5.二度は負けない
そう焦れることもなく、意気揚々とサミュエルとリーシャがこちらに近づいてくる。
「ハノーヴァ侯爵、本日はお越しいただきましてありがとうございます!」
サミュエルが大きな声で言うと、アデル達の側に立っていたハノーヴァ侯爵がうるさそうに顔を顰めた。気難しそうな、矍鑠とした老人だ。
「ああ、ゲトウェル伯爵にぜひ来てほしいと頼まれたからな。おめでとう二人とも」
「ありがとうございます、ハノーヴァ侯爵からお祝いの言葉をいただけるなんて、光栄ですわ!」
リーシャがこちらも大きな声で言い、注目が集まった。そしてハノーヴァ侯爵の近くにアデルがいることに気付き、皆ちょっと意味深な視線を向けてくる。
彼らにとっては面白い演目の第二幕なのだろう。
第一幕は不意打ちによってリーシャの勝利で終わったが、アデルはそう易々と何度も負けるわけにはいかないのだ。
今回はこちらも根回しも気合も十分、心強い味方もいる。アデルがちらりと視線を上げると、レギオンはすぐに気付いて微笑んでくれた。
侯爵とサミュエル達が話しているのを見て、ゲトウェル伯爵もそちらに駆け寄ってきた。
さぁ、復讐劇の開幕の鐘が鳴る。
「侯爵! 娘の祝いに来てくださって、本当にありがとうございます」
ゲトウェル伯爵の声に、レギオンがぴくりと震える。アデルは大丈夫、というようにエスコートしてくれている彼の腕を撫でた。
挨拶されるのを黙って待っていると、ようやく芝居がかった仕草でリーシャがこちらを向いた。
「まあ! アデル様! いらして下さったんですね」
「ええ、招待状をいただきましたもの」
にこ、とアデルが微笑むと、サミュエルは忌々しそうにこちらを睨んでくる。何しに来たと言いたげだが、リーシャに招待されたのだから睨まれる謂れはない。
「おめでとう、サミュエル様、リーシャ様」
「アデル様……! ようやくわたくし達の愛を認めてくださるんですね」
うる、とリーシャは目に涙を浮かべて可憐に微笑み、サミュエルはそれをでれでれと見つめている。
「いや、恥知らずにも婚約者のいる男と恋仲になった女のことなんて、小指の先ほどであろうとも認めるわけないじゃない」
美しく微笑んだまま、アデルはハッキリと言った。
「え」
「は……?」
特別大きな声でもなかったが、皆が注目していた為にアデルの声はよく通った。
リーシャはぽかんとし、サミュエルは顔を赤くして怒りの形相を浮かべる。
巻き込まれた形のハノーヴァ侯爵も驚いた様子でアデルとレギオンの方に視線を向けた。
「婚約者のいる男と……?」
だが、高貴な客人であるハノーヴァ侯爵の前で娘の不貞を暴かれたゲトウェル伯爵が慌てて反応する。
「何だお前は! 私の娘に失礼なことを言うな」
アデルは落ち着いて、伯爵の顔を見上げた。よくよく見ても、やっぱりレギオンには似ていない。
しかもこんなに近距離で息子が立っているというのに、レギオンに気付いた様子もないことがアデルの怒りの炎をさらに煽り立てた。
「あら、皆さまご存知の筈でしてよ? このサミュエル・ロッドは私と婚約していながら、真の恋に落ちたといって私との婚約を破棄して、リーシャ様と新たに婚約したんですもの」
「馬鹿を言うな! 大体、お前に女としての魅力がなかったのが原因だろう、俺がリーシャに恋をしたからって嫉妬から無駄な言いがかりを言うのはよせ!」
サミュエルが怒鳴ってきたが、アデルは鼻白む。
今自分で自分の不貞を認めたのだ。馬鹿を言う、はサミュエルにこそ相応しい言葉だった。
「嫉妬なんてするわけないでしょう。貴族同士の政略結婚なんだから、私だってあなたに恋心なんて抱いてなかったわ。問題にしてるのは、一方的な契約の解除よ。理性のある人ならば、二重契約なんてみっともない真似しない筈よ」
「うるさいぞ! お前みたいな奴が、今日のめでたい日に存在するな! さっさとここから出て行け!!」
「招待状が来たから参りましたのに……」
サミュエルがアデルの腕を摑もうとしたが、それよりも早くレギオンが抱き寄せてくれたおかげで捕まることはなかった。
それまでアデルにばかり注目がいっていたが、レギオンが動いたことにより彼に視線が集まる。
薄茶の髪に緑の瞳。鮮やかな美丈夫に、皆がハッとした。
そしてそれまでつまらなさそうに事の次第を眺めていたハノーヴァ侯爵までもが、驚いた表情でレギオンを見つめている。
そこでようやくゲトウェル伯爵がレギオンを見て、目を見開いた。
「お前、まさか……レギオンなのか」
「……今頃気付いたんですか? 俺はずっとここに立ってたのに」
唇を歪めて、レギオンは皮肉っぽく笑う。その姿はいかにも高貴な青年貴族らしく、ぽぅ、とリーシャは見惚れていた。
「お前が何故ここにいる!」
「アデルのパートナーとして出席しているだけですよ、そもそも俺が今までどこにいたかも何をしていたかも気にもしていなかったあなたにどうこう言われたくありません」
「っ、その顔で、私を侮辱するな!!」
存在すら忘れていた息子の冷たい言葉にゲトウェル伯爵はカッとなって殴りかかり、しかしその腕をレギオンがしっかりと摑んで止めた。
「きゃあっ!?」
「伯爵、何をなさるのです!!」
突然のゲトウェル伯爵の凶行に周囲から悲鳴が上がり、サミュエルは話に付いていけずオロオロとするだけ。
そしてレギオンに見惚れていたリーシャは、父の言葉を聞いてようやく目の前の美丈夫が自分達が奴隷のように扱っていた腹違いの兄だと気付いたようだった。
「えぇ? 嘘、この人、お父様がよその女に生ませた、あの薄汚れた男なの?」
リーシャの酷い言葉にアデルは顔を顰めたものの、必要な言葉を引き出せたことには満足した。馬鹿な女だとは思っていたが、ここまではっきりと言ってくれるなんて有難い。
そしてハノーヴァ侯爵は、ゲトウェル伯爵の腕を摑むレギオンの手を凝視していた。正確には、その指に嵌っている指輪を。
「レイラ……? その指輪は、レイラのものだ」