第31章 とびたてみんなのドラゴン
青少年全国読書感想文コンクール課題図書 高学年の部
『とびたて みんなのドラゴン』(オザワ部長著 岩崎書店)は通子が読みました。読みながらいろいろなことを考えてました。自分の習い事(ピアノ・水泳)、弟の習い事(野球)、グランマ・グランパの武勇伝・・・。
今回は通子の独白的なものになっています。(注:手抜きじゃありません?)
第31章 とびたてみんなのドラゴン
『とびたて みんなのドラゴン』(オザワ部長著 岩崎書店)これは先に通子が目を通した。ノンフィクション作品、つまりフィクションでない作品。フィクションとは創造されたものであるから、ノンフィクションとは要は「実話」ということになる。でも、作品であるからには実際の出来事を目の前で見ているのとは異なる。あくまで作者の主観が入る。まあ、作者の思いや願いといったものがこめられるのだ。その点はフィクションもノンフィクションも変わりがない。
通子もピアノを習っていて発表会等も経験している。昨年は学校の音楽祭で伴奏を務めた。でもなんか最近はスイミングスクールの方に力が入っていて日に何時間もピアノに触れるなんてことは皆無だ。でも、大勢の観客の目の前でスポットライトを浴びるこの緊張感とかはしっかりと身体に染みこんでいる。大勢の観客といっても水泳のスタート台に立つ瞬間とは全く違っている。きっと両親はこの経験をさせたかったんだろうと思う。私にゃ、音楽や水泳で食ってけるだけの才能なんてないし、両親もそれは重々承知だ。教育熱心な(成績重視とは違う)両親は成長の糧としての経験の一部として・・・なんて気持ちがあったんだろうと思う。そのために大金をかけてくれていることに感謝しかない。
ああ、ちなみにこのお話(『とびたて みんなのドラゴン』)はマナミという主人公が合唱部に入り、全国コンクールに挑むというお話だ。おそらくそれだけなら、課題図書にはならなかったと思う。合唱部の指導者の先生はALSの患者なのだ。ALSは難病だ。筋肉がだんだん萎縮してきて最後には呼吸に必要な筋肉まで萎縮し、死に至ってしまう病気なのである。その前には歩けなくなったり、腕が動かせなくなったり、どんどんと身体の自由が奪われていく残酷な病気なのだ。だからこんなにハンデを背負っているのになんて頑張っているんだろう・・・と同情的な視点でこのフィクションを読んだらいけない。(由美子が言ってたことだけど)そうするとこの作品の本質が隠されてしまうというのだ。つまり、このシチュエーションは一種の引っ掛けだと。
物語は王道というか、「卵」(※自分が変われる予感?)を抱いた主人公を中心に不安、壁を乗り越え、結果を出していく。そして、自分の中で何が変化し、成長している・・・そんなサクセスストーリーなのだ。そのままサクセスしていくんだったら傲慢に見えてしまうのかもしれない。しかし、手の平の上に垂直に立てた棒がなんども倒れそうになるよう、危なげに前に進みながらも危なくなるとピッタリ寄り添って支えてくれる人生のモデルがいる。。(先に読んだ課題図書もそうだった)
「どうせいつかはALSになる。勉強しても部活に行っても何の意味も無い。」指導者、竹永先生は小学校2年生の時、母親がALSだと知る。ALSは遺伝的に10人に一人が発症する病気だという。やがて、竹永少年は不登校になるが、当時の高校の先生が竹永少年を大切に支えてくれた。その後通信制の大学、大学院と進んだ竹永青年は小学校の先生として採用される。ALSの検査結果(遺伝子に異常)や結婚問題を乗り越えた竹永センセは、日明小の合唱部の顧問に抜擢される。「病気だけど不幸じゃない」「先生はワクワクしている」マナミたちに病気をカミングアウトした際は強く、前向きになっている。
「やらずに後悔するよりやって後悔するほうがいい」とは私通子の父の口癖だ。この通子様のことをよく分かっていてくれる。私は3月31日生まれ。4月1日生まれまでは次の学年になる。小学校での学年は4月1日から翌年3月31日までとなるが、4月1日生まれの子が満6歳に達した翌日から入学の義務が生じることになるので、その学年の一番年上が4月2日生まれ、一番年下が4月1日生まれとなる。通子の学年には4月1日生まれはいないので、通子が一番年下ということになる。小学校1年生入学当時のこの約1年の差は想像以上に大きい。通子もまるで赤ん坊のようだった。何をやってもあまりうまく出来ない。身体も小さい。この時期にコンプレックスもへったくれもないが、なんとなくうまく出来ない自分には気付いていた。それで自信を無くす早生まれの子もいる。ただ、赤ん坊赤ん坊している通子ではあったが、負けん気はあったらしく人一倍努力する方だったので、そこそこついていけた。これが成長差がなくなってくる高学年となってくると結構逆転現象が生じてくる。ここ(※小学校低~中学年)を乗り切った子は努力癖がついているのか、のびちゃうんだ。ん。自分で言うのもなんだけど。まあ、要は父親は私がビビりにならないように先の言葉で前進型の行動力を付けてくれた。私は長女なんだけど、あまり長女に見られない。どうもおっとりはしていないようだ。(由美子は私がおっとりしているっていつも言うけど。)
さて、マナミはかなりのビビりだったようだ。同級生にもたしかにこういうタイプはいる。私も最初はビビり。いや早生まれだからぼやっとしてだけなんだろうけど、由美子といっしょになってからガラッと性格が変わったようにも思える。(いや、きっともともとこうだったんだろうけど、「発現」しちゃったんだろうね、元々の性格が)マナミもきっともともとそいう「卵」を持ってたんだろう。いくら憧れたって、「合唱部」だもんね。真逆の世界に飛び込んじゃった。でも、それってとても大切。私も由美子と出会わなければ読書ってたぶん無縁の世界だった。マナミも少しずつ、でも確実に変わっていった。それって、合唱にこだわらず、何か夢中になることなんだよね。(これ大事!試験に出るぞ!あは!)
でもマナミの思いで考えるか、竹永先生の思いで考えるか、どうなんだろう。マナミはいいよ。これから先が広がったんだから。奇跡の金賞、悪い意味ではないよ、だって甲子園初出場校が優勝したに近い(でも4位相当だよ!)結果が出たんだもの。結果は努力の跡にしか出ない。(つまり、そこそこ頑張ったよ~くらいでは競争の「まな板」にさえ乗れない!・・・マーチングで全国にいつも行ってた小学校、知ってるけどレベルはダンチ!春に練習が始まるころには既に他校の引き継ぎ式レベルを超えていた。もっとも部活は毎日、土日は市の広い体育館を借り切って練習。休みはない。)マナミたちは頑張ったのは分かる。でもそれはそこに(やっぱり)指導者がいたからなんだよね。しかも、ビギナーズラックみたいな。別に今回のお話がそうだと言っているんじゃないんだけど、ビギナーって分けも分からず、とにかく我武者羅に突っ走る的なあれだよね。余計な力が入ってない状態からのスタートだし。まあ物語的にも金賞はゴールって感じかな。ALSの竹永先生はマナミたちの卒業式のころには病状が結構進んでいるんだけど、後輩にその経験を伝えろと願うんだよね。その思いは結果としてどうのこうのではなくて、ここの卒業生みんなへのメッセージなんだ。これからの人生をいかに豊かに過ごすかと。金賞とって「あー、すごい!」じゃないんだよ。ん。でも私は金メダルとったことないけど。
そう言えば危機を乗り越える場面もあったっけ。集中力っていつまでも続くものじゃないし、目標だっていつしか「もや」がかかるときがある。福岡大会、九州大会、全国大会へとなんとか進んできたものの、日明小のみんなも「たるむ」時がある。水泳だって一泳ぎして、次に種目までにモチベーションを維持するのは実は大変なんだ。で、竹永先生はそんなとき、みんなに「魔法」をかけた。子どもたちに任せること。これって実は指導者にはたいへん勇気がいることだ。子どもたちを信じることが出来ない・・・じゃなくて自分が信じられない。で、ついに手が出て口が出る。子どもたちを縛っておかなければ自分が不安でしようが無いのだ。
で、弟の少年野球の監督の話になる。しばらく経つが前の監督がやめることになって保護者会の中から監督が選出された。誰も監督を引き受ける方がいなくて自前で監督やらコーチなんかを手配することになったらしい。結構監督とかコーチとか大変だし、時間も取られるのでなり手もない。ボランティアだから相当野球が好きじゃないととても続かない。野球をやったことのある経験者が当然、推薦されたんだけど、断られ、その後誰も名乗りをあげなかった。そこで実は適当に押しつけられたって言い方があってるかも。でも、その人、つまり今の監督なんだけど、必死で勉強したみたい。もともとは中学校の技術家庭科の教員だけど、やるとなったらどこまでもやるという教員にはよくあるタイプだったみたい。それでその監督は野球が国語辞典なみのルールブックがあることを知り、それらを分析したり、いろいろな指導法があることを調べたらしい。それで野球って他のスポーツと比べてかなり個性の強いスポーツだって結論付けたらしい。プレーにはそれぞれのシチュエーションによって取るべき行動が全く違ったりするの。それを分析し、膨大なパターンを表にまとめて分析し、カリキュラムを作成したんだそう。練習の何回かに一回は「座学」だったらしい。細かいルールをエピソード別に弟たちにイメージを持たせたらしい。とにかく野球がやりたい、ボールに触りたいという子たちにとっても目からうろこが落ちる快感を味わったらしい。隠し球の演技をみんなでやってアウトをとるなんて、ちょっと卑怯な気もするけど、ルールに則って仕組むなんてすごいと思う。一挙手一投足を全て監督が把握し、指示するのとは違う、「やることを教えるのではなく、やり方を教えた」んだと言われている。つまりはね、弟たちが自ら考えて行動できるようにしたってこと。罵声を浴びせ、萎縮の上にコントロールの配線を張り巡らし一挙支配するのとは真逆のチーム作りをしたらしい。必要なことはかなり教え込まれているんだけど、子どもたちはいざとなると自信が持てない。それで監督を頼ろうと最初はギクシャクして困るんだけど、なんとか自分たちでバランスを取ろうとするんだよね。本当に困ったときにだけ、監督を頼る・・・。でも、(本当は監督もシロウトで分かんないから)自分たちで何とか解決していこうとする、そんなチームなんだな。学ぶべき知識は徹底的に学習させ、必要な技術は効率的に練習して身に付ける。体系的にシュチュエーションを学んでいるから、ピンチになったときこそ差が出る。全てを知り尽くした大人が(※そんなことはありえないけど)一党独裁するチームがいいのか、選手それぞれがネットワークで結ばれまるで一つの人格のように振る舞うチーム。どちらがいいとは言えないけど、今回竹永先生がかけた「魔法」を常にかけられているチームというか・・・。
でも、ノンフィクションだけに、ちょっと間違うと自己満足的になるんだよなぁ。いい結果がもはや出ているし、フィクションとは違って世界をひっくり返すような出来事が起こるわけではない。ラマワティちゃんも出てこないし、クセつよ陰陽師も居ない。ましてや命の危険が迫る台風も来ない。通常の枠を出ない現実だし、そこいた主人公や竹永先生、合唱部のみんなの感動をどこまで言葉に表せるかなんて、そうとう厳しいと思う。血のにじむような努力は(私にすれば)ほとんど描かれていないように感じるし、私にゃ絶対無理。逆に自分の現実とは違う世界の話にしか聞こえない。「しあわせは自分で決める」と竹永先生は言ってんだけど、きっと本当の人生に比べると本になり文章となってしまうと、きっと伝わり方がUVカットの衣料のように数パーセントしか届かなくなっている。フィクションって難しいなって思うところはそこだと思う。
ただひとつ。169ページ「ALSという病気を持った自分のことを、初めて好きになれました」って卒部式での竹永先生の言葉。そして、172ページ「人生で最大のチャレンジをした年だった」のつぶやき。自分をありのままに認め、つまり負の部分を含めて、自分を好きになることって大切だよっていうこのお話の「主題」かな。ただ、その上で精一杯やってみるってことかな。
よくグランマ(おばあちゃん)やグランパ(おじいちゃん)が若いころの武勇伝を壊れたレコード(?)のように何回も何回も聞かせてくれるんだけど、この思い出がきっと人生の糧になってるんだろうな・・・と思う。今度グランマやグランパに会ったら、しっかりと聞いて(いるふりを?)やろうっと。
この本の読書会、通子の独演会みたいになったが、由美子はにこにこして聞いていた。読書感想文という文字の形にはなっていないけど、なんか通子と大切なものを共有できたような感覚が由美子の中で香りよく漂ってきたようだ。
『とびたて みんなのドラゴン』(オザワ部長著 岩崎書店)
ISBN978-4-265-08041-0 \1500+税
今回は通子の独白のみ。由美子と討論はなしです。(執筆時間がとれれば保健の江崎先生も交えてやりたかったところですが。)もう2冊外国のお話があるのですが、未だ図書館からお借りできないまま。この2冊はなしになってしまいそう。もし、そうなったらごめんなさい。
(ちなみに読書感想文は人の感想じゃ意味ないよ。こうやって話題を広げるとか、人を巻き込むとかは伝えてきたつもりだから、そうやって楽しく書きましょう!)




