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第一章 第2話 円城寺文也はこの地で矢倉周人と出会った

 円城寺文也は新しい配置先となった組織の、指定された宿泊所に入った。

 部屋は二人一組になっている。


 入口に張ってあった部屋割表を見て指定の部屋に入ると、ガタイのいい男が背中をこちらに向けて左側のベッドに寝ている。何かあったのか相当に疲れている様子で、物音にびくともしない。


 寝ている人間を起こしてまで挨拶することはないので、文也は静かに荷物を置いた。


 室内は両側にそれぞれベッド、机と椅子、シンプルな洋服ダンスがあるだけだ。

 自衛隊の施設をそのまま譲り受けての研修大学校なので、遊びのない無骨な造りもそのままだった。文也の育ちからすれば、牢獄に等しい簡素さだ。荷物を解いて置くべき所におくと、後はやることがない。


 文也もベッドに横たわった。

 そして、ゆっくりと思考を廻らせた。


 一応、便宜的にグループ分けが成されているらしい。しかしこれは訓練期間のみで、期間中であっても場合によってはシャッフルしてメンバーを入れ替えるということだった。となりに眠る男は、一時的にせよ同じグループの一員だと分かっている。 

◇円城寺文也


 円城寺文也は考えた。


 ここの研修期間は約一年。だが、その修了後も、実力維持のために訓練や研修期間が定期的に持たれると聞いた。

 カリキュラムの内容も、文也はすでに知っている。なるほどこんな訓練をするのか、と面白がった。


 さきほど一緒にここにやってきた同じ財務省から配属の二人は、「なにも知らない」「自分は聞いていない」を連発していた。実際にあまり知らないのかわざと言ったのか。自分にとって不本意な状況を、そういう言葉でごまかしているのだろう。


 だが文也からすると「なにも知らない」というのは思いつきもしないワードだ。そして「自分は聞いていない」は醜い言葉だ。わざと使う場合もあるが、それはまさに意図を持って使う時だ。

本気でも弁解でも、使いたくない言葉の一つだ。

 ネットを引けば何でも乗っているご時世に「情報がない」はいい訳にならない。世界中の図書館と人類の英知のアーカイブが、目の前にあるのだ。今や知らないとは、「自ら調べていない」の代名詞だ。


 間違った情報があるだの玉石混合だのと言うやつがあるが、もともと情報とは太古の昔からそうだ。ネットになって分量が驚異的に拡大しただけだ。

 それに新聞を読め。ネットを見ろ。アーカイブを探れ、図書館に行け。


  新聞というのは不思議だ。

 どんな情報も、ネットが早くて、大量で、正確さと不正確さは同じ程度だ。

 しかし新聞には、不思議な情報アンバランスのバランスがある。不可思議な情報組み合わせがある。

 

 記者自身が何も分からずに書いていても。また、たとえ記者の文章が下手でも。そして仮に記事が不正確でも。断片を集めればちゃんと見えてくるものがある。

 ずっと読み続ければ全体像が分かり、ジクソーパズルのように形を成す。ある程度の情報が集まれば、問題が妙に形になって表われるのだ。


 加えてどうしても生の情報が知りたければ、人の話に耳を傾ければいい。

 自分だけが秘密を知っている情報を持っていると思っている人間は、それを言いたくてうずうずしている。顔を見ればわかる。そこにそっと行って、何か話しかければいいのだ。すると必ずいつかそれを口に出す。彼らはしゃべったつもりはなくとも、何らかの情報を吐くことになる。

 

 文也には情報に対して、お気に入りのエピソードがある。 

 

 かつてナチスに対して、一人のイギリス人記者が、機密事項を知っている者しか分からないほど、その機構図を精密に再現し、その他の秘密情報も明らかにして、ナチス軍の高官の背筋を凍らせた。

 ナチスはその人間をつかまえて拷問し、誰が内部のスパイか吐かせようとした。これだけの正確で大量の情報が、内部スパイなしで集められるわけがない。

 しかしそのイギリス人は、ナチス内部に誰も知り合いはいない、全てナチスが公開した新聞やラジオの情報や、総統や担当大臣の講和を基に分析し、そして普通の人の口から得た情報をつなぎ合わせて、機構図と記事を書いている。決して、どのスパイとも密通していない、誰からも秘密の情報を手にしていない、と言った。 ーそして実際そうだった。

 

 そういう話だ。

 

 文也は常に、かつて読んだこの話しを思い出す。文也の情報に関する哲学にさえなっている。


――まさにそうだ。

 公開情報だけで、事実の95%を網羅できる。

 秘密の情報なんかわずかに数パーセントだ。もちろんその数パーセントが重要なカギを握ることがある。だが95%を把握できて、残り5%をどうして推測できない? 

 研ぎ澄まされた目と注意深い耳で得た情報と知識を、偏見と先入観を持たない感性で拾い集め、クリアな頭で考えれば、物事は見えてくる。それが知るということだ。それが知恵ということだ。智恵だ。叡智だ。

 

 一緒に財務省から来た同僚の愚かさに、文也は顔色も変えずに心の中で舌打ちをした。彼らは財務省という日本のトップオブザトップに属していた人間として、こんな新しく設置された部署に配置されることが我慢ならないのだろう。

 

 官僚にとって、新しいこと始めての事は、全て悪だ。

 財務省にとって、財務省以外の部署への配置は格落ちだ。

 ましてや、いまさら「隊」と名のつく部門に配属されるのは、更に屈辱だろう。


 文也は、自分が配属を希望した時のことを思い出した。

 文也を放したがらなかった幹部のがっくりとした顔には心を痛めたが、人質ひとじち人事として文也を渡そうと考えていた上司は安堵していた。

 文也は彼らには充分に恩を売った。今後の官僚人生で、それはちゃんと返してもらう時が来る。

 それよりも彼らの数名が「部長」という言葉を口にしたことだ。この新しい機関の責任者らしい人間のことを。

 

 ホッとした時や何かが終わった時、どんな官僚もつい本音やそれまで秘密だったことを吐く時がある。ふともういいだろうと言う気持ちが、油断させるのだろう。この時がそうだった。

 彼らは「結局あちらの部長の思うつぼだ」「あの部長がどうしても君を欲しがった」と言った。


 文也はさっそく情報収集能力を駆使して、部長なるものを調べ上げた。

 そして分かった。その部長の存在と、その部長なるものは各省庁に対してどうしても欲しい人材を奪い取るためにあらゆる方法を駆使しているらしいことを。

 

 会おうじゃないか。

 自分をどうしても欲しいと言う人間に。そのためにあの財務省を相手に戦術をめぐらし、結果的に説得できた人間に。それにその人物が、どうしても必要だと求めて集めた人間たちに。


 保安庁のたった一人の人物を得るためにその部長は、保安庁では役に立たないとされたその他の十数人を引きうけたらしい。

 宮内庁警察には、その一人と引き換えに優秀な部下を数名渡したという。

 防衛省からは簡単だったらしい。その優れた人材は防衛省においては不向きだったらしく、むしろその役立たず人員を引き受けると恩を売って、その他の便宜をはかってもらったと言うわけだ。

 

 他の省庁に対しても、その関係者や天下り要因を講師や教官として採用するからとの交換条件で、ゲットしたメンバーがいるとのことだ。

 並々ならぬ工面だ。

 これは新しい。これは今後面白いことになる組織だ。文也はそう思った。

どんな組織も一人から、或いはわずか数人から始まる。

最初の一人が、そして最初の数人が、何年後かのその組織を決定する。

組織が始まる時も、再生する時も、変革する時も、必ず最初の一人がいる。最初の一団がいる。

 

 財務省にもう『始まり』はない。再生も変革もない。40年先まで先が見えている。

それに対して、この新しい組織は、……新しい。

初めてのものだ。

組織構造イノベーションの最たるものだ。

始まりに立ち会える、草創の一人になれる、変革の一員になれる。

おもしろい。


 仮に失敗しても、新しいことを始めたということは残る。新しいことを始めるのはそれだけで「成功」だ。

 だいたい、この円城寺文也が関わることで成功しないことがあったためしはない。失敗することに手は出したりしない。充分な勝算がなければ、参戦などしない。

 

 ピラミッド型の日本の官僚組織構造を、無理やりできもしないフラットにするのではなく、大きな組織の中にチーム制を取り入れて、いくつもの流動的なチームの集合体で成り立たせるという手法。

 この手法も興味深いし、そして仕事が「課題解決」というのも、噴き出した。

国家版何でやる課、国単位のすぐやる課というわけだ。あるいは新聞社の遊軍か。

それから……。

 

 ふと誰かに見られている気がして、取りとめのない思考を止めた。

となりを見る。

 

 いつの間に起きたのか。先ほどまで隣で寝ていたはずの男が、いまはベッドのふちに座ってこちらを見ている。

 涼しげな目をしているが、目尻の笑い皺がその性格の良さを物語っている。

 相手は屈託なく笑って言った。

「悪い。寝ている人を起こしてまで、挨拶をするのはどうかと思って。待ってたんだ」

 それはこちらの言い分だったが。

「おれ矢倉周人。本籍は保安庁」

 

 文也は起き上がって、ベッドの縁に腰掛けた姿勢で矢倉周人と名乗る男に向き合う形になった。

「円城寺文也。本籍は財務省」

「へえ、頭いいんだ」

 単純に感心している、何の含みもない反応だった。

 シンプルだ。

 

 矢倉周人は笑顔で握手の手を差し出してきた。

 その手は、その身体に比例した大きさだ。

 文也は彼の手を握り返し、同じように笑顔を返した。

 

 この瞬間、予感した。

 僕はこの男と、この後ずっと組んでいくことになる、と。

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