第10章 由美子の空手教室デビュー
由美子がいよいよ空手教室に通い始めます。そこには意外な人が・・・。
空手の返事や挨拶で『押忍』というのがありますが、忍耐の意味と理解しています。もともとは沖縄(昔は琉球王国)で空手が始まったと聞いていますが、当時は日本(薩摩?)の支配下にあり、刀などの武器は取り上げられ、素手や農機具で戦うために発達したということです。ひたすら耐え忍んできたことがより強くなることでむしろ戦わないことを至上とする精神に至ったのだと思います。ここは武士道と近いアイデンティティーがあるような気がするのですが。さて。
第10章 由美子の空手教室デビュー
珍しく両親におねだりした由美子。
「私、空手を習いたい。公民館でやっているんですって。月謝というか活動費はとても安いし・・・。それに。」
「それに?」
お皿を洗う手をとめて母が優しく聞き返す。
「あの私を助けてくれた高校生もボランティアに行っているんだって。」
「そう。思い出して辛くない?」
「ううん。むしろ心強い感じがする。それに私も強くなりたい。」
「強く?珍しいわね、由美子がそんなことを言うなんて。」
「ううん。あの時強い私だったら、あんなに動揺しなかったんじゃないかと思うの。」
「ふ~ん。なぜそう思うの?」
「そう、あの時の高校生がそうだった。相手の人は大人だし、ナイフもちらつかせたのよ。でもあの二人は全然平気だった。まったく余裕なの。いざとなれば負けないって自信というのかな、それって自分を成長させるのに大事なんじゃ無いかって。それで、あの高校生をマネ?して空手をやってみたいと思ったの。」
「なるほどね。お母さんも、お父さんも賛成よ。由美子がおねだりするなんてきっと人生を変えるような、思うところがあったんだろうって。」
「人生を変えるなんて大袈裟過ぎ。」
「でも村上先生と出会って『読書感想文』を書き始めたら、由美子って変わったと思うよ。さらに変わるチャンスじゃないの?」
「ありがとうお母さん。」
由美子は人生初めての道場という場所にいた。最初は見学からだが、体操着を着てきている。道着はまだない。保育園に通っている子から後期高齢者まで数は多くないが、みんな真剣に突きや蹴りの練習をやっている。今日は高校生の二人は居なかった。でも、きっと彼らがいたら甘えてしまう。ちょうどいいんだと由美子は自分に言い聞かせていた。でも、なんか心地よい空間だ。みんな一つの目標に向かって努力している。統一感というのではないが、一体となれるんじゃないかという期待があふれていた。
師範が由美子に気付いて声をかけてきた。例の凄腕の方だ。
「空手は好きかね?中には暴力という御仁もいらっしゃるが、稽古風景を見てどう思いますか?」
「きっと好きになると思います。そして、暴力というのはよく分かりません。みんなおそらく暴力というものに無縁となるためにがんばっているんだと思います。」
「ほう。君が広幸が言っていた娘だね。確かに面白い。あの子が君に興味を抱いた気持ちがよく分かる。どうだ。ちょっとやってみませんか。」
「はい。ぜひ!」
「先ずは拳の握り方だ。小指から順に丁寧に握っていく。親指はきちんと曲げる。そうでないと巻藁を突いた時に親指を突き指するからね。」
「はい。こうですか?」
「いいね。次は突きだ。拳は腰のところで指の方を上にむけて構える。」
「こうですか?」
「もっと身体に引き寄せて。腕は拳から肘、肩へと脇から離さず、ひねりながら伸びきった時には手の甲の側が上を向くように伸ばす。身体の芯を垂直に保ったままだ。自然と腰が入り、腕に先行していくだろう。」
「はい。」
「で、拳が空中に描かれた相手に当たった瞬間、腕は元通りに引く。パワーを一瞬で相手に全て預ける感じだ。棒でつつく感じとは全く違う。弾丸が当たって一気にパワーを出すような・・・と言った方がいいかもしれないね。」
「えい!」
「おお、いいね。細いけど、身体はしなやかでしかも瞬発力がある。立ち方はやっていなかったね。こりゃ歳のせいかな。忘れていた。そう、先ず『気を付け』の姿勢をしてごらん。ただし、身体の力は抜いてね。」
「はい、こうです(か)!」
師範はいきなり由美子を軽く突き飛ばそうとした。しかし、由美子の身体はしなやかにその力を受け流した。
「ほぉ!」
「先生、いきなり!倒れるところでしたぁ!」
「申し訳ない。ちょっと確かめたくてね。筋力もさることながら、反射神経やバランス感覚もいい。よし、みんなに混じってすこし続けなさい。突きや蹴りの基本形は左足を前に出し、スネが地面と直角、太ももが地面と平行に90度曲げる。右足はしっかりつっかえ棒のようにして伸ばす。足首は45度外に向ける。蹴りは次回以降だ。そう、しばらく続けなさい。」
汗をかくまではいかなかったが、身体は十分に温まった。帰りには参加費の市の納入指示書と道着の販売先が記してある文書をもらって帰ってきた。母はにこにこして出迎えてくれた。
翌日、武道具屋に父が連れていってくれた。剣道や柔道、弓道や銃剣道、いろいろな武道用具が置いてあった。空手着は柔道着に似ているが、柔道のごつい糸で編み上げられた布と違い、パリッとした厚手の白衣のような感じの布が使ってあった。素早い突き動作にはピシッ!パシッ!と音が鳴る。由美子はもちろん、白い帯も買ってもらった。
いよいよ今日から空手教室に本格的に参加する。師範とはもう顔を合わせたし、小さい子や年配の方ともすぐに仲良くなった。
さて、開始2分前にやっと例の高校生二人が現れた。
「おう、小学生!来たなぁ。」(いや、来たっていうのは皆さんの方でしょ。ぎりぎり)
そしてなぜか、もう一人身近な人が現れた。
「え~っ!村上先生!?なんでここに!?」
「あれっ!?由美子?それこそ、なんでお前がここに?」
「えっ?村上先生、この小学生と知り合い?」
「村上先生は私の担任です!」
高校生の二人は顔を見合わせて、なぜか吹き出した。
「おい、おい!この小学生、先生の教え子なんすか!」
「ああ、まあ。」
(高校生と先生、お知り合いなんだ!そういえば、『あの時』、三人でなんかびっくりしてたようだった。そのとき、自分の教え子だって言えばいいのに!)
「おい、由美子、空手習うっていうんなら、俺にも相談してくれればよかったのに。」
「だって先生と空手ってどうしても結びつかなかったんですもの。」
「いや、体育の時間に護身術を教えただろ。あれもだ。」
「というか、村上先生も空手をやってらっしゃんですか?」
「ああ、高校卒業までやってたよ。大学時代と教員になってからは、しばらくご無沙汰してたんだけど、地元に戻ってきてまた少しずつ参加するようになった。まあ、ホントにたまにしか来られないんだけど。・・・あら、道着も買ったんだな。」
「はい。どうですか?」
「おい、由美子。Tシャツは?」
「えっ?道着は直接肌に着けるんじゃないですか?」
「いやその、男はだな。でも前が開いているから、女子は、その、なんというか、見えてる・・・。だから女子は普通Tシャツを着る・・・。」
由美子は顔を下に向けると大きく開いた道着から自分の胸が見えた。
「いや、先生のスケベ!変態!エッチ!」
由美子は真っ赤になって胸を押さえる。
「いや、女の人はTシャツを着けるって教えてもらわなかったのか!?」
「だって初めてなんですものっ!」
「すぐに着てこい。」
「だって、Tシャツなんてありません!持ってきてません!」
その話を聞きつけたのか、中学生くらいの人がやってきて。
「私のでよかったら、着る?汗かくから予備があるの。」
由美子は首をうなだれて首を縦に振った。
(先生に見られた・・・。村上先生はそんなへんな人じゃないから、なんとなく許せなくもないけど。なんか納得は出来ない気分・・・。)
「いや~、村上先生がロリコンだなんて知りませんでした。」
広幸がニヤニヤしながら言うと、
「おい、それよりもあの小学生、大丈夫か?これって結構ショックなはずだぞ。」
「そりゃそうだ、先生。」
「いや、あれは不可抗力だろ。」
「いや、わざとじゃないことは分かる。でも、事故であれ、きっとあれ傷ついているぞ。あ~あ。」
「おい、貴之まで。」
そこへ由美子が戻ってきた。泣いてはいないようだ。
「先生、見たこと忘れてください。」
「もちろん、忘れる!もう忘れた。」
「ウソっぽい。」
「ちゃんと忘れるって。」
「ほら、忘れてない。ちゃんと責任とって私にきちんと空手、教えてください。」
「はい!間違いなく!」
「で、広幸さんと貴之さんとはどういう関係で?」
「隣の小学校の時の教え子。まあ、そういう意味では由美子の先輩に当たるかな。村上塾のね。」
「へえ~。」
「さて、ちょっと遅れたけど、始まるぞ。そこに並んで。『左座右立』といって座るときは左足から。立つときは右足からだ。師範が来た。」
みな座って待つ。
「礼!」
貴之が号令を掛ける。一斉に礼がそろう・・・がいつ頭を上げて良いのか、由美子は伏せたまま目だけ動かして回りを見る。一瞬遅れて顔を上げる。
「あっ、ちなみに返事は全て『押忍』だからね。」
広幸が小さな声で耳打ちしてくれる。
「前回から参加してくれている娘だね。広幸さん、貴之さん、君たち知り合いのようだから丁寧に教えてあげてください。まず、基本の立ち方を一通り。握り方の基本と突きの仕方。今日はそこまでかな。頼みましたよ。」
師範が穏やかに指示を出してくれる。
「押忍!」
「おい、小学生・・・そう言えば名前聞いてなかった。名前は?」
「(いまごろ聞く?ほんとのんびり屋さんなんだから)由美子です。」
「由美子さんか、良い名前だね。」
「でも、みなさん、ずーーーと『おい小学生』でしたよ。」
「そりゃ失礼。」
広幸も貴之も丁寧にお辞儀をした。
「では、まず自然体から。」
「前回やった立ち方だ。」
「そう、自然に。呼吸を止めない。この場合はゆっくりと吸い、ゆっくりと吐く。」
「似たような立ち方に足を平行にぴたりとつけた『閉足立ち』、踵をつけたままつま先を60度開く『結び立ち』がある。自然体は両足をほぼ並行に肩幅程度に開く立ち方だな。」
「結び立ちって『気を付け』の姿勢ですね。」
「あんなに身体を硬くしない。自由に動けなくなる。」
「なるほど。違うんですね。」
「次は結び立ちから自然体への移行だ。両脇に置いた手を正面で重ねる。それを握りながら両脇に戻し、同時に足も開いていく。拳には力を入れない。入れるとすれば小指だ。握り方は前にやったね?」
「小指から順番に握っていくんでしたね。するとぎゅっと握ったときに堅い拳になる・・・。」
「そうだ。いいぞ。」
「えい!」
広幸がいきなり由美子を背中から緩やかに押す。ぐらっとなる由美子。
「あっ、やられた。」
「ちょっとどこかに力が入っていたね。でも、広幸、女子だぞ。触るな。」
「いや、将来俺の彼女だから俺は構わん。」
「どういう理屈だよ。もう。」
「油断していました。」
「そうだね。別に全周囲にレーダービームを発しまくる必要は無いんだが、心を穏やかにして・・・森の中に入って静かにたたずんでいれば、わずかな雨だれの音も感じられる・・・みたいな。」
「あっ、師範はそんな感じですね。」
「おう、分かるか!さすが俺の将来の彼女!」
貴之が額を押さえて上を向く。
「好きにしろ。」
なんか、実際の空手教室は波乱もありながら、それなりに始まったようだ。
「あれ?村上先生はどうした?」
「あ~、小さい子相手に教えてるわ。ちっちゃくなってる。由美子ちゃん以上にきてるわこれ。」
「おーい、村上先生っ。こっちも教えてくんない?」
「それ、いじめに近いんだけど・・・。」
「・・・ガン無視。」
「よっぽど由美子ちゃんの件、けっこうこたえたみたいだな。」
「見られちゃった・・のは・・・私の不注意ですから。」
「いや、村上先生ってそういう人だから。気にすんな。それより、次は四股立ちね。腿は180度ね。スネは地面と直角。」
「こうですか?(これってズボンの?・・・吹き出すな!由美子!我慢!)」
「いいね。さすが柔らかい。もうちょっと続けようか。」
(えっ、これって村上先生の電気椅子的な。あっ太股が、ピクピク痙攣し始めた・・・。)
「おや?まだその姿勢ね、続けようか。意外と早くピクピクし始めたね。」
「村上先生も・・・体育で・・・電気椅子します・・・同じかとぉ。」
「ああ、俺等もよくやらされたよな。」
「そうだな。でも俺、この立ち方結構気に入っている。これ、筋力付くよ。」
「由美子ちゃん、だんだん前のめりになってきた。上体は地面と垂直に。」
「はい・・・・。」
「よし、そろっと自然体に戻ろうか。」
「は・・・!」
重心を持ち上げようとした瞬間、力尽きた。由美子は後ろに尻餅をついて倒れ込んでしまった。
「おう、頑張ったね。すっごいしなやかで覚えはいいけど、筋力は意外と普通だな。まあ、男子と比べちゃ悪いけど。」
「(貴って意外と手加減しらない)手を出せ。起こしてやる。」
「そうやってすぐ触ろうとするし。先生じゃなくてお前がロリコンだろ。」
「そう言うなよ。お前って老若男女関わらず、全く手加減しないし。それにお前みたいにリア充じゃないし。」
「あの娘とは合格までは手もつながない。そういう約束だ。」
広幸は由美子の手をぐいっとつかんで立たせた。
「由美子ちゃん、こいつね、リア充のくせにほんとにイチャつかない。それがかえって頭くんだよな。ちゃんとお互いにさん付けで呼んでるし。」
「お前、小学生相手に何言ってんだよ。全く。俺たちはお互いに尊敬しているし、同じ目標に向かっている。同じ大学に合格するってね。それでお互いに競い合って頑張っていることが、なんというか、充実なんだ。図書館で必死に勉強して、分からないところはいっしょに考えて・・・。それでいいだろ。空手ばか!」
「ばか、ばか言うな。これでも気にしてんだから。」
「お前って、去年のバレンタイン、本命だってチョコもらったのに食って終わりだったじゃないか。ばかだよ。他の男子がうらやましがるような女の子だったのに、相手にもしないなんて失礼にもほどがある。お前、やっぱりロリコンだろ。」
(もう、ふたりでそんな話で喧嘩するのやめてほしいな。でも広幸さんも貴之さんもやっぱりモテるんだ。)
「こいつのな、学年でほぼ毎回一番の成績の彼女なんだ。でも普段はふっつうの女の子なんだよな、はたからみると。でも、ちゃんと髪を下ろして眼鏡外すと、ものすごく可愛いんだよ。この前の休み、図書館前でいっしょに居るの見て、びっくりだったけど。お前みたいのが、どうやってゲットしたんだ。」
「ゲットなんかしてないよ。生徒会活動でいっしょに活動する内に、なんか一緒に勉強もするようになっただけだ。とにかく二人とも同じ大学に進み、いっしょに同じ道を歩もうってことになって、それから本気で二人のことを考えても遅くないってことになって、それは約束して、二人で頑張っている。何が悪い。」
「プラトニック・ラブかよ。おまえ、中世に生きてる白馬の騎士を地で行くかよ。」
「お前だって『さわやか馬鹿』だろ。昭和人間じゃないか!」
(私たちは喧嘩はしないけど、私と通子みたい・・・)
「ぅほぉん!ふたりともちょっとこっちに来なさい。」
二人の顔が引きつる。まわりの子たちがまた?ってふうに眺めている。
「師範、それはちょっと、体罰・・・。ねぇ、村上先生!」
「おら知らん。ここ、学校じゃないし。体罰は別に禁止されていないと思うけど。」
「集中はどうした?お前たちは邪念が多すぎる。そこになおれ。」
ふたりとも本気でびびっている。正座する。すると、師範が背後に立ち、順番に彼らのこめかみを両こぶしでグリグリとした。二人ともマジで跳び上がった。広幸はこめかみを押さえながら道場を一周した。ふたりとも半泣き状態で正座すると、師範に向かって礼をした。
「押忍!」
(由美子、唖然・・・。)
先ほどの中学生が由美子のところに歩み寄る。
「由美子ちゃん、スポーツブラも持ってる?あった方がいいわよ。持っていなかったらお母さん頼んで買ってもらった方がいいよ。Tシャツだけだと、ちょっと目立つから。」
「ご親切にありがとうございます。そうします。Tシャツ洗ってお返しします。」
(Tシャツは後にきれいに洗い、母親の手作りケーキと一緒に返した)
帰り道は父が車で迎えに来ていた。超高級車・・・と言っている軽トラだ。完全装備(?)で後ろの荷台には傾斜のついた緑色の分厚いシートが張ってある。荷台を照らすライトもある。父の隣の助手席に座り込む。エンジンがお尻の下にあるので、アイドリングでも微妙な小刻みな振動がある。後輪は重量物でも大丈夫な1枚多い4枚リーフスプリングだ。よって荷物を積んでいないとガッチガチで、舌を噛みそうなほどはねる。
「由美子、じゃ、また明日。」
村上が高校生ふたりと並んで見送ってくれる。由美子は父に分からないように、ちょっとだけ舌を出して「べェ~」をした。父は会釈して車を発進させた。
こうして、(ちょっと予定外のハプニングはあったが)なんとか無事に由美子の空手教室通いが幕を開けた。
女性もどんどん格闘技など危険性を伴う(?)競技に進出してきましたね。サッカーも女子リーグが出来てきましたが、プロ野球はまだなんでしょうか。早くドリームボール、見たいなぁ。
由美子にもちょっとしたハプニングを付け加えましたが、事前に見学に行っているので、説明がなくてもTシャツが必要でそれが当たり前なくらいは普通に気付くと思います。まあ、フィクションなのでお許しください。他のスポーツでも女の子はちょっと気を付けてね・・・という意味をこめて。




