第7章 アメリカ大統領と日本の憲法改正
第6章はちょっとショッキングな事件でしたが、今回は再び元の路線にもどり思考を追っていく展開です。
ただ、今回は大統領がかわったアメリカと日本国憲法の改正案について、村上の独白の形となります。
第7章 アメリカ大統領と日本の憲法改正
教務室。放課後になって先生たちが教務室に集まってくる。教室で丸付け等をしている先生もいるが、子どもたちを返し、ちょっと緊張から解放されるタイミングでコーヒーなどを口にしたいのだ。(昼休みは労基上の休憩とほぼ同じものが与えられているが、児童の委員会等の指導なんやらがあり、実質休むことはほぼ出来ない。またこの時間にも子どもたちが怪我をしないか、緊張は解けないのだ。)それぞれお金を出し合って様々な飲み物が用意されている。村上も教務室の隅のカウンター(カラーボックスだけど)で、マグカップに『こな』コーヒーを入れてポットからお湯を注ぐ。本当はハワイの『コナコーヒー』をレギュラーで香り高く楽しみたいのだが、みんなでイレギュラーと呼んでいる『粉』コーヒーがここでは定番だ。砂糖をちょっととミルクポーションで絶品に変わる。その場で一口すすってから席に戻る。
教務室の正面から教務主任の堀川がスマホを見ながら話しかけてきた。
「大統領が替わってから、かなり中国、イライラしてるね。」
「アメリカ国内もですよ。関税、当初よりは低くなったものの、結局かなり高額ですよね。今まで安く買えていた製品が高くなり、もともと高い国内製品を買うしかなくなったわけですから。しかも国内製品は急激な増産は出来ないし、品薄。国内はインフレが収まらないどころか、加速してますからね。国内の生産者は喜んではいるところもありますが、高いので思ったほど売れない。しかも報復関税で今まで中国に輸出したものも売れなくなってきていて、インフレかつ不景気という状況になりつつある。これほど早く影響が出るとは思いませんでしたが。」
「AIも大変なことになってるらしいな。安くて高性能のディープシークがすごい伸びている。ただ、これも国内での使用を禁止する方向でいるらしいじゃないか。」
「まあ、しょうがないですね。中国は知的財産に関しては無頓着だから、禁止と言っても平気で『蒸留』しちゃいますから。」
「『蒸留』?」
「AIって答えられるようになるまでに膨大な学習が必要なんです。しかし、ある程度答えられるようになった出力結果を使って再学習させることで効率よく新しいAIを生み出すことが出来るんです。だから、チャットGPTとかは、それを禁止しているんですけど、律儀に守るのは欧米や私たちで、おそらく某所はシラッとやっちゃんですね。もちろん、精度は低下するらしいんですけど、『量子化』の技術を工夫して高性能なものにしたらしい・・・。シラッと私も『蒸留』しちゃっとけど、これ、清水亮さんっていう天才プログラマーが定期的に『WirelessWireNews』に書かれている記事のひとつ『DeepSeek狂奏曲』の請け売りです。ディープシークは低スペックのマシンでも動くのに、性能はいい。エヌビディアの高いGPUを何枚も使わず、数枚でいい。」
「それで、ディープシークが登場した当時、エヌビディアの株がガクンと下がったのか。」
「きっとそんなところでしょうね。」
「それにしても異常気象だよな。今の季節で35℃ってないだろ?各地の洪水や干ばつ、カテゴリー4以上のハリケーン、もうむちゃくちゃなのは『地球温暖化』の影響で間違いないと思うのに、アメリカでは石油や石炭の大増産が始まっている。アホかっていいたい。」
「まあ、一国の大統領に『アホ』呼ばわりしないほうがいいですよ。たとえ思ってても。子どもたちに聞かれると悪影響を与えるでしょうから。」
「いや、それは分かっているが・・・言いたくもなるよな。」
「同感ですけど。」
「俺も参加しようかな。どうも、ロシアのプーチンとアメリカのトランプに暗殺者を送るというクラウドファウンディングが始まったらしいけど。」
「私もその話は聞いていますが、眉唾だと思います。」
「でも、史上最短で史上最高額が集まっているらしいぞ。」
「いや、私は基本的に暴力で政治を変えることには反対です。例えそれが本当の話でも私は参加しませんが。」
「トランプだって、支持者の議会乱入事件があったじゃないか。」
「それじゃ、トランプと同じになっちゃいますよ。」
「そりゃそうだな。でも、ロシアのプーチンがウクライナに侵攻しなかったら、世界はエネルギーも食料もこれだけ不安にはならなかったような気がする。結局、その影響でエネルギーも食料も高くなり、また、ウクライナに武器を送るために国家の支出は増え、各国は物価高やインフレにあえぐようになったわけだ。その悪影響をくらったのが国際協調を唱えてきた今までの政権だよね。自分たちの暮らしよりも国の外ばかり気にしてってね。」
「そうですね。やっとパンデミックが落ち着き、世界が立ち直ろうとしていた矢先にですものね。この先、どんどん自国の都合しか見ない国が増えてくると恐ろしいですね。強権的な指導者が増え、他国への攻撃をためらわなくなる。それは経済ばかりではなく、人へも国へも。世界に独裁者があふれ出したときにまた世界戦争が始まるんじゃ無いかとハラハラですよ。民主国家だって独裁者を選びますからね、ヒットラーのように。・・・そう言えばアレも『トラ』・・・だな。」
「なるほど。全くだ。」
(今日は由美子も通子も大人しく下校したし、ちょっと自分の時間がとれそうだな。)
そんなことは許されない・・・・・。
「お~い、グラウンドのライン引きやるぞ。物置小屋の鍵をとってくれ。巻き尺も持ってきてくれ。100mのものは小屋の中だけど、50mのものは教務室の棚のところだ。やっつけちゃうぞ。」
教頭が完全装備で(まあ、日頃のスーツから体操着に着替えただけなんだけど)教務室の外から叫んだ。
「とてもグッドタイミング。やるかぁぁぁ。」
天候の様子をみて突如始まったらグラウンドのライン引き。やることは山どころか山脈なみにある。しかも、様々なこと、掃除洗濯+アルファ。汚れる仕事も普通。常に動けるようにしておけることは普通。よって小学校教員は普段から体操着(ジャージって呼んでますが)の者も多い。児童と違っておのおの好きなものを選ぶので見苦しくは無い。活動量や教える教科が多いので、活動的な服装は大切なのだ。今回のようにチョークのカルシウムだけでない、グラウンドに白い線を引く石灰などの汚れはスーツには付けたくない。昔は背広で授業だったが、チョークの粉がつくので、白衣をまとう者が多かったと聞いている。木造校舎ですきま風もあって暖房効率もよくない。寒さ対策でもあったらしい。白衣が体操着に替わっただけのことだ。
村上はラインを引く手伝いをしながら、教務主任の堀川と交わしていた話を思い出し、そういえば最近提示された「憲法改正案」についてぼんやりと考えていた。始業式の日、あわや台湾有事勃発かという事件もあったし。その憲法改正の発議や国民投票など、不可能と思えるくらい改正への道のりは厳しい。天皇の扱いは基本的には変わらない。基本的人権の項目は大幅に見直されている。今までの解釈の運用で扱われてきたことがきちんと定義される予定だ。政治の仕組みもほぼ変わらない。三権分立、間接民主制と立法主義などだ。
喧々ガクガクの改正案は二つ。ひとつは有事の際、憲法の条項や既存の法律をを大幅に制限(特に基本的人権)、別途の法律で動く有事法制だ。悪用されればひとたまりも無い条項なので、慎重にならざるを得ないが、発動が慎重すぎても有事に間に合わない。有事というと戦争を思い浮かべてしまうが、大地震や火山の噴火など、日本では自然災害への備えとして本来必要不可欠なものなはずだ。いわば臨時に独裁を認める措置ではあるものだが、それを法で予めしっかりと定めコントールするのは、何も決めておらずに右往左往したり、場当たり的に決めたりしていくことを回避するためだ。それこそ、独裁に移行する隙を許すものだ。それが今までは超法規的措置とかいって曖昧なままだった。もちろん、今議論されているのは、その時の政権が独裁をするためではないのだが。
もうひとつは憲法九条である。これも焦点が二つあってひとつは自衛隊の明記であり、もうひとつは国際貢献のあり方である。自衛隊の明記に関しては反対している党は少なくない。だが、「決めない政治」こそ、なんでもありになってしまう危険があると思うのだが。国際貢献に関しても大きく意見は分かれている。今まで通りに他国の求めに応じて安易に戦争や戦闘には参加しないということは概ね維持だ。議論となったのは、国連の活動であれば武力行使も容認するというものだ。つまりPKFに参加を承認するするものだ。これは見送られた。まあ、ざっくり言えば九条に関して政府から出された案は概ね今まで通りのことを明文化したものだ。第3項に自衛隊が明記され、自衛のために必要かつ最小限の実力行使が認められる。第4項には自衛隊の国際貢献は国連により要請され、人道的な活動の範囲で行うことが出来るとされた。自分としては妥当な線じゃないかと思う。
心配は、安全保障に関して頼みの国連が機能しないことだ。常任理事国の拒否権に関しては如何ともしがたい。きれい事が通じない中で、日本のとる立場はよく考えるべき事で、自国が思う正義が国際的には通用しないことが多々ある。しかもこの不安定な国際状況で、他国頼みというのはどうなのだろう。かといって今更どうのこうの出来るレベルの国力はない。しかも、食料自給率は半分を大幅にきり、他国頼みの状況なのだ。世界が協調に向かっていたつい最近まではそれも通ってきた論理だ。しかし、国際情勢が大幅に変化した今、保険をかけておかなかったことは大きなミスかもしれない。「蟻とキリギリス」で言えば、キリギリスの生活を謳歌してきたが、やがて冬が到来することに気付かなかった哀れな国といえるのかもしれない。
責任は勿論政治家にある。しかし、我々教員も戦前と同じように(逆の意味で)失敗をしてきてしまったと言えるのでは無いか。昔々俺が生まれる前、「期待される人間像」というのが、中央教育審議会から答申されたが、そうとう批判されたと聞いている。そこには「日本人に特に期待されるもの」として個人、家庭人、社会人、国民の観点から述べられていたと聞く。
1966年の頃というから「もはや戦後では無い」として「高度成長期」に突入していく時期である。このとき、要はこの前、由美子たちが話題にしていた「日本人としてのアイデンティティー」について見直そうという動きがあったのだが、戦争の亡霊から逃れることは出来なかった。それはこれを考えた人たちもそれをアイデンティティーとして受け止める対象の人たちもだ。愛国心をもつ、象徴(天皇)を敬愛するなどが述べられていたし、家庭を基本とした考え方が打ち出されていたり、天地を通じた一貫した人の道があることの自覚の強要とかあったりする答申だった。今から思うととんでもないことがいっぱい答申されているが、むげに反対するばかりでなく、きちんと議論出来ることが大切だと思う。『羮に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)』ではよくない。
結局人格の完成をうたいながら知識や技能を習得させることに終始してきた。期待された社会科も最終的は暗記教科となってしまった。おのおの勝手に考えろというのは悪いことでは無いと思うが、日本という国、つまり共通する何かを価値として形成している集団なのだから、日本の国、その国に住む者として大切にしたいことはあっていいはずだ。まあ、由美子が言うとおり、女性が学ぶことを否定する教義は(個人的に考えることは別に否定しないが、俺は嫌いだというレベルなんだが)違うと思うし、男女ともに平等な社会をめざそうという国としての考えはあっていいはずだ。
国という集団なのだから。学級目標のない学級がないように。あれっ、憲法ってそれじゃないか?
清水亮さんっていう天才プログラマーをご存じですか。ご興味のある方はぜひググってみてください。私は『WirelessWireNews』というメルマガを仕事のからみもあって長期間愛読させていただいています。こちらもぜひ。




