4 フリッカとシュウにいさま
元々、シュトラウスはこの婚約に乗り気ではなかった。
だから、会ってみてどうしても無理だと思えば、王女のほうから嫌だと言うよう仕向けるつもりだった。
自分に拒否権がないのなら、相手に嫌だと言わせればいいのだ。
王女に嫌われるための、問題にはできない範囲の意地悪なんかも考えていたのだが、今のシュトラウスにそれらを実行に移す気はなかった。
それどころか――。
「シュト、ラウス……ストレ、ザン……」
「シュウ、で構いませんよ」
今しがた聞いたばかりの名を復唱するフレデリカに、こんなことまで言う具合である。
ゆっくりと、どこか言いにくそうにしていたものだから、ついつい、愛称呼びを提案してしまった。
フレデリカのほうはといえば、少しの間をおいてから、
「シュウ」
と、初めて見せる笑みとともに、シュトラウスの愛称を口にした。
鈴を転がすような、とはこういうときに使うのだろう。
澄んだ声に、柔らかく細められた青い瞳。
とろけるような愛らしさを前に、シュトラウスからも自然と笑みがこぼれた。
「はい。フレデリカ様」
「……フリッカ」
「え?」
「フリッカって、呼んで?」
庇護欲をかきたてる少女に、こてんと首を傾げられ、そんなお願いをされてしまったら。
既にフレデリカが可愛くてたまらないシュトラウスは、彼女の要望を聞き入れ、初めて会ったその日に王女を愛称で呼ぶようになった。
初日からこんな状態だったものだから、破談になどなるわけもなく。
二人の婚約の話は、とんとん拍子に進んだ。
シュトラウスはフレデリカを可愛らしいと思ってはいたが、恋愛感情ではなかった。
シュトラウスは12歳で、フレデリカは5歳。抱く感情の種類は、幼子や妹に感じるもの。
しかし、そんなことは問題にはならなかった。
そもそも、王侯貴族の結婚では恋愛感情は重視されないからだ。
妹に向けるような感情であっても、可愛い、と思えるだけで十分であると言えた。
また、シュトラウスの中には、彼女を哀れむ心も生まれていた。
彼女が側妃の娘であることは、皆が知っている。
今は、正妃との間に二人の男児がいることも。
フレデリカはきっと、幼いながらに、いや、幼いからこそ、自分が複雑な立場であることを敏感に感じ取り、内気になってしまったのだろう。
第一王女であるというのに、あの自信のなさと気弱さだ。
彼女の立場の危うさが本人を蝕んでいることは、シュトラウスにも感じ取れた。
こんな年齢で婚約者を決められてしまう、不憫なフレデリカ。
シュトラウスは、自身もまだ少年ながらに、この幼い王女様を守りたい、笑顔にしたいと思った。
だから、婚約が決定したとき、シュトラウスは彼女にこう言った。
「フリッカ。俺のことは、兄だと思ってくれていい」
「あに?」
「ああ。きみの、お兄さんだ」
「……じゃあ、シュウにいさま?」
「うん」
フレデリカの青い瞳が、ぱあっと輝く。
婚約と言われてもピンとこない、可愛らしい、幼い女の子。
婚約者よりは、兄と妹のほうがまだわかりやすいだろうと、シュトラウスは考えたのだ。
その通りだったようで、フレデリカは「シュウにいさま」と繰り返して嬉しそうにしている。
シュトラウスとフレデリカは、兄妹。今はこれでいいのだ。
以降、正式に婚約が結ばれてからも、二人は仲のいい兄妹のように過ごしている。