖いの?」
「お前と一緒にするな!まだ手術する必要がないだけだ!!」
「そうなんだ。じゃあそんなに悪くないんだね?」
「……………まあな。(…今は)」
彼はポツリと何か呟いていたけど、それは聞き取れなかった
男の子の名前は 橘 真人 (たちばな まひと)君といった。
この病院に長い間入院しているらしかった。
真人君は入院している割にはとても元気で、私も発作が起きなければ元気だった為、必然的に遊べる相手は真人君だけで、私は真人君について回るようになった。
彼はぶっきらぼうに見えるけど、とても親切で優しかった。
年下の女の子に纏わりつかれても嫌な顔一つせずに、勉強を教えてくれたり、私の体調を気づかいながらいつも遊んでくれた。
真人君は病院の事なら何でも知っていて、私は真人君に色々と教わりながら入院生活を続けた。
入院して直ぐに真人君に言われたことがあった。
「三階の西側の奥の洗面所には、あんまり近づくなよ。」
「えっ、どうして?行っちゃ駄目なんて聞いてないよ。」
三階の西側は病棟のナースステーションの他に機材や薬、処置室等があるが、立ち入り禁止区域ではないはずだ。
なんでそんな事を言うのか不思議に思った。
「病院には暗黙のルールってのがあるんだよ,とにかく奥の洗面所は覗くなよ!」
『やっちゃ駄目!』と言われるとやりたくなるのが子供と言うものだ。
ある日真人君の目を盗んで、三階の西側奥の洗面所をこっそりと覗いた。
そこには電気を付けていない暗い洗面所に、女の人が立っていた。
『電気もつけないで、あの女の人何しているんだろ?』
すると女の人が水を張っ洗面器に顔をパシャリとつけだした。
『!!!???』
女の人はそのまま顔を上げようとしない。しかも何やら震えているようにも見える。
大丈夫かと心配になって来て、思わず近づこうとしたら誰かに腕をつかまれた。見れば人差し指を口に当てた真人君が立っていて、無言のまま腕を引っ張られたのでしばらく彼についていった。
彼は周りに人がいないことを確認してから口を開いた。
「行くなって言ったのに……。まったく。………お前、さっき見た事、話すなよ。」
「どうして?さっきの女の人どうかしたの?」
不思議に思って聞けば真人君が顔をしかめた。
「………泣いてたんだよ。」
「えっ、泣いてたの!?洗面器の水に顔をつけて!?」
どうして泣くのに洗面器に顔をつけるの必要があるのだろうか?
意味がわからなくて小首を傾げた。
真人君は一つ息を吐き出すと説明してくれた。
「水の中で泣くと目が腫れないんだよ。
だから泣きたい時は、ああやって洗面器に顔をつけて泣いてる。」
「どうしてそんな事をするの?」
「子供に泣いたことがバレないようにだよ。………泣いて腫れた目なんて見せられないだろ、
………親は。」
衝撃だった。
だって小児科で会うお母さん達は皆とっても笑顔だったから。
小児科に入院している親達は、そうやって泣けば目が腫れないことを伝えて行くらしい。
知らなかった話に心が痛んだ。
「何でそんな事知ってるの?」
「入院して長いからな…………。」
真人君はいままで何回そんな光景を見てきたのだろうかと苦しくなった。
「……………お前が泣いてどうすんだよ。」
「…………ごめん。」
それから暫くして、私の体調が悪くなった。
「手術を怖がって逃げたツケが回って来たんだ。自業自得だな。」
ベッドから起き上がれなくなった私のお見舞いに来た真人君が、腕を組んて見下ろしながら、呆れた顔で言った。
「酷い!それが苦しんでる人に言う言葉なの!?」
ジロリと布団から目だけを出して睨めば、真人君が溜息を吐いた。
「手術すれば治るって言われているんだろ?だったらいい加減覚悟を決めて受けたらどうだ?
手術出来るだけでも、お前ラッキーなんだぞ?親にもこれ以上心配かけるな。」
「………………………。」
ここに入院するようになって、色んな病気と闘う子を見た。
直ぐに退院する子もいれば、真人君の様にずっと入院している子、毎日苦しそうにしている子、無菌室から出られない子、色んな子がいた。
中には手術しても治らない子だっている。
私は手術すれば治るし、手術もほとんど失敗しないと先生は言ってくれているのだから、恵まれているのだと頭では分かっている。
あの洗面器に顔をつけていた女の人を見てからは、親に心配をかけている事に申し訳なさでいっぱいにもなっている。
だけど怖い事に変わりないし、もう一つ手術を受けるのに踏み出せない理由があった。
「………………だって……跡が残るから……。」
「はっ?」
「胸の真ん中に手術の跡が残るって聞いたんだもん!」
「はぁ!?お前そんな事気にして手術から逃げてたのか?」
真人君が信じられないと目をまん丸にして呆れた声を上げた。
「そんな事じゃないもん!一生残る傷跡なんだよ!
水着とか胸元が開いた服とか着れなくなるじゃない!」
「命がかかってる時に馬鹿じゃないのか!お前!!そんなの気にしてる場合じゃねえだろ!」
「そんなのでもないもん!!真人君は男の子だから分からないんだよ!
胸に傷なんか残ったら…………。そしたら………。………もういい!!」
がばりと布団を頭から被って不貞腐れた。
理由を言ったらもっと馬鹿にされると思ったからだ。
「おい!なんだよハッキリ言えよ!気になるだろ!傷が残ったら何だって言うんだよ!!」
真人君がグイグイと布団を引っ張って引き剥がしに来る。
「ちょっ!やめてよ!引っ張らないでよ!!」
「止めてほしいなら言え!早く言え!!さっさと言え!!!」
私の態度が気に食わなかったのか、真人君は言え言えと譲らなかった。
布団を奪われ、とうとう根負けした私は、やけくそ気味に叫んだ。
「花嫁さんになれなくなっちゃうからよ!!!!」
「はっ?」
自分で聞いてきた癖に、目が点になる真人君。
ムカついて思いっ切り睨んだ。
「小さい頃からの夢がウェディングプランナーなの!!
それでいつか自分で考えたプランで自分でデザインした綺麗なドレスを着て花嫁さんになるのが夢だったの!!
それなのに胸に傷なんかあったら可愛いウェディングドレスが着れなくなるでしょ!!
今時お嫁さんが夢なのがおかしかったら、笑いたければ笑いなさいよ!
でも嫌なものは嫌なのよ!!!!うっ、ううっ、うえ〜ん!!!」
布団を奪い返して、蓑虫の様に包まって泣いた。
私だってそんな事より命が大事な事なんて分かっているが、夢なのだ。
小さい頃に親戚のお姉さんの結婚式に憧れて以来、素敵なウェディングドレスのデザインを考えたり、結婚式のプランを考えたりと、我ながら乙女チックで恥ずかしいとは思うけど、いつかウェディングプランナーになって、自分の考えたプランで最高の花嫁さんになる事を本気で夢見てきたのだ。
「えっ………いや………あ…の………その……。」
布団を被ってえんえん泣く私に真人君は大いに戸惑っているようだった。
だけど知らんぷりしてグズグズ泣いた。
「………な……なあ。俺別に……笑ったりしないぞ…。」
遠慮がちに話しかけられて、私はまた目だけ布団から出して、涙目で睨む。
「…………………………。」
「えっと………花嫁さん?……い、いいんじゃないか…夢があって……。」
明後日の方向を向いて話す真人君。
「…………………全然心がこもってない…。」
「うっ………でもさ……別に胸に傷があったって、結婚は出来るだろ?
大人になるまでには傷跡だって薄くなるんじゃねえの?化粧とかで誤魔化せばよくね?」
「……分かってない。………真人君は分かってない。全く持って分かってない!
旦那さんになる人に一番綺麗な姿を見せたい乙女心が全然分かってない!!」
「面倒くせっ!!乙女心なんて分かるかっ!!!って違う!あー、あー、もう、じゃあ!
胸に傷があってもお前の事一番綺麗な花嫁だと思ってくれる男と結婚すりゃいいんだよ!」
妙案!とでも言いたげな表情に更に苛つく。
「傷がある花嫁が綺麗なんて思う人が本気でいると思ってるの?真人君適当な事言わないでよ!
もういいから放っておいて!!私だって手術受けなきゃいけない事くらいちゃんと分かってるから!
今度は逃げないで受けるからそれでいいでしょ!!帰って!!」
もうこのまま不貞寝してしまおうと布団に包まったまま背を向けた。
だけど真人君は帰らなかった。
「俺…………適当な事なんて言ってねえ。俺は少なくとも傷なんて気にしない。」
「………もういいよ。嘘言わなくても……。分かってるから………。」
もういいから放っておいて欲しい。男の子になんてどうせ分かりっこないんだ。
布団の中でぶつぶつ文句を呟いた。
「…………………ちょっと折り紙貰うぞ。」
「はっ?」
真人君はベッドの脇の私の袖机から勝手に折り紙を取り出すと、カサカサ何かを折りだした。
「…………ちょっと……何やってるの?」
カサカサ折る音が気になって、思わず後を振り返る。
「………出来た。ほらやる。」
ポイッと放って寄越されたのは、折り紙で出来た薔薇だった。
「わっ、何?えっ!!凄っ!上手い!!!」
見事な立体の薔薇の折り紙に驚嘆する。
「…………入院生活が長いからな。」
あまりに見事な出来栄えに、怒っていた事も忘れて見入ってしまう。
「……そんな感じの薔薇をさ、ドレスの胸元とかに着けたらどうだ?」
「えっ。」
「そしたら胸の傷も隠れるし、見た目だって綺麗だろ。」
「…………………真人君。」
真人君が励まそうとしてくれているのが伝わってきて、拗ねて八つ当たりしていた自分が急に恥ずかしくなった。
「ありがとう………。ごめんね………。………頭では私……ちゃんと分かってるんだ……。
だから大丈夫。夢は残念だけど、仕方ないって諦めもついてるから………。」
「だから別に諦めることないだろ。傷があったってお前を一番綺麗だと思ってくれる男と結婚すればいいんだから。」
「だけど……………。」
「自分が好きになった人に傷があるからって、そんなんで気にするような男なんて男じゃねえだろ。むしろその人が生きる為に頑張ってついた傷なら綺麗だと俺は思う。俺なら傷ごと世界一綺麗だって、胸を張って言えるぞ!!!」
真人君がニカッと笑った。
きっと私が真人君を好きになったのは、この瞬間だったと思う。
突然、彼がキラキラ眩しく見えたから。
急速に熱を持って赤くなる顔に真人君が慌てた。
「お前!顔真っ赤だぞ!!具合悪いのか!?ナースコールするか?」
「ち、違う!!ちょっとドキドキするだけで!」
「ヤバイじゃねえか!!早くナースコールしろよ!いやもう呼んできてやる!」
そして真人君はバタバタと看護士さんを呼びに行ってしまった。
走り去る真人君の背中を見ながら、鳴り止まない心臓を私は抑えた。
そして私は、手術を受ける決意をした。
手術が決まって、手術の前日、私は真人君に告白した。
「好き。結婚して。」
「は………………………。」
ド直球、どストレートの私の告白に真人君はポカンと固まった。
「真人君好き。だから結婚して。」
好き=結婚 子供の思考は単純で恐ろしい。
「いや、いや、いや、何でそうなんだよ!?お前この前までそんな好きとかそんな感じじゃなかったじゃねえか!しかも結婚って話が飛躍し過ぎだろ。」
「でも好きになったんだもん。好きになったから結婚したい。だから結婚して。」
「マジか……………。」
頭を抱える真人君。
思い出すと恥ずかしさで頭を抱えたくなるが、この時の私は必死だった。
明日は手術だ。大丈夫だって言われていても、もしかしたら死んでしまうかもしれない。
だから今日しか伝える日はないし。伝えずに死にたくない。
当時真人君は13歳、私は11歳。子供が何を言っているんだと思うけど、それでも私は真剣だった。
それに真人君にオーケーしてもらえたら、手術も頑張れる気がしたのだ。
「もちろん結婚は今すぐじゃなくていいよ。大人になったら結婚して。」
「いや………大人になったらって言われても…。」
「真人君は私の事嫌い?結婚するのヤダ?」
「別にお前の事は嫌いじゃねえよ。………でもさ……。」
しぶる真人君を見て、やっぱり断られちゃうのだろうか?と悲しくて、目尻に涙が溜まっていった。
真人君は涙目で見つめる私を、困ったように頭を掻きながら見つめた。
「…………………いいよ。」
「えっ。」
「いいよ。結婚しても………。」
「ええっ!!本当に!!!???」
自分で言い出した事だが、正直なところ断られると思っていたので驚いた。
「あのなぁ、自分で言いだしたくせに何驚いた顔してんだよ。まったく……。
…………えーっと、結婚て18歳から出来るんだっけか?じゃあ、お前今11歳だから7年後だな。
7年後、その時まだお前が俺の事が好きだったら、結婚しようぜ。」
「ほ、本当に!?本当にいいの?本当に私と結婚してくれる?」
「ああ。だからお前は明日の手術をしっかり受けて、ちゃんと元気になるんだぞ!
逃げ出したりしたら、この話はチャラだからな。」
「受ける!絶対手術受けるよ!嬉しい!!!
真人君約束だからね!7年経ったら絶対約束守ってね!!」
「はいはい。7年後にお前の気持ちが変わらなかったらな。」
「変わらない!変わるわけない!!やったー!私、真人君のお嫁さんになるー!!!」
真人君は、大喜びではしゃぐ私を、苦笑いで見ていた。
今思えば、13歳の彼はとても大人びでいた男の子だったのだと思う。
次の日手術を受ける女の子を勇気づける為に、願いを聞いてくれたのだろう。
病気が彼を歳より大人にしていたのかもしれない。
そして次の日、私は手術を受けた。
その日の朝早く会いに来てくれた真人君に『絶対約束忘れないでね。』と何度も念押しした。
真人君は『絶対忘れないから頑張れ。』と応援してくれた。
手術は問題なく成功した。
術後落ち着いてからお見舞いに来てくれた真人君はホッとした顔をしていた。
心配してくれていたんだと嬉しかった。
あんなに嫌だと思っていた傷跡は、『お前が頑張った証しだな。』と言われて何だか誇らしい気持ちになった。
術後の経過も順調で、私はどんどん元気になっていった。
だけど元気になる私とはうらはらに、真人君の具合は悪くなっていった。
私が退院する頃には、彼は起き上がれなくなっていた。
「えっ!?真人君、東京に行っちゃうの?」
突然真人君に東京の病院へ転院になった事を告げられた。
彼は手術する事になったのだが、この病院では真人君の手術が出来ないという事で、彼は東京にある大きな大学病院へ行くことになったのだ。
「ああ……前々から話はあったんだけど、俺の具合が悪くなったから、予定を繰り上げて来週にはここを出る。」
「そんな…………。」
今なら東京なんて新幹線に乗れば数時間で着く場所だと思える。
たけど子供の頃の私にとっては東京なんて外国にでも行ってしまうような遠い遠い場所だった。
「しゅ……手術終わったら帰ってくるんだよね?どれくらいで戻れるの?」
「………分かんねえ。手術が成功しても……しばらくはあっちで入院する事になると思う。
場合によっては…………戻ってこれないかもしれないし……。」
戻ってこれないかも という言葉に私は衝撃を受けた。
「そんなのヤダ!真人君と離れるなんてヤダ!!」
「ヤダって言われてもな……。」
「私手術頑張ったのに!結婚してくれるって約束したのに!どっか行っちゃうなんて酷い!」
「酷いって、仕方ないだろ……。ここじゃ手術を受けられないんだし……。だいたい結婚の約束だって大人になってからの話だろ。今すぐって話じゃないんだから、ちょっとくらい離れたって問題ないだろ。
それにお前もう元気になって、これからは俺以外とも遊べるんだからさ、他に友達沢山作って待ってろよ。」
あっけらかんとして話す真人君の様子が私と離れる事を何とも思っていない様で段々腹が立ってきた。
「……なんか真人君、私から離れるの全然平気みたい。
他の友達って何?私は真人君と一緒にいたいのに。真人君は私と一緒にいるのが嫌なの!?」
「一緒にいるのが嫌だなんて言ってないだろ。ただお前はもう少し俺以外の奴にも目を向けたほうが……。」
「もういいっ!!!真人君のバカ!!!」
「あっ、おい………。」
私は真人君の病室を飛び出した。
完全に癇癪だ。仕方のない事、只の我が儘だと分かっているが、11歳の頃の私は自分の感情を抑えることが出来なかった。
寂しくて悲しくて、自分の病室に戻ってボロボロ泣いた。
後で鏡を見たら目の周りがパンパンに腫れてしまっていて、直ぐに真人君に謝りに行きたかったのに行けなくなってしまい、洗面器に顔をつけて泣けばよかったと後悔した。
次の日の夜中、私はベットを抜け出して、真人君の病室にこっそり入った。
真人君は青白い顔で眠っていた。
とても具合が悪そうで、素人目にも直ぐに手術した方が良いんだろうと思えた。
それなのに昨日の昼間に癇癪を起こして飛び出して、きっと真人君は私に呆れた事だろう。
自分は手術の時にあんなに励ましてもらったのに………。
ジワジワと涙がこみ上げてきて、『ごめんなさい』と呟いた。
「……………涙目で見下ろされてると自分が死んだ気になるからやめてくれない?」
「!!!起きてたの真人君!!!」
「お前………ふざけるなよな……こっちは起き上がれないんだぞ。
もう会いに来ないのかと………不安になっただろうが………。」
「ご、ごめんね。あのね、直ぐ謝りに来ようと思っていたの。
でも目がパンパンに腫れちゃってね…………。」
「泣いたのか?」
「うっ………うん。勝手に怒って勝手に泣いて……バカだよね私。
それなのに真人君に嫌われたかもと思ったら……なかなか勇気が出なくなって……。」
「それくらいで嫌いになんかなんねえよ。それに俺も言い方が悪かった……。
俺以外の友達を作れって言ったのは、別にお前と一緒にいたくないとか、遠ざけようとか思った理由じゃない。
…ただ…………もし俺が死んだら………お前に俺以外の友達がいた方がいいと思っただけなんだ。」
「!!!し、死ぬって何!!??なんでそんな事言うの!!??」
「お前に言ってなかったけど、俺の手術……成功率が低いんだ。」
「!!!!!!!」
「そんな顔すんな。だからって失敗するとは限らないし、俺は成功するって信じてる。
だけどこればっかりは、蓋を開けてみなければ分からないし、後遺症が残る可能性だってある。
そしたら…………約束守ってやれないかもしれない。」
「そんな…………。」
真人君が死んじゃうかもしれない。自分はあんなに悩んだ癖に、離れることの寂しさにばかり目がいってしまっていた。そんな大事な事が抜けていた自分に嫌気がさした。本当に自分は自分のことばかりだ。なのに真人君は私の事も一生懸命考えてくれていた。
「やだ………。真人君死んじゃったらやだよ……。」
ボロボロボロボロ涙が溢れ出す。
「泣くな、また目が腫れるぞ。それに俺は死ぬ気なんてない。あくまで、もしもの話をしてるんだ。」
「でも…でも…手術したら死ぬかもしれないんでしょ……。」
「手術しなかったら確実に死ぬ。だから俺は生きる為に手術するんだ。……いや手術したい。
………本当言えば、お前にあんなに偉そうなこと言っておいて、俺はずっと手術が怖かった。だから…お前が手術が怖いって逃げていた時、自分を見てるみたいでイライラしながらも安堵してた。でもお前はちゃんと向き合ったろ。傷が残るのもあんなに嫌がっていたのに逃げるのを止めた。
年下の女の子が頑張ってるのに俺は逃げてていいのかと思ったよ。だから、俺が手術を受ける決心をつけられたのはお前のお陰だ。」
「そんなの私の手術は絶対大丈夫だって言われていたからだよ。もし死ぬかもしれないなんて言われたらとても勇気出なかったよ。」
「それでも100%大丈夫かどうかなんて分からなかったろ。お前の勇気が俺に勇気をくれたんだ。だからお前には感謝している。」
「真人君……………。」
「……………………雪乃。」
真人君が初めて私の名前を呼んだ。
「絶対とは約束出来ない……。だけど手術が成功して元気になったら、必ずお前に会いに来る。
そんで7年後にきちんとプロポーズするよ。」
「………………真人君。」
「………雪乃の理想のシチュエーションでプロポーズしてやるから、どんなのがいいか考えとけよ。」
ニカッと笑う真人君に、元気になった私の心臓がドキドキ ドキドキ早鐘を打つ。
好きだと思う気持ちが込み上げた。
「…じゃあ……私……折り紙の薔薇の花束が欲しい。」
「はっ?折り紙の薔薇?」
「うん!真人君が折ってくれた折り紙の薔薇の花束を持って、プロポーズして欲しい。」
「…………いいけど………。生花の方が良いんじゃないか?折り紙って……なんか貧乏臭くねえか?」
「貧乏臭くない!!私は折り紙がいいの!!理想のシチュエーションでプロポーズしてくれるって言ったじゃん!!」
「わ、分かった。分かったよ。そんなんで良いならいくらでも折ってやるよ。」
「本当!?じゃあね、じゃあね!二人が初めて会った遊歩道のベンチでプロポーズされたい。」
「マジか……………。病院のベンチって……。それ本当に理想なのか?」
「理想!最高のシチュエーション!絶対約束守ってね!」
「あ、ああ。」
「約束だよ!絶対結婚してね。私……待ってるからね。」
「ああ、……約束するよ。」
その時
「真人君、雪乃ちゃん………そのー、盛り上がってるとこ悪いんだけど………消灯時間過ぎてるからね。私も野暮なこと言いたくないんだけど……ホントごめんね!仕事だから……。」
ゴメンねポーズの看護士さんが入り口に立っていて、私は真っ赤になって絶叫しながら自分の病室へ戻った。
次の日の朝
「いいね純愛。」「純愛カップルなんだって?」「結婚式には呼んでね!」と看護士さん達にひやかされ、布団に包まりながら、小児科にはプライバシーはないと知った。
その後、私は無事に退院して、真人君も直ぐに東京の病院へと旅立って行った。
真人君にお手紙頂戴と言ったけど、多分そんな余裕はないと断られた。
その代わり次に会ったとき、好きなだけ折り紙を折ってやると言われて泣きながら彼を見送った。
それから一ヶ月が経った頃、お母さんに話があると言われた。
真剣な顔に心臓がヒュンと冷たく縮んだ気がした。
「真人君………手術失敗したらしいの………。」
「そんな………………。」
一瞬で手足が冷たくなって声が震えた。まさか…まさか…と目の前が真っ暗になる。
「あのね…だけど亡くなった訳じゃないのよ。」
暗闇に一筋の光が差し込んだ気がして、お母さんの顔を見つめた。
「手術はね…失敗というより……出来なかったみたいなの。」
「出来なかった?」
「腫瘍が思ったよりも大きかったみたいでね、一度頭を切って手術にのぞんだらしいんだけど、何もしないで閉じたんですって………。」
「そ……それで…真人君はどうなったの?」
「意識が戻らないらしいわ……。」
お母さんの沈痛な表情が、事態の深刻さを物語っていた。
それは意識が戻らないまま、いずれ亡くなってしまうと言うことなのだろうか?
冷たい汗が、背中を流れた。
「それでね…真人君……外国の病院へ行く事になったらしいの。」
「外国の病院?」
「大学病院の先生の伝手でね。外国の有名な先生の所で手術してもらえるらしいのよ。」
「外国って?どこの国?」
「さあ……あまり詳しくは聞けなかったの。真人君のお母さんも外国について行く準備でバタバタしてるみたいだったから……。」
「でも、でもそれなら外国で手術したら真人君治るかもしれないの?元気になる?」
「…………分からないわ。でも多分難しいって……。真人君のお母さん言ってたから……。」
「そんな…………。」
お母さんはとても心配そうな顔をした。
その日の夜、お風呂のお湯の中に頭を沈ませて私は泣いた。
東京でさえ遠いのに、外国なんてもっと遠い所に真人君が行ってしまう辛さに。
そして真人君が死んでしまうかもしれない恐怖に。
本当はわんわん泣いてしまいたかってけれど、これ以上親に心配させたくなくて、私は隠れていっぱい泣いた。
大事な人を失うかもしれない恐怖がこんなにも大きいものだったなんて、私はまったく知らなかった。
それから一年経っても、二年経っても、真人君から連絡は来なかった。
三年経っても、四年経っても、やっぱり連絡は来なかった。
それでも私は真人君からの連絡をずっと待っていた。
こちらからは連絡を取れなかったから。
連絡したいと思ったが、真人君のお母さんの携帯番号は外国に行って変わってしまったらしくて連絡出来なくなってしまっていた。
真人君の入院先も分からないから、手紙を送ることも出来なかった。
だから私は、ひたすら待つしかなかったのだ。
真人君がどうなったのか知りたくて、時々病院の顔見知りの看護士さんの所に聞きに行ったりもしたけれど分からなかった。
連絡がないという事が、どういう事かはもちろん理解はしていたが、それでも私は諦められなかった。
真人君を諦められないまま、気がつけば六年が過ぎていた。
体はすっかり元気になり、私は普通の人とまったく変わらない生活を送れるようになっていた。
小学生だった私も、高校生になって楽しい学校生活を送っていた。
真人君に言われた通り、真人君以外の友達も沢山増えた。
何人かの同級生の男の子に『付き合って』と言われる事もあった。
だけど、真人君を好きになった時のようなトキメキを感じることは出来なくて、付き合うことはなかった。
友達には『勿体ない』と言われたが、どうしようもなかった。
いい加減諦めて忘れた方が良いのかもしれない。
そんな事を考えなかった訳ではないが、胸の傷を見るたびに、真人君が思い出されて無理だった。
胸の傷は最初の頃と比べると、どんどん薄くなっていて、今では薄っすらと跡が見える程度になっていた。
あんなに嫌だったはずの傷なのに、薄くなるにつれて真人君との繋がりまで薄くなって行くようで悲しかった。
約束の7年が来たら、自分の気持ちに終止符を打とう。
そう思って約束の遊歩道のベンチで1日中待った。
待って、待って、待って………日が沈み暗くなって思ったことは、やっぱり忘れられないという事だった。
約束の日に来なかった。
それは彼がもう亡くなっているという事。仮に生きていたとしても、私の事など忘れているという事だ。
だけど私は忘れられない。
この日私は『真人君を忘れること』を諦めた。
それから約束の日は、『真人君を思い出す日』に変わった。
遊歩道のベンチで、1日中真人君との思い出を振り返る。
真人君と過ごしたのは、思えば11歳の頃のたった数カ月の事だった。
それなのにこんなに思い続けてしまうなんて、我ながら執念深くて諦めが悪いにも程があると笑ってしまう。
八年目、九年目、私は1日中真人君を思い出し、今日は十年目の約束の日。
13歳だった彼を当時はとてもお兄さんだと思っていたけれど、年下の女の子に振り回されて一生懸命にお兄さんをしていてくれていたのだと今なら分かる。
本当に優しい人だった。
病床で私のために折ってくれた折り紙の薔薇
もし彼が生きていたら、どんな薔薇を折ってくれたんだろうか。
何度も取り出して眺めたせいで、すっかりくたびれてしまった折り紙の薔薇を取り出して眺めた。
ポタリと薔薇に染みが落ちた。
まだ泣けるのかと自分でも驚いた。
「もう………真人君のバカ……。本当にどうしてくれるのよこの気持ち。私の中でずっと13歳のままのくせに21歳の私の心を今だに釘付けにしてるなんて……。どう責任とってくれるのよ……。」
10年目の節目だからだろうか、いつもは穏やかに思い出せる真人君の事が、今日は感情が込み上げてきて恨み節になってしまった。
「私ちゃんとずっと待ってたのに……何で戻ってこないのよ。7年経ったら結婚してくれるって言ったじゃない………。」
ボロボロ涙が溢れてきて、拭っても拭っても止まらない。
「最高のシチュエーションで……プロポーズしてくれるんじゃなかったの?真人君何で帰ってきてくれないの?いくらでも折り紙で薔薇折ってくれるって………言ったじゃない……。」
一度せきを切ったら、後から後から想いが溢れて止まらなくなる。
「折り紙の薔薇の花束……欲しかったよぉ。」
今日だけは11歳の女の子に戻ってしまおう。そう決めて病院の遊歩道なのにエンエン泣いた。
だから私は気づかなかった。少し左の足を不自由そうに歩いてくる人がいた事に。
その人が、折り紙の花束を抱えている事に。
私が気づくのは折り紙の薔薇の花束を差し出された数秒後。
私が13歳の面影を残すその人に抱きついたのは、それから更に数秒後。
終わり
お読み頂き有り難うございました。
初恋の相手と結ばれる話はいつの時代も王道で大好きなので、自分もいつか一つは書きたいと思っていました。洗面器に顔をつける話は作者が実際に聞いた話です。小児病棟で子供と一緒に闘う親の事にもいつか触れたいと思っていたので、エピソードに組み込めて良かったです。
本当は真人君サイドの話も書こうかと思ったんですが、蛇足のような気がしてやめました。
取りあえず事情があったのだと推測して下さればと思います。
その後、真人と雪乃は最高の結婚式を迎えました。