4.いざ開戦!
翌日から、さっそくレギオンをどこに出しても恥ずかしくない立派な紳士にする為の特訓が始まった。時間はあまりないのだ。
厚顔なサミュエルとリーシャの二人は盛大な婚約パーティを開くことが決まっていて、何のつもりなのか、そのパーティにアデルは招待されていた。
どうせお前にはパートナーもいないだろう、という嫌味なのだろうが、喧嘩は倍額でも買うアデルである。勿論出席の返事をしておいた。
親や親戚にパートナー役を務めてもらうつもりなんてない。これ以上ないぐらい完璧なパートナーを連れて堂々と出席するつもりだった。
幸いレギオンは磨けば磨くほど輝くような美形だったので、リードもメイド達も磨き甲斐があるようだ。
「しかし、屋敷に戻して密偵をさせた方が有効活用できるのでは?」
レギオンの教育の成果を報告にきたリードがそう言い、仕事を休憩していたアデルはくっきりと怒りを表した。
執務室には書類がうず高く積まれていて、瀟洒な屋敷の中でここだけは雑然と散らかっている。物の位置を動かすとアデルが怒るので、メイド達も最低限の掃除しか出来ずに困っているのだ。
「それじゃあ虐待をしていた伯爵家と同じじゃない。うちの可愛い子をまた地獄に送りこむなんて、絶対に嫌よ」
アデルにとってレギオンはすっかり庇護対象であるらしく、スパイとして使う線は却下された。
商才豊かで賢く愛情深いお嬢様は、使用人一同の誇りだがもっと卑怯な手を使ってもいいのでは、ともどかしい。
そんなリードの歯がゆい気持ちを見て取ったアデルは、肩を竦めて笑う。
「ごめんね、リード。もっとズルくなれって思ってるんでしょう? でも卑怯な奴等に卑怯な手で勝っても、それは完全勝利とは言えないの。私はあいつらと同じレベルに落ちたくないのよ」
「……下らぬことを考えました。アデルお嬢様のお心のままに、復讐いたしましょう」
「ありがとう。……とはいえ、面子を傷つけられた私より、誘拐されて亡くなったレギオンのお母様やずっと虐待を受けていたレギオンの方が事は深刻よね。これってちゃんと然るべきところに通報すべきなんじゃないかしら」
「それに付きまして、一つご報告が」
「何?」
リードは懐から、あの日レギオンから預かったリングを取り出してアデルに渡す。
すっかり錆びを落として綺麗になったリングには、細かな文様が刻まれていてそれが示す意味を理解したアデルは、あらあらと呟いた。
「これはまた、私ったらとんでもない子を拾っちゃったわね」
「人間を拾うだけで、もう十分とんでもないことですけどね」
*
そしてあっという間に婚約披露パーティの日がやってきた。
「緊張している?」
美しく着飾ったアデルが、自分をそつなくエスコートする美丈夫に声を掛ける。
「少し。でも、アデルの為なら何でも出来ます」
「あら、素敵よダーリン」
にっこりとアデルが微笑むと、レギオンは長い睫毛を伏せてはにかんだ。
アデルは父のフォーブス男爵にも今日の復讐計画は伝えてたが、娘よりもさらに商売人としての矜持の高い父親からは「派手にやれ」とのお達しが来ていた。
元々国に授けられた爵位には興味のないフォーブス男爵だ。それよりも商売人として評判を傷つけられたことや、愛娘を虚仮にされたことの方が許せないらしい。乞えば助力も惜しまない、とのことだったが、アデルは自分で復讐を果たすつもりだった。
ワーグス子爵家への融資は勿論婚約破棄の時点で即中断しているし、子爵家側の一方的な契約不履行として賠償金請求も済ませている。
それに対してサミュエルとワーグス子爵家が平気な顔をしているのは、新たに婚約を結ぶのがゲトウェル伯爵家の令嬢であるリーシャだからだろう。
サミュエル目線から考えれば、成金の男爵家よりも伝統と歴史ある伯爵家との婚姻を望むのも無理からぬことではある。
返す返すも、あのように大勢の衆目の前で大上段に婚約破棄などと宣言されなければ、もう少し穏当な終わり方もあった筈なのだが、今となっては詮無きことだ。
大勢の前で面子を潰されたアデルは令嬢としてではなく商人としてサミュエルに復讐するし、レギオンを拾った責任においてゲトウェル伯爵家にも報いを受けてもらう。
「それにしてもあんな風に私と婚約破棄した奴等の婚約披露パーティなのに、錚々たる顔ぶれね」
パーティ会場と出席者の両方の豪華さに、アデルは目を丸くする。会場は国の文化財に指定されている、歴史ある劇場だ。一晩借りるのにいくらするのか、アデルは商人として知っていた。
つい最近一方的にサミュエルが婚約破棄を言ってきたというのに、貴族にとって彼のやったことは大したことではないらしい。アデルの名誉と評判は大いに傷ついたというのに。
「……ゲトウェル伯爵が古くから付き合いのある、高位貴族達も大勢呼ばれているみたいです。それこそ伝統と歴史ある伯爵家との縁、ということをアピールして、婚約破棄のイメージを払拭したいみたいですね」
アデルの溜息に、今日に備えて叩き込まれた貴族名鑑を頭の中で繰りながらレギオンが返す。
パーティ会場には公爵や侯爵といった、普段はこういった場には出席しない高位貴族の姿が見えた。
「なるほど。真の愛で結ばれた恋人達が正式に認められるってことね。本当にお貴族サマのイメージ戦略って薄っぺらい。だからすぐに吹けば飛ぶのよ」
悪態をついて、アデルはレギオンの顔を見上げる。
今日のアデルはそりゃあもう商会の威信をかけて着飾ったものだが、レギオンも負けてはいない。
急ピッチで教育を施したが、生来の飲み込みの良さや頭の良さもあってスポンジが水を吸収するようにめきめきと成長したとリードは言っていた。
そしてたっぷりと栄養と睡眠を摂ったレギオンは顔色も良くて、今や令嬢達が振り向かずにはいられない程の美丈夫になっていた。
「立派になって……」
「アデルのおかげです」
「……最終確認だけど、本当にいいのね? あなたの家を吹っ飛ばすし、あなたのことも明るみに出るのよ」
復讐する為には、ゲトウェル伯爵の罪を明らかにする必要があった。当然レギオンも無傷ではいられないだろう。
それを回避したがるアデルに、積極的に自分を使うことを望んだのはレギオンの方だった。
「言った筈です、あなたの役にたってみせると。それに、母の為にも伯爵の罪は明るみに出るべきです」
レギオンはしっかりと頷いてそう言った。自分より年上だし、体格も立派になったというのに、アデルにとってはレギオンはいつまで経っても庇護対象だ。
「もう……帰ったらぎゅってしてあげるね」
「お願いします。あなたに捨てられること以外に、俺に恐ろしいことなんてありません」
「絶対捨てたりしないわよ、あなたはもううちの子なんだから」
力強くアデルが言うと、レギオンは恭しく彼女の白く小さな手をとって、甲にキスをした。それから、首から下げていた革紐をとって、磨かれたリングを自分の指に嵌める。
母親は利き手の中指に嵌めていたようだが、男性であるレギオンの指では薬指がちょうどよかった。
「指ももう少しぷくぷくに育てなきゃ」
「もう十分ですよ」
手を取り合って、二人は小声で仲睦まじく笑い合う。それから「目当ての人物」の近くに寄り、開戦の鐘を待った。