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第一章 第1話 萩原白秋と工藤雄介  防衛省大学校からの旅立ちか

♢ 防衛省大学校大学院、教官室



「白秋くん、あれ出してくれ」


 工藤雄介のその声に萩原白秋は、声の主を見もせずに引き出しをあけて書類を出し、黙って立ち上がり、席の前に来て、レポートを差し出した。


 工藤は気にするふうもなく、書類をめくる。慣れているのだ、彼のそんな態度に。

 さらりと読み終わって工藤が顔をあげると、白秋が目をそらす。いつものことだ、と気にせずに書類を指した。


「良い分析だ。ところで……」


 普通の人間なら上官の「ところで」に何らかの反応を示すのだが、白秋はそんなことはしない。相変わらず視線を合わせない。



 ここは防衛大学校大学院の理工学研究科、その教官室である。

 むろん。

 防衛大学校の教官室でこのような態度の教官が普通、許されているわけではない。


しかし、理工系という能力に秀でたものは、多少コミュニケーションに難があっても、多少変わり者でも、その存在が否定されるものではない。

むしろ理系とはそういうものだと認識されている節がある。それは防衛省という場においてもそうであり、とこの傾向はいちじるしい。


 


 特に旭日という世になってからは、この自衛隊においてさえ、理工系で出世するものは、そんな変わり者が多い彼らの能力を引き出し、その能力を巧みに束ね、彼らを巧みに操ることが出来るものである。


 理工系の職場の管理職には、その能力が激しく求められるようになった。だから理工系でさえのし上がっていくには、教養系の過程をへた理工系の人間が必要になってきた。この工藤雄介も、その一人であった。

 

 そしてこの白秋は能力を引き出され、束ねられ、操られる理工系変わり者の一人である。


 白秋は、そんな理工系の部下のなかでも、さらにちょっと変わっている。理工系なのに、どうやら深い文系教養を持っている。親の影響らしい。何しろ自分の息子に古い時代の詩人の名をつけるぐらいの親だ。普通にそんな親の家庭に生まれて育つと、普通に吸収される知識だ。


 だが、白秋のような理工系の人間で、興味のあるものにしかやる気を見せない雰囲気を明らかに醸し出し、コミュニケーション障害の様相を呈している人間が、そのような文系の深い教養をちらりと見せると、人はびっくりするのだ。


 白秋は、個性が偏っているのであって、能力は偏っていない。


 工藤は、そんな白秋をよくわかっていた。そして分かっているからこそ、白秋を指定してこの話が来たことを、誰にもまして驚かなかった。


 工藤は白秋を見た。


 今、外の世界では、いや、防衛省の外の国家公務員の世界ではということだが、とにかく外の世界では、毎日、誰かが呼び出されて、この旭日の大改変でどこかへの移動を指示されている。今や民族大移動だ。


「新しい部署が、省庁再編の一環で作られることを知っているね。その部署は、訓練期間が一年あって、その間は訓練所の宿泊所にすむ」


 白秋は頷いたりしないので、工藤は続ける。


「その新しい部署の責任者のたっての願いで、君をそこに配置することにした」


 やはり目を合わせない。


「この大学校教員からその部署に行くのは君一人だ」


白秋はどこかを見ている。


「しかも、教官ではなく、隊員だ。……隊員と言っていいのか分からないが」


 別のどこかを見ている。


「で、相手側の責任者が、どうしても君が欲しいと言ってきている」


今度はこちらの手元を見ている。


「急だが、移動だ」


それから工藤は続けた。白秋が言葉を発しないことに慣れているので、これが普通だ。


「実はこの書類も、相手側に渡すことになっている」


そう言って書類をちらりと見たときに、白秋がさっと自分を見たのを感じたが、工藤が目を戻すともう別の方向を見ている。


「それで」ぽつりと、白秋


「…どうしてですか?」


 小さな声だったので、聞き間違いかと思ったが、見ると白秋はこちらの手元を見ながら、確かに口を動かした後がある。


「あ、向こうが欲しがっているというのは本当なんだ。移動は不本意かも知れないが……」


「どうして、その書類を渡すんですか」


「ええっと、あちらの部長さんが欲しがっているんだ」


「…なぜ、欲しがるんですか」


「さあ。実力を確かめるためかな」


「欲しがっているなら、実力はもう知っているはずです」


白秋は理詰めだ。ここで必死に考えるはめになるのは、白秋を相手にする上司の方だ。


 工藤は、ゆっくりと言葉を重ねた。

 「訓練期間のグループ分けに使う。そう言っていた。それから…」


「なるほど。理由をきいたんですね」

 レポートを使う理由を相手側に聞いていなかったら、ここで工藤は、白秋の内なる”上司テスト〟つまり上司に対する能力チェックだが、それに落ちていたことになる。


 工藤は笑いたくなった。


「部門は全分野にわたると言っていた。君のような技官も、文官やなんかと一緒になるらしい。全く分野が違うところから集まっている。民間や県庁からの人間もいるらしい」


「……」

 

 こちらの胸もとを見ているので何かついているのかと心配になるが、自分の胸を見られることは我慢して続けることにした。なぜなら、この白秋が明らかに興味津々のようすだからだ。


 不思議な気がするが、白秋はたしかにこの話に興味を持っている。

 「とにかく、多分野の多彩な人材を集めているらしい。君のことは、こちらが推薦したのではなく、あちらが指名してきたのだ」


 他のどんな指定の人材も受け取らす、白秋だけをその交換条件に欲しがったことは黙っておく。その部長がどうやって白秋の存在を知ったのかを、とても知りたいのだが、これも黙っておく。


 のど元まで「君ほんとはどうやって部長と知り合ったのだ」と疑問が出かかっているが、交換条件の他の部下たちのことを思い出し、また本当に白秋本人も実に何も知らなかったようだという感触を持ったからだ。


「向こうにいってから聞いてみればいい」


「そうします」


 自分で言ったのに、白秋の返事に驚いた。白秋は絶対にそう言うことは言わない。そんな積極的というか自主的にみえる行動は、しない。

 工藤は、まじまじと白秋を眺めた。すると驚いたことに白秋が、工藤を見た。

 

 こんな目をしているのか。彼の眼鏡の奥の目を見たのは初めてのような気がする。しかし、白秋はすぐにまたいつものように目をそらした。


 工藤は立ち上がって、辞令を両手で持った。


 たとえ白秋が変わり者とはいえ、自衛隊の命令指揮系統を如実に表すセレモニーは、瞬間的でも厳粛な雰囲気を醸し出す。


「この辞令をもって、この瞬間から君の所属は当該配置先とする」

「はい」

 白秋は、さらりと身をひるがえし、机に戻るとさっさと片づけをし始めた。


 三年間の上司と部下の関係が、こんな感じで終わるのであった。

 工藤はしかし、このあと自分も大学校長室に向かう。


 この白秋への辞令手交が、工藤のこの部署での最後の仕事である。これから大学校長の部屋に行くところだ。工藤も、これから辞令をもらう。


 省庁戦国時代が防衛省の自衛隊教育研究機関にも及んできたということを、工藤はこのときはっきりと悟っていた。

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