8.終幕はハッピーエンド。
それから、ゲトウェル伯爵がハノーヴァ侯爵令嬢レイラを誘拐していたこと、レイラがその後亡くなったこと、そして生まれた子であるレギオンが長年に渡り伯爵家で迫害されていたことは、社交界のみならず広く知れ渡り大騒ぎとなった。
ハノーヴァ侯爵からの強い抗議もあって、ゲトウェル伯爵は刑に処されることが決定し、夫人と娘のリーシャも見て見ぬフリをしていた罪として無給労働に従事させられることとなった。
当然ゲトウェル伯爵家は取り潰し、王国の歴史からも消えることとなる。
サミュエルとワーグス子爵家は、アデルの父であるフォーブス男爵から賠償金の支払いと融資金の返還を求められて強い取り立てにあっていて、家財の一切合切は勿論、先祖代々の領地まで巻き上げられて文字通り没落していった。
「さすがお父様、えげつなぁい」
屋敷の執務室。アデルが仕事をしながらくすくすと笑うと、お茶のカップをデスクに置いたノーラがぷりぷりと怒って首を振る。
「うちのお嬢様を侮辱しておいて未だに命があるんだから、生温いぐらいです!」
「お父様は商売人であって、処刑人じゃないわよ」
「身ぐるみ剥がしてやればいいんです、あんな奴!」
「山賊でもないのに」
ノーラが自分の為に怒ってくれるのが嬉しくて、アデルはまたはにかんだ。
商人として働いていると、抜け目のない相手は大勢いるし中にはアデルを女だからと侮ったり、あから様に不正な商売を持ちかけてくる奴もいた。でもそれ以上に誠実で優しい人は多い。
人の醜悪さに辟易することもあれば、人の心の美しさに感銘を受けることもあった。それもこれも、大勢の人に会う環境がアデルの日常だからだ。
一連の騒動で注目を集めたアデルの商会は、ここぞとばかりに貴族に対して商売の輪を広げていた。それまでは成金令嬢の商売、と蔑まれていたが、アデルの商会で扱う商品は確かな品だし値段も適正価格だ。
きちんと商品を知ってもらいさえすれば必ず売れることを確信していた。
噂の渦中の令嬢を見てやろう、という目論見で茶会や晩餐会に「商会の会頭」として招かれたアデルは、どんどん商品を紹介していった。
会頭を呼びつけておいて、何も買わずに帰すことなど出来ない見栄っ張りの貴族達はそれぞれに商品を購入、使ってみればその品自体を気に入って、今やお得意様にという流れである。
「お嬢様の才覚には、本当に頭が下がります」
リードが追加の書類を持って執務室に入ってきた。デスクにどっさりと置かれたそれに、アデルはちょっと顔を顰める。
「……稼ぎ時だったから機を逃さずに追撃したけど、ちょっと商売を広げ過ぎたわね……雇人を増やした方がいいかしら」
「ああ、それはようございます。ちょうど今、お嬢様の下で働きたいという者が来ておりまして」
リードがわざととらしくポン、と手を打つ。あやしい。
「……求人を出してないのに、希望者が来ることなんてあるの……?」
じろっとアデルがリードを睨むと、ノーラもうんうんと頷いた。
「そうですよ! 大体その人の能力とか、分かってるんですか!? お嬢様の下に付くんだったら、そりゃあ優秀な人で、見た目も清潔で、ちゃんとした経歴の人じゃないと、このノーラが許しませんよ」
販売や仕入れなんかは店舗の方で雇っている人員に任せているが、経営としてはアデルとリードでほとんど担っている。商会を立ち上げた時は、父のフォーブス男爵に見てもらったりその部下の手を少し借りたこともあったが、今はほぼ独力だ。
「うーん。他の商会で職務経験がある人よりも、学校を卒業したてとかの人を雇って、うちの商会のことをイチから勉強してもらえたら都合がいいんだけど……」
アデルの経営方針は破天荒なので、別の商会などで働いた経験のある者には合わないことが多い。求人を出していないのにやって来た、ということは職務経験者の可能性が高いだろう。
しかし既に就職希望者が屋敷に来てしまっているのならば、会わずに帰すのも失礼だ。
「えっと、応接室にいらしてるの?」
アデルが執務室の扉を開けて、気の進まない様子で廊下に出ていく。その背に、リードの楽しそうな声がかかる。
「ええ。職務経験はありませんが、優秀であることは保証いたしますよ」
ノーラも付いて行こうと、開いたままの扉へと向かった。
「……何せ、私が教育しましたから」
「え?」
戸口でぴた、と止まったノーラは怪訝そうに振り返り、ニヤリと笑うリードを見て、じわじわと笑顔になる。
一方リードの言葉を最後まで聞かずに、アデルはのそのそと廊下を進む。執務室は屋敷の奥、応接室は玄関に近い位置にあるので小さな屋敷とはいえ一番距離があるのだ。
「すごく頑固な職人系の人だったらどうしよう? いや、そんなタイプの人はうちを希望しないか……」
ぶつぶつと呟きながら廊下を進むと、ふと窓の外には新しい季節が来ていることに気付いた。
あの一件以来、仕事のこと以外はあまり考えないようにしてわざと忙しくしていたところもあるので、社交シーズンが終わって季節が巡っていることをアデルは暦の数字でしか認識していなかった。
「……たまには仕事以外の用事で街に出ようかな。最近、飼い主のいない動物の保護園の訪問も出来てないし……」
動物保護園には個人資産から定期的に援助しているが向こうも万年人員が不足しているし、直接何匹かこちらで預かって、ぷくぷくにしてあげてから伝手を辿って飼い主を探してあげたい。
「いや、そんな暇ないから求人ださなくちゃいけないんだけど……」
自分で言いながら、アデルはしょんぼりとしてしまう。
これから肌寒くなっていく季節の到来だ。ぷくぷくに甘やかして幸福そうな動物たちを、アデルの方も抱きしめて癒されたい。
「……うちの子は、元気かしら」
なるべく幸福でいて欲しいけれど、アデルは保護して守ってあげることは出来ても、何もかも肩代わりしてあげることは出来ない。
辛い現実も味合わなければならないだろうし、その上でこの世界の美しさと優しさを知って、強くなってほしかった。
「…………まぁ、そうやって巣立たれると、最後に残るのは独りぼっちの私なんだけど」
ふふ、とアデルは肩を竦めて笑う。
リードやノーラもいるし、頼りになる父親もいる。
それでも寂しく感じてしまうのは、アデルが他の保護した動物達とは違う感情を「うちの子」に抱いてしまった所為だろう。
寂しいことは、不幸なことではない。
離れたままでいるということは、逃げ帰って来ないということは、どこかで無事で元気に、そしてきっと幸福に過ごしているこということだ。
その代わりにアデルが寂しいことぐらいは、ただの勝手な感傷だった。
ぶつぶつと独り言を言っているうちに、応接室の前に辿り着く。面接面接、と唱えて、アデルは背筋を伸ばして気を引き締めた。
ノックをしてから少し、ゆっくりと扉を開く。
応接室の窓辺に立っていた客人を見て、アデルは大きく目を見開いた。
眩しい光に照らされてそこに立っているのはあの日別れたままの「うちの子」、レギオン・クルーガーだった。
長身を包むのは一目で上等だと分かる仕立ての衣服、綺麗に手入れされた艶のある髪、血色もいい。たくさん食べて、たくさん寝て、きっと幸せでいてくれたのだろう。
再会の喜びに声も出ないアデルにレギオンは微笑んで、歩み寄ってくるとその傍らに膝を付いた。
「好きです、俺と結婚してください」
「まぁ……喜んで!」
求婚には、二つ返事で!