魔獣戦
姿勢を低くし、地面に突き出た根を飛び越えながら俺は森を駆け抜ける。
そのまままっすぐ行くのは自殺行為なので、大きく回るようにして接近する。
(さて、どう相手したものか……)
手に持った長年の相棒である剣で行く手を狭む蔦を切り裂きながら俺が考えるのは、魔獣への対処法だ。
複雑に地面を駆け回る根を飛び越えつつ、俺は魔獣の特徴をおさらいする。
+--+
①魔眼ではない何かで敵を視認する。
②最弱種でも街一つ簡単に吹き飛ばせる力を持つ。
③首をはねると絶命する。
④頭を除く体の部位は数秒で修復される。
⑤魔力を糧として動く。
+--+
「……マジかよ」
相手の強さを再認識し、俺の口から再びつぶやきが漏れる。
もし万が一魔獣を相手する事態に陥ったら。
複数人で魔獣の意識を逸らしつつ、1人が一気に首元を掻っ攫う手法が常識だ。
だが今は俺1人。
頼りになる父は異常事態を除き参戦しないと宣言している。
こんな状況でどう相手をしろと言うのだろう?
(父上は何を考えているんだ?)
わからない。
遠回しに息子に死ねと伝える、その真意が。
だが父は言った。
『お前なら、倒せる』
その言葉には、俺に対する揺らがない信頼が含まれていた。
だが、どうして俺なんかを?
俺は、どうしても自分のことを「強い」と思えなかった。
だが父はそんな俺を完全に信頼していた。
裏切るわけにはいかない。
だが、自分なんかにできるとは到底思えない。
そんな葛藤をしているうちに、とうとう魔獣のすぐそばまで来てしまった。
濃霧の合間からその姿を垣間見せた、それ。
そのあまりにおぞましい形相に、俺は自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。
赤銅色の肌に覆われた筋骨隆々の体にはところどころ血管が浮かび上がり、その体は妙にテカテカとしている。
腰元には何故かボロボロになった布を着ており、両手には刃こぼれの目立つ斧。
だが何より異質なのは──
肩に乗ったその頭部。
なんと頭が2つあるのだ。
人間に近い胴体とは対照的に、頭部は完全に牛のものである。
それぞれの頭には先の尖った洞角が鈍く輝き、その目を黄金色に爛々と輝かせている。
この目の色こそが魔物との最大の違いで、魔物は全て赤色である。
この金色の眼差しで睨まれた時、人はほとんど恐怖でその身体をすくませてしまう。
俺とて、例外ではなかった。
逃げなければ、と思う。
これは自分で敵う相手ではない。
だが。
体が動かない。
冷や汗が滝のように溢れるばかりで、身体は金縛りにあったかのように動かない。
俺の心を埋め尽くすのは──
揺るぎない死への恐怖。
怖い。怖い。怖い。
手に持った剣がカタカタと揺れる。
冷や汗でびっしょりと濡れた背中が冷たい。
「はっ、はあっ、はっ」
馬のように弾む息。
目眩で視界がはっきりしない。
そんな俺を、二頭牛はしばらくの間面白いものを眺めるような目で見ていた。
が、突然。
怪物はおもむろに胸の辺りに巨大な火の玉を出現させた。
それは辺りに火の粉を撒き散らし、所々でフレアを起こしている。
次に何が起こるか。
先程から発動させている俺の予知眼ははっきりと捉えた。
このままでは、死ぬ。
死に対する率直な恐怖が、本能的に体を動かそうとするのと同時に体を縛り付ける。
そして、火の玉が発射されると同時に。
俺はしがらみから逃れ、何とかその場から大きく飛び上がった。
そのまま頭上の枝に捕まり、クルリと身体を回して枝に着地する。
が、次の瞬間。
火球が地面に衝突し、爆風と共に辺りを火の海に包んだ。
これにより俺が着地した樹がメキメキと音を立てながら倒壊してしまった。
倒れると同時に再び俺は飛び上がり、別の枝に飛びつこうとする。
が、それを見越したかのように二頭牛がその斧を振りかざしてきた。
(やばいっ)
咄嗟に身を翻して間一髪これをかわしたが、それによって大きく失速し、重力に引っ張られた俺はそのまま落下する。
体勢を立て直して何とか足から着地しようとするが、熱風がその動きを妨げる。
結局俺はそのまま火の海に背中から叩きつけられた。
「ガハァっ!」
受け身を取ったものの、20メートルから落下したダメージは大きい。
だが横になっていたら炎に飲まれてしまうので、一瞬で立ち上がって体勢を立て直す。
ズキズキと肺が痛む。
多分肋骨が折れたのだろう。
だが痛みで体が冴えたのか、先ほどの震えはない。
落ち着いて基本型に持ち込めた。
「……どうしろってんだよ」
剣先の狙いを相手に定めつつ、俺はまたぼやく。
こんな馬鹿みたいな威力の魔法を打ち込んでくる相手、しかもほとんどの攻撃が効かないときた。
こうやっていつまでも逃げていたらきっとジリ貧だろう。
打開策を模索せねばなるまい。
だがどうやって?
(父は俺の何を信じているんだ?)
俺は必死に考える。
確かに俺は少し特別だ。
予知眼と神眼の抱き合わせ。
今後しばらくは生まれないであろう逸材である。
だが、それが今何の役に立つのだろう?
2秒先の未来が見えたり、辺りの魔力を扱えたところで二頭牛相手では何の意味も──
……………。
ん?
俺はふと思い至る。
神眼の能力は、半径20メートル内の魔力を完全に操れること。
そして魔獣の根源は──
魔力。
もしかして……。
俺は、この時初めて父の言っていたことを理解した。
『お前なら、倒せる』
「……なるほどね」
俺はキッと怪物を見据えた。
その目にはもう怯えの震えはない。
そのことを感じ取ったのだろう。
「グルルルルルル」
二頭牛は威嚇するように唸り声をあげた。
そして再び胸元に巨大な火球を生み出す。
先程の倍近い大きさだ。
一瞬俺の胸に湧く恐怖。
だが。
(いける)
幸いなことに剣は手放していない。
今なら上手くいく、という自信が湧くとともに恐怖は薄れていった。
「来いよ」
俺は舌なめずりをする。
今はまだその時ではない。
タイミングを見計らいつつ、俺は体勢を基本型から別の型へと移す。
最初の基本型は守りと攻め、どちらにも対応できるバランス型だ。
いかなる状況でも基本対処できるので、とりあえずこの型を取るようにと俺は指導を受けている。
だが俺が今とっている型は──スピードと瞬発力に全振りした、言わば攻撃型。
守りのことを一切考慮していないので、余程のことがない限り用いられないスタイルだ。
守る必要なんてない。
そこに俺の自信の大きさが窺えるだろう。
そして。
「グォオオォォオオオォォ!!」
二頭牛の一声に合わせて火球が発射される。
猛然と俺に向かって突き進む火の玉。
だが俺は動かない。
(まだだ、もう少し)
再び舌なめずり。
火の玉は辺りに火の種を撒き散らしながら直進する。
放たれる熱風が肌を焼く。
だが俺は意にも介さない。
そして火球がちょうど二頭牛と俺の中間点に到達した時。
「ここだっ!」
掛け声と共に俺は火の玉むけて飛び上がった。
一瞬で縮まる距離。
やがて2つが衝突しようとした、その時。
俺の右目が突然煌々と輝き出した。
それと同時に、火球が跡形もなくフッと消え去る。
神眼の能力を発動させたのだ。
「グアっ」
二頭牛が引き攣った声を漏らす。
俺は飛び立った勢いのまま怪獣に突っ込んでいった。
そして一言。
「──回旋斬り」
その瞬間。
剣を持った俺の体がものすごい勢いで回転し始めた。剣先が大きく円を描き、その矛先が二頭牛の首元へ向けられる。
そして瞬きをする暇もなく。
次の瞬間にはもう、二頭牛の片方の頭は宙に飛んでいた。
「グァアアァアァアァァアァア!!」
残った頭が断末魔を上げる。
頭を切り取った勢いで二頭牛の背後に回った俺は、そのまま重力に引かれるように頭から抗うことなく落下する。
諦めたのか?
否。
その証拠に、目先はキッと二頭牛の背中を睨んだままだ。
そして俺は右手を顔の直前に手のひらを地面に向けるように突き出す。
その上には青白い光を放つ小さな球がのっている。
辺り一帯の魔力を一点に凝縮した、魔力の塊だ。
通常、エプシルは魔法を扱えない。
魔法を扱うには体の中にある『核』に魔力を一旦溜め、その後に形を変えて放出する必要があるのだが、エプシルはこの核が小さすぎてほとんど魔力が入らないからだ。
しかし、俺の神眼はその壁を越える。
範囲内の魔力を操れる俺にとっては、辺り一帯が巨大な核のようなものなのだ。
なので理論上、俺は何の不自由もなく大体の魔法を扱える。
だが魔法を扱うにはそれ以外に、イメージした魔法をそのまま発動させることを体に染み込ませる必要がある。
これをしなければ暴発する危険があるし、そもそも発動しない場合がほとんどだ。
ほとんどの魔法使いはこれの訓練を受けている。
だが、当然俺はその事に関する訓練は受けていないので、本来は扱えるはずがない。
しかし。
十分な魔力量と、豊かなイメージ。
それにほんの一握りのセンスさえあれば──
魔力は、使用主の思うがままにその形を変える。
「水星」
俺が唱えると、手のひらの上で魔力塊がその姿を水球に変える。
そして次の瞬間。
その水球が「ギュルルル」と音を立てながら猛烈な回転を始めた。
それをぼうっと眺めながら、俺は再びつぶやく。
「……水剣」
その言葉に合わせて、遠心力により円状に広がった水が二頭牛に向けて猛スピードで発射された。
二頭牛は何とか降り向こうとする。
だが間に合わない。
水の刃の切先が、その野太い首に触れる。
そして数秒後。
後には転がる2つの生首と、呆然と立ち尽くす俺だけが残された。
***
「……凄まじいな」
枝上で全てを見ていたタンドラは、思わず感嘆の声を漏らした。
確かに俺の神眼には、魔物や魔獣の動きを封じられる能力があるとは思っていた。
だがここまでとは……。
間違いなくケラントは今、魔法を使った。
あのエプシルが、だ。
それに威力を見るに、あれはエルフの魔力量並みの魔力を消費している。
エプシルがここまでの魔力量を有したのなら──
間違いなく、世界で最強になれるだろう。
「ヘヘッ」
あまりの凄さに変な笑いが込み上がる。
これは、やばい。
語彙力が完全に崩壊するくらい、やばい。
魔獣がこんな一方的に蹂躙されるなんて、前代未聞だろう。
「……こうしてる場合じゃないな」
ハッと彼は我に変える。
一応勝利したとは言え、もしかしたら怪我をしているかもしれない。
そこまで確認するのが父親の務めだ。
バッと枝から飛び降りると、彼はケラントの元へと駆け寄った。
「大丈夫か? 怪我はないか?」
ケラントはその問いかけに答えることなく、ただぼんやりと、夢見心地な声で言った。
「……勝ったんですか?」
「あぁ、勝ったとも。お前はよくやった」
力なく「ヘヘッ」と笑うケラント。
そんな彼に適当に声をかけながら、タンドラは怪我がないか入念にチェックした。
「痛いところはあるか?」
「……肺の辺りが」
さっき落ちた時に折れたのか。
胸を軽く触って確認したが、おそらく回復魔法で治せるレベルだろう。
初めて魔獣を相手して、この程度の怪我で済むとは。
(私が初めて相手をした時は、全身の骨をバッキバキに折られたのだがな)
正直タンドラは、きっと助けが必要になるだろうと思っていた。
いくら訓練を積んでいても、本物を目の前にするとやはり物怖じしてしまうからだ。
現に彼も確かに怯えを見せていた。
だが。
加勢しようと思う前に、彼はそれを乗り切った。
恐るべき才能だ。
そしてそれを乗り切った以上、俺に教えることはもう何もない。
ということは──
(そろそろだな)
「ケラント」
ボーッとしている息子の肩を叩き、彼は伝えた。
「そろそろ卒業試験を行おう」