2.絹の白手袋
「アデル・ベラルガ! 俺はお前との婚約を破棄して、このリーシャ・クルーガーと婚約する」
「……は?」
大きな声で宣言したワーグス子爵令息サミュエル・ロッドに、アデルは整った柳眉を吊り上げた。
場所は盛大な舞踏会の会場。何故か、よりにもよって大勢の人々の前で告げられたのだ。
「サミュエル様、これはどういうことですの? まず不要な騒ぎになりますので、別室をお借りして話し合いませんか」
「黙れ! 女の癖に金儲けの好きな成金め。我が子爵家との縁が欲しくて、俺を金で買った卑しい女め」
「ツッコむところが多すぎて、むしろツッコめませんわ」
アデルは頭痛を逃がすように、こめかみに指を当てた。その仕草が落ち込んでいるように見えたらしいサミュエルは絶好調で話し続ける。
「金で爵位を買った成金が、今度は貴族との縁を金で買おうと俺と婚約したのだろうが、生憎だったな! 俺はこのリーシャと真の恋に落ちたのだ。お前との婚約など、破棄だ、破棄!」
経済的に傾きかけのワーグス子爵家を援助する為に息子と結婚して欲しい、と子爵自身が懇願してきたので、アデルの父であるフォーブス男爵は商売として婚姻という契約を了承したのだが、息子であるサミュエルは知らないのだろうか。
アデルとしてもサミュエルは見目も悪くないし、貴族になったからには政略結婚を受け入れるべきなのだろう、と考えて了承したのだが。
このサミュエル、顔はいいが頭は悪かったようだ。
「……それで、私との婚約を破棄して、リーシャ嬢と婚約するんですか」
父同士が結んだ契約内容をこの大勢の前で勝手に詳らかにするわけにもいかず、アデルは腕を組んで唸った。
ゲトウェル伯爵令嬢リーシャ・クルーガーは何かにつけてアデルを「成金令嬢」と蔑んできた、いけ好かない女だ。馬鹿な男といけ好かない女の婚約など、拍手で送りだしてやりたい心地だった。
自分が婚約破棄されるという、当事者でなければ。
「ああ、やはり真の貴族令嬢というのは成金とは違う、ということをリーシャに教えてもらった」
「まぁ。真の貴族令嬢が、婚約者のいる男性と恋に落ちるなんて、お上品ですこと」
呆れてアデルが微笑んで返すと、リーシャはギッ! とこちらを睨んだが、すぐにサミュエルの胸に顔を埋めて泣き出す。
「ひどいわ、アデル様……! ……わたくしだって、あなたに申し訳ないと思っているのに……!」
「え、そうなんですか。ちっとも見えない」
思わずアデルは半眼になる。
「それに、恋に落ちることは誰にも止められない、尊いこと……ええ、わたくしが何の罪を犯したか、といえば、サミュエル様を愛してしまったことね……!」
悲劇のヒロインよろしく演説されて、アデルはさらに目を胡乱に細めた。もう瞼が閉じてしまいそうだ。
「愛するのは自由だけど、婚約者のいる男性と恋仲になるのが悪いって言ってるんですけど……」
「黙れアデル!! リーシャを貶めるのもそこまでだ!!」
「おとしめてました……?」
アデルはつい絶句する。周囲を窺ったが、皆サミュエルとリーシャの悲劇の恋人達の空気に飲み込まれていた。
貴族達は皆伝統と歴史と古い考えが大好きで、確かに新興の「成金」フォーブス男爵家はやや遠巻きにされている傾向があった。
だがどう見てもサミュエル達の言い分がおかしいのに、「恋に落ちたのは仕方がない」といった空気になっていることに、アデルは驚いた。
恋に落ちたことではなく、その感情を理性で抑え込むことなく恋仲になったことが問題だとたった今言った筈なのだが。
「リーシャ様がお可哀相……」
「確かに恋することを非難するなんて、アデル嬢は少しサミュエル様を縛り過ぎなのでは?」
「やっぱり子爵家を取り込みたいが為の婚約だったのよ……」
なんて聞こえてきて、アデルは内心で頭を抱えた。どいつもこいつも馬鹿ばっかりなの!? と叫びたいところだが、そこはさすがにぐっと堪える。
視線を巡らせると、リーシャがまたこちらを見ていた。彼女は嫌らしく、にやりと笑っている。
事実は何も変わらない筈なのに、まるで心の狭い成金令嬢が、真の貴族令嬢に対して文句を言っているかのような構図にされてしまっている。
なるほど、これが貴族の印象操作の戦い方なのか、とアデルは内心で歯噛みした。
実業家として商売の交渉を有利に進める為の手管はあれど、貴族の令嬢としてはリーシャの方が一歩上手だったのだ。
「……分かりました」
ここは無策に足掻くよりも、戦略的に一時撤退して状況を立て直した方が良さそうだと判断して、アデルは居住まいを正す。
「婚約破棄については、家に持ち帰りまして父に報告いたします。皆さま、お騒がせして申し訳ありません、私はこれで失礼させていただきます」
意識して背筋を伸ばし淑女の礼を完璧な所作でこなしたアデルは、そのまま舞踏会の会場を後にした。
「フン、可愛げのない。やはり俺を愛してなどいなかったくせに、小賢しい女だ」
という、サミュエルの悪態を背に浴びながら。




