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何故、彼の者は手折られたのか


 セレスティア・ファールベン。

 ディスリング王国の当代の聖女の名前である。

 年は二十歳を迎えたばかり。

 輝く滑らかな絹のような金髪を背に流し、聖女の証である紅玉を思わせる鮮やかな目を持つ、麗しい女性だ。

 常に慈愛に満ちた眼差しと微笑みを持つ、穏やかな性格で、民からの信頼も篤い。

 当代の聖女の力は、祈りを捧げた相手の能力を伸ばすもの。

 騎士であれば、身体能力が上がり。

 神官であれば、治癒の能力が上がるのだ。

 セレスティアは、どんな時も微笑みを崩さす、真摯に祈る姿から、「慈愛の聖女」と呼ばれていた。


 そうして日々を穏やかに過ごす彼女に、王家から力の行使の申請が届いたのである。

 王家といえど、聖女に無理強いはしてはいけない。

 聖女の身を預かる教会も、聖女を物のように扱ってはならない。

 その不文律は古から守られ続け、それによりディスリング王国において、教会と王家の仲はとても良好である。

 王家は聖女を尊重しているので、正しく手順を踏み申請をした。

 常ならば、教会も礼節を守り王家に応えるのだが。

 今回の申請に対して、教会は難色を示してしまった。

 内容が良くないのだ。

 申請の理由は、国の繁栄の為にとある施設に力を貸してほしいというもの。

 それは良い。国の繁栄は、ディスリング王国に拠点を持つ教会の利にもなるし、成功すれば当代聖女の素晴らしさが更に広まる。

 だが、だがしかし。

 申請されたとある施設に問題があった。

 魔導具研究所の第一研究室。

 人々の暮らしをより良くする為に、魔術の術式を組み込んだ魔導具を創る施設である。

 魔導具の恩恵の素晴らしさを知る教会だが、第一研究室というのが引っかかった。


「あの、第一研究室とはギルベルト様が所長をしておられる、あの第一研究室でしょうか?」


 申請書に目を通した神官長が、それを携えて来た騎士に恐る恐る尋ねた。

 騎士も、目を伏せ恐縮した様子である。


「はい。あのギルベルト様、です……」

「あー……」


 神官長の気持ちは、わかる。忠誠心篤い騎士でも、何故よりにもよって第一研究室なのだろうと、疑問に思う程だ。

 ギルベルト・ハーパルノン。

 歴史に名を残すほどの稀代の魔術師を多数排出してきたハーパルノン伯爵家の次男であり、例に洩れず魔術の大天才である。

 彼の考案する魔導具はどれも、自国民の生活を支えるほどの物ばかりで、需要が高い。

 そういう意味では、凄く頼りになる人物だ。

 だが、こと対人に関しては壊滅的だ。

 言葉を選ばない。抜き身の刃を研ぎ澄ましたかのように鋭い。

 才能あふれるゆえに、矜持と自尊心が高い。

 何より、二十七歳という年齢にしては社交性が何一つ育っていないのだ。

 純度の高い魔術を行使した反動で色の抜けた白銀の髪は、質は良いのに伸ばし放題であるし、研究に集中し過ぎてせっかくの長身なのに猫背になり、卑屈に見えてしまう。

 寝不足もあり、顔は白く、食事に無頓着で細くひょろ長い体格に眉をひそめる貴婦人も多い。

 外見と癖のある性格で忌避されがちな彼が取り仕切るのが、第一研究室なのである。


「……断れない、でしょうね」

「申し訳なく思います」


 全ての決定権は、聖女であるセレスティアにある。

 だが、研究室に引き篭もっているギルベルトを間近で見たことのない民にしてみれば、数多の恩恵を与えてくれる恩義しか感じない相手だ。

 そんな相手への祈りを断ったとしたら、民の反感をセレスティアが買ってしまう。

 いくらセレスティアを敬う民とはいえ、より身近な恩恵に目が行くのは仕方がない。

 しかし、民に傷つけられはしなくとも、ギルベルト本人に言葉の刃で切りつけられない保証はないのだ。

 神官長は苦悩し、労しげな視線を向ける騎士に見送られ聖女が住む白の間に向かうのだった。



「神官長様、大丈夫です。私、お受けしますわ」


 セレスティアはあっさりと承諾し、微笑んだ。

 彼女は、椅子に座りぽかんと口を開けた神官長に、ころころと笑い声を上げる。


「嫌ですわ。私、もう二十歳ですのよ? きちんと弁えていますし、何より皆様のお役に立てるのでしょう? 喜んで行きますわ」


 テーブルを挟んで神官長と向き合うセレスティアは、美しい所作で椅子から立ち上がる。


「し、しかし、今回は期限がわからんのだ」

「そうですわよね。実力のある方々が携わっているのに、完成の目途が立たないからこその協力申請ですものね」


 微笑みを崩さないまま、セレスティアは大きめの鞄を棚から持ち出す。

 白の間は広く、それだけに目的別に鞄を置いておけるのが良いとセレスティアは満足げだ。

 元々、平民の出であるセレスティアは、五歳までは市井で暮らしていた。

 六歳の誕生日に、深緑の色から鮮やかな赤に目が変化したことにより教会に引き取られ教育を受けてきた。

 騎士の野営に付いていくこともあるので、ある程度は身の回りのことは自分でできる。


「魔物の脅威から国を守る、結界の魔導具。素晴らしいではありませんか」

「た、たしかに、そうなのだが」

「もうっ、神官長様は、私を子供扱いし過ぎですっ」


 セレスティアは少しむくれて、神官長を見る。

 長い付き合いだからこそ、拗ねてみせたのだ。


「……すまない、セレスティア。お前が『聖女の間』を使用する時期が遠のいてしまう」

「それは、気にしていません。今まで使わないできた私の責任もあります」


 だから、安心してくださいと笑うセレスティアに、神官長は眉を下げて、少しでも早く帰ってきなさいと不甲斐なさを噛み締めて言った。



 聖女セレスティアが第一研究室に協力すると決まってからは、早かった。

 研究員の手により、聖女の部屋は瞬く間に整えられ、たった一週間で滞在の態勢は整えれたのだ。

 それだけ、研究は行き詰まっていたのだろう、とセレスティアは思った。

 セレスティアの能力で、魔導具の強度は強化できるし、付与する魔術も高まる。

 それを期待されての待遇だ。

 セレスティアはそう判断し、第一研究室の研究塔の前で出迎えてくれた皆を前に微笑み、頭を下げた。


「当代の聖女として、誠心誠意頑張りますね」


 優しい雰囲気のセレスティアに、研究員たちは呆けたようにしている。

 聖女様だ。本物だ。綺麗だ。気品がある。優しそう。

 そう囁き合う研究員たちは、ひとりだけ聖女の前に歩き出した人物を見て、固まった。

 伸ばしっ放しの白銀に、猫背なのに、目つきだけは悪すぎる彼らの所長。

 ギルベルトが、不機嫌丸出しで口を開く。


「肩書きなどどうでもいい。成果だけ出せ」


 敬意も愛想もない。

 あまりの言いように、研究員たちは真っ青になり、聖女の後ろに控えていた神官たちは色めき立つ。

 張り詰めた糸のような危険な緊張をはらんだ空気のなか、セレスティアは目を瞬かせて小首を傾げる。


「それは、当然のことですわね」


 怒りはなく、強がりでもない、柔らかな声音で頷くセレスティアに、ギルベルトの方が面食らう。


「聖女だからといって、特別扱いはしないんだぞ」

「ええ、逆に邪魔にならないか心配ですわ」

「教会のように使用人は付けない!」


 後ろでは、研究員たちがバカッ! 所長のバカッ! 言葉選べ! ひいっ、神官様が怖い! と騒いでいるが、それも耳に入らないぐらいギルベルトの意識はセレスティアに向いている。


「大丈夫です。私は自分のことは自分でできますので」


 優しくギルベルトを見つめるセレスティア。

 居心地が悪くなったのか、それとも年下に対する態度の悪さに更に意固地になったのか。

 ギルベルトはセレスティアから視線を逸らす。


「……僕、は。本当に僕らだけで、完成させられる、はず、なんだ」


 近くにいるセレスティアにしか聞こえないぐらい小さな声。

 ああ、それが彼が言いたい本質なのだろう。

 そうセレスティアは理解した。

 だから、そっとギルベルトのかさついた節ばった手を両手で握る。

 ぎょっとしたギルベルトがセレスティアを見る。

 ギルベルトの目に自分が映るのを確認して、セレスティアは微笑みを深くした。


「大丈夫ですわ。私はただ手伝うだけです。でも、手伝うと決めたからには、私もけっして諦めません」


 ギルベルトが両目を見開く。

 セレスティアはただ、微笑み続けた。


 ギルベルトは、高い能力と、そして本物の天才である。

 興味ある分野は全て網羅するほどの知能があり、知識への貪欲さもすば抜けて高い。

 矜持と傲慢さ、自尊心が高くなったのはそれゆえだ。

 だからこそ、彼は無知になったのだ。



 研究の為として、第一研究室に受け入れられたセレスティアは、その日から泊まり込みで協力を始めた。

 元々、教会から遠い研究塔に通うことは出来ず、成果が実るまで研究塔に滞在するのは決まっていた。

 だから、用意された部屋でつつがなく過ごし、セレスティアはギルベルトを始めとした研究員たちとの交流も深めた。

 祈るにも、相手を知った方が効率が良いのだと告げれば、ギルベルトは拒否しなかった。

 皆と交流し、祈り、研究の手伝いをしてひと月が過ぎた頃だ。

 休憩の時間に、セレスティアはとある提案をした。


「ギルベルト様に、祝福を、したいのですけど」


 少し恥ずかしそうに告げるセレスティアに、ひと月の間ですっかり気を許した研究員たちが不思議そうに見る。


「祝福、ですか?」

「セレスティア様が私たちにする祈りとは、違うんです?」


 紅茶とお菓子のあるテーブルには、セレスティアと女性の研究員たちが過ごしている。

 隣のテーブルには、男性研究員たちが。

 そして、ギルベルトはひとりだけ離れて過ごすのが常だ。

 彼はひとりが好きなのだと、このひと月でセレスティアは理解していた。


「祝福を僕にだけ、とは。どういう了見だ」


 離れた席から眉間にしわを寄せ、きつい物言いをするギルベルトに対して、セレスティアは柔らかな物腰のままだ。

 他の貴族のように所長に対して嫌悪しないセレスティアに、研究員たちはますます好感を抱く。

 そもそも、効率重視、働けるなら働き続けろと言いそうな見た目に反して、ギルベルトは研究員を大切にしている。

 現に休憩はきっちり取らせているし、研究自体深夜まで行うが、ちゃんと交代で休ませてくれる。口は悪いが。

 ただ、研究員に甘い分、自分には厳しすぎる。

 それが研究員たちの知るギルベルト所長の姿だ。

 セレスティアは案じるように、ギルベルトを見る。

 聖女であるせいか、セレスティアの目には慈愛しかない。

 ギルベルトは母親以外の女性からそんな眼差しを受けたことがないので、セレスティアに見つめられるといつも戸惑ってしまう。

 それを隠すように、更に目つきが悪くなるのはどうしようもない。


「ギルベルト様は、まったくお休みになられませんでしょう?」


 うんうん、と研究員たちが頷く。

 ギルベルトは不服そうに鼻を鳴らす。


「今、休んでいる」

「短い時間なら、です。皆様には休息を取らせるのに、ご自分は明け方までお仕事をしています」

「自分の限界ぐらい把握している」

「……そうでしょうね。だから、いくら言ってもお休みになられない。ですから、私考えましたの。ギルベルト様に祝福したい、と」

「だから、祝福とは、なんだ」


 自身のことを言い当てられ、罰が悪そうに顔を背けてギルベルトは聞く。


「祝福は、与えた対象を癒やすものです。あまり使い過ぎると、依存性が出てしまいますので、二日に一回施させてほしいのです」

「つまり、疲労が消えるのか」

「そうですね。ただ、本来あったものが消えるのは便利なようで不自然です。体もびっくりしますし。できることなら二日のうち一日はちゃんとお休みいただいてほしいです」

「む……」

「それをお約束していただけたら、祝福しますわ。私、ギルベルト様が心配なのです」


 心配の言葉には労りの響きがあり、さすがのギルベルトもひと月の間でセレスティアが優しい女性だと理解していた。

 だから、頷いた。疑う気持ちは一切なかった。


「ありがとうございます! 嬉しいですわ!」

「そ、そうか」

「それで、お願いがありまして……」


 セレスティアの提案にも、ギルベルトはあっさり頷いた。



 セレスティアが言うには、祈りと祝福は別物であり、祝福を与える場面はあまり見られたくないらしい。

 祝福というものを、皆知らなかったので秘匿性が高いのかもしれない。

 そんな凄いものを所長に与えるとは、セレスティア様お優しい。いや、所長がそれぐらいまずい状況なのか? と、研究員たちは複雑に思いながらも、二人を見送る。

 二人が向かうのは所長室だ。

 ギルベルトは優れた魔術師でもある為、高濃度の魔力を操る。それに耐えられる部屋が用意され、そのまま所長室となったのだ。

 セレスティアに二人きりになりたいと請われたギルベルトは、場所を所長室に移すことにしたのだ。

 所長室には簡易ベッドや椅子が数脚ある。

 そして、セレスティアはゆったりとした状態になれるように椅子に座るよう促した。

 ギルベルトは従って椅子に腰掛けた。

 それにより長身のギルベルトは、立ったままのセレスティアを見上げる形になる。

 いつもと違う状況に、ギルベルトは落ち着かない。


「ギルベルト様、まず祝福を与える状態を説明しますね」

「ああ、頼む」


 セレスティアは微笑み、人差し指で自身の唇を指す。


「とても簡単なんですが。私の唇が触れた場所から癒やしの力が浸透するのです」

「なるほど」


 ギルベルトはあっさり頷く。

 それに対してセレスティアは微笑みを崩さないまま、続ける。


「まずはギルベルト様の額に口づけても?」

「大丈夫だ」


 これまたあっさり了承する。

 セレスティアは、そっと腰を屈めて、ギルベルトの頬に手を添えた。


「次は頬にしても大丈夫ですか?」

「ああ、問題ない」


 何も感じてないギルベルトに、セレスティアは笑みを深めた。


「では、失礼しますね」


 セレスティアはギルベルトの前髪を左右に流すと、額に唇を寄せる。

 そして、左の頬にも口づけた。

 その時、ギルベルトが身じろいだ。セレスティアの唇の感触がくすぐったかったのだ。

 セレスティアは、ギルベルトの目を覗き込み、そこに羞恥がないのを確認すると、今度は右頬にも口づけた。

 そして。


「これで最後になりますが、ギルベルト様の口にしても、大丈夫でしょうか?」


 セレスティアは普段と変わらず優しく囁いた。

 だからギルベルトも気負うことなく答える。


「頼む」


 ギルベルトは、偉大な魔術師になり得るほどの魔力を持ち、興味あるもの全てを吸収するほどの貪欲な知識力がある。

 それゆえに、知らないことなどないと自負している。

 教師以外から教えを授かる可能性すらないほど、確たる自信と高すぎる自尊心が、彼をそうさせた。

 興味のない分野において、知ろうともせず、聞こうともしない。

 興味がないものは、存在しないも同じ。

 だからこそ、ギルベルトは無知であった。

 セレスティアは微笑んだまま、軽くギルベルトの唇に口づけた。


 第一研究室の魔導具造りは、セレスティアが加わってから前進していった。

 結界を張るには、高濃度の魔力に耐え得る器が必要だ。

 セレスティアの祈りにより、どのような素材なら柔軟に強化されるのか検証し、適応する素材を厳選。

 術式に流す魔力は強化され、試運転により欠点を洗っていく。

 今まではギルベルト頼りだった魔力も、強化により他の研究員にも任されるようになった。

 行き詰まっていた研究が進み出し、皆の目に輝きが宿る。

 唯一の懸念事項であるギルベルトの休まない主義も、セレスティアにより緩和された。

 第一研究室は、活気に包まれている。


 そんななか。

 セレスティアのギルベルトへの祝福は続いていた。

 初日、祝福を受け所長室からセレスティアと共に出てきたギルベルトの白い顔がほんのり赤くなっていたのを研究員たちは見た。

 セレスティア曰く血の巡りが良くなったからだという。

 ギルベルトも体が温かいと嬉しそうにしていて、約束通りきちんと休む日を設けるようになったからか、体調が改善されていくのを目の当たりにし、研究員たちはセレスティアに深く感謝をした。

 ずっと居てほしいぐらいだ。

 魔導具が完成したらお別れなのが悔やまれる。

 セレスティアにがっちり心をつかまれた研究員たちだが、気になることがあった。

 祝福を受けた後のギルベルトから日を追うごとに、違和感が見受けられるようになったのだ。

 頬は初日よりも上気していて、足取りもふわふわしているような?

 いや、気のせいか?

 と、首を傾げたあとに、ギルベルトに続くセレスティアに優しく微笑まれ、研究員たちは、やっぱり気のせいか! となるのが恒例になりつつあった。


 今日は、ギルベルトがセレスティアから祝福を受ける日である。

 所長室には、二人しかいない。

 椅子に座るギルベルトに、屈んで祝福を与えるセレスティア。

 だが、初日と違うのは、ギルベルトが両腕をセレスティアの背中にしがみつくように回しているところだろうか。

 セレスティアは、ギルベルトと口を合わせている。


「はっ、は」


 ギルベルトから上がった息が漏れる。

 苦しそうに眉を寄せ、セレスティアの口づけを受けている。

 セレスティアの口づけは、初日の軽い触れ合いが嘘のように深い。

 空気を求めて口を開くが、直ぐに塞がれる。

 全身が温かい。セレスティアの力が浸透しているのだろう。

 セレスティアの背中に回した腕は、ぎゅうっと必死なほどに力が入る。

 ふっと唇が離れる。求めていた空気が入って、息が楽になった。

 ぼうっと呆けたようにセレスティアを見るギルベルトの口に柔らかい質の良いハンカチが当てられる。

 優しく丁寧に拭われ、ようやくギルベルトの目に力が入る。


「ギルベルト様、どうですか? お体の調子は」


 体は熱いぐらいだが、セレスティアは普段と変わらないまま、慈しむようにギルベルトを見つめている。

 ギルベルトはきゅっと口を引き結んだ。

 セレスティアの祝福は全身を満たすほど、巡っているのがわかる。

 疲労がない。

 ただ、なんだか体が変だとは思うが。

 セレスティアが善意でギルベルトを案じているのは、もうじゅうぶんにわかっていた。

 祝福を受けた日は、体が凄く楽であるし、約束の休息も深く質の良い睡眠が取れるようになった。

 だからこそ体の血の巡りからではない、謎の火照りがおかしいと感じてしまうのが恥ずかしい。

 現に、足に力が入らない。

 しかし、それを指摘してしまったら、セレスティアからの祝福が受けられなくなる気がして言い出すことができないでいた。


「だ、大丈夫だ。問題はない」


 なので、今日も気力を奮い立たせて椅子から立ち上がる。

 祝福は疲労を取るため。

 疲労が取れても、火照りがあるうえ力が抜けてしまうのなら、止めた方がいい。

 以前の彼なら、そう判断しただろう。

 だが、セレスティアの眼差しを知ってしまった今のギルベルトには、決断できない。

 弱い自分をセレスティアに見られるのも、抵抗というか、恥ずかしさがある。

 だから、早く仕事に戻る必要がある。


「ギルベルト様」


 歩き出そうとした彼を、セレスティアが呼び止めた。


「な、なんだ?」

「もうすぐ、魔導具は完成しますわね」


 セレスティアの言葉に、ギルベルトは息を呑む。

 結界の魔導具は、あと数回の安全性を確認する試運転を経れば完成となる。

 セレスティアは魔導具完成の為に来た。

 完成したら、いなくなる。

 当たり前のことなのに、ギルベルトは愕然とした。

 セレスティアがいない?

 それに、自分は耐えられるのか?

 寒くもないのに、体が震える。

 そんなギルベルトに、セレスティアは言葉を続ける。


「……教会に、『聖女の間』という場所がありますの。私にとって、大切な場所」


 そして、じっとギルベルトの目を見つめる。

 綺麗な赤い輝きに、魅入られる。

 いつも自分を慈しむように見る目に、強い感情が宿っている。


「魔導具が完成しましたら、ぜひともギルベルト様と二人でお祝いしたいのです。来てくださいますか?」


 請うような響きに、ギルベルトは言葉もなく頷いた。

 セレスティアは、花がほころぶような美しい笑みを見せて、嬉しいと言う。

 その全てが、ギルベルトのなかに焼き付いた。



 ギルベルトは知識欲が強い方だ。

 一度興味を持ったら、理解するまで調べ尽くす。

 そんな彼が、祝福と祈りを持つ聖女に興味を持たないわけがなかった。

 だから、当然調べようとした。

 研究員たちも、ギルベルトなら聖女誕生からの今日に至るまでの歴史から、祭事やしきたり全て網羅しているだろうと思っていた。

 実際、ギルベルトは聖女について書かれた書物を用意したし、書き込む為の筆記具も揃えた。

 だが、彼は聖女について、知ることができなかった。

 セレスティアは、いつか研究塔から離れる。

 出会った時に酷い態度を取ったのに、優しく微笑んでくれた。

 ギルベルトを否定しなかった。

 他の女性のように、眉をひそめなかった。

 そんな彼女は、いつかいなくなる。

 初めて、知識を前に虚しいと感じた。

 聖女を知れば、彼女が遠のく気がして。

 結局、書物は閉じられたままになる。

 それが、彼の運命を決定したのだ。



「セレスティア様に、よ、呼ば、呼ば、れた?」

「し、しかも、『聖女の間』?」

「嘘だろ……」


 研究員たちがざわつくのを、ギルベルトは不思議そうに見ていた。

 魔導具は、無事に完成した。

 それにより、セレスティアは研究塔から去っている。

 セレスティアがいないのを寂しがる研究員たちは、紛らわすかのように休暇の話題を出した。

 今回の魔導具は有益であると国や教会から高い評価を受けた。

 基盤がしっかりしているので、定期的に宮廷魔術師が魔力を注げば結界は持続できるというのが良かったとのこと。

 頑張って良かった!

 となったところで、長期休暇が与えられたのだ。

 一週間ももらえ、皆はうきうきしていた。

 それで、ギルベルト所長は何処か行きますか? と、一人の研究員が尋ねたところ、返ってきたのが。


「セレスティアに、『聖女の間』に来てほしいと呼ばれているから、行ってくる」


 で、あった。

 聖女に詳しくなくとも、ある程度の知識があれば『聖女の間』が何なのかはわかるぐらい有名なものだ。

 だから、研究員たちは驚愕した。

 え、うちの所長で大丈夫なの?

 セレスティア様、本気なの?

 と、混乱した後に、平然としているギルベルトを見て、あ、大丈夫かも? と、研究員たちは落ち着いた。

 だが、一部の男性研究員たちは不安そうにギルベルトを見ている。

 彼らは以前、ギルベルトを含む男性陣だけで、とある話題について語ったことがある。

 男性の女性に聞かれたくない大人的な内容だ。

 その時、ギルベルトは不思議そうに聞いていたのを思い出したのだ。

 その目は、成人男性にしてはあまりにも無垢であった。


「なあ、大丈夫、かな?」

「あー、たぶん」

「所長なら、聖女について知ってるはずだし……」


 だよなあ? と、頷きあい。男性陣は納得した。



 休暇の初日にギルベルトは、教会に来ていた。

 実は前日から、教会の近くにある実家の伯爵家に泊まっていた。

 セレスティアの招待を家族に知らせたら、遅刻は駄目だとばかりに夜のうちに馬車が来た。

 あれよあれよと乗せられ、着いたら着いたで、全身を洗われ、久しく着ていない礼服が用意され、髪も香油やらなんやらで丁寧に梳かれた。

 そして、ひと晩明けたら、朝から徹底的に磨かれ、礼服を身に着け、誉れだと号泣する家族に見送られ教会に来たわけだ。

 意味がわからない。

 首を傾げつつ、指定された門に行くと、名前を告げた後に門番に恭しく頭を下げられ、明らかに高位神官と思われる女性に教会内を案内された。

 ギルベルトは、あまりの周りからの好待遇に困惑していた。

 ギルベルトは自分は他人から好かれない質だと理解している。

 だが、すれ違う神官たちはギルベルトを案内している神官に気づき、後ろを歩くギルベルトを見てハッとした顔になり、頭を下げるのだ。

 落ち着かないギルベルトは、早くセレスティアに会いたいと強く思った。

 あの眼差しを向けてもらえたら安心するはずだ。


「こちらが『聖女の間』になります」


 先導した神官に微笑まれ、視線を扉に移す。

 深い青の、教会の紋章が彫られた重厚なのに、女性的な意匠に、ごくりと喉が鳴る。


「セレスティア様がお待ちです」


 セレスティアの名前に、意識が現実に戻る。

 意を決して、神官が開いた扉をくぐる。

 その先に、セレスティアが微笑んで立っている。


「ギルベルト様、よく来てくださいました」

「あ、ああ」


 ギルベルトは、セレスティアの微笑みに見惚れてしまった。

 しばらく見られなかった笑みに、胸がきゅっと締めつけられる。

 元気そうで良かったと言おうとして気づく。

 『聖女の間』と言うから、荘厳なステンドグラスとかがある広間だとばかり思っていたが、広間にしては小さな部屋だ。

 照明も少し暗いし、あまり物がない。

 何より、部屋の半分を占拠しているのは天蓋付きの寝台だ。

 そして、甘いお香の匂いもする。


「あ、あの。ここは……?」

「ふふ、大切な部屋ですのよ」


 セレスティアのたおやかな手が、ギルベルトの手を包み込む。

 研究塔の所長室では、こんな風に触れ合うことがあった。

 だが、この部屋だと違う感覚に陥る。

 鼓動が早くなる。

 ギルベルトが何か言う前にセレスティアに手を引かれた。

 そのまま、寝台へと導かれる。


「立ったままでは、疲れてしまいます」


 そう言われ、促されるままに寝台に腰掛ける。

 いつもは安心するセレスティアの微笑みなのに、どうしても落ち着かない。

 ギルベルトはあることに気が付いた。


「その、セレスティア。薄着過ぎないか?」


 そう、セレスティアは白いレースがあしらわれた薄い夜着を纏っていた。

 いくら貴族社会に疎いギルベルトでもわかる。

 この姿で共にあるのは、おかしいのではないか、と。


「ふふ。ギルベルト様は、いつも以上に素敵なお召し物ですわ」

「こ、これは、家族が……」

「香油も良い匂い」


 髪に顔を寄せられ、密着する。

 心臓が痛いぐらいに脈打つ。

 これはおかしい。絶対におかしい。

 そう思ったギルベルトは、距離を取るべくセレスティアの方に振り向く。


「セ、セレス……」


 名前は最後まで言えなかった。

 セレスティアの唇が自分のと重なったからだ。

 最初はついばむように。

 そして、唇を小さな舌で舐められ、そのまま深く口づけられた。


「ん……っ」


 呼吸の仕方は何度も口づけを受けるうちに覚えた。

 だから、苦しくはない。

 祝福として行われたからか、嫌悪感を抱いたこともない。

 どさり、と。寝台に押し倒される。

 ギルベルトの白銀の髪が広がっていく。


「あ、せ、せれす」


 舌が回らない。言葉ごと絡めとられてしまう。

 深く深く、彼女が入り込む。

 いつものように背中に手を回すが、触れた布地の薄さにびくりと震えた。


「良いのですよ、そのまま破いても」


 口づけの間に囁かれるが、ギルベルトはなんとか耐える。

 ギルベルトが感じたのは純粋な恐怖だ。

 七歳も下の女性に翻弄される屈辱ではなく、ただ、知らないものへの恐怖だ。

 これが祝福によるものではないのはわかる。力が注がれていない。

 だから、わからない。

 これはなんだ。

 どうして、彼女はこんなことをする。

 怖い。

 わからない。

 怯えを見せるギルベルトに、セレスティアは身を起こし微笑みを見せた。


「理由を、知りたいですか?」


 セレスティアの優しい眼差しに、ギルベルトは小さく頷く。

 まるで子供のような彼の様子に、ちゅっと音を立てて頬に唇を落とす。


「私が貴方を愛しているからですわ」


 ギルベルトの目が見開く。

 愛している?

 よけいにわからなくなったギルベルトに、セレスティアは優しく髪を梳いてあげた。


「初めて貴方と会った日。とても怖い顔をいていて、言葉の端々に苛立ちを感じました」


 撫でるように髪を梳き続けるセレスティア。


「でも、すぐにわかりました。貴方は、仲間を信用してくれなかったから、怒っていたのですね?」

「そ、れは……」


 不器用なひと、と呟きギルベルトの額に口づけをする。

 優しい感触に混乱していた気持ちが落ち着いていく。


「貴方は物言いこそ厳しいけれど。好き嫌いも多そうですが、だからこそ、大切な方々を蔑ろにはされたくなかった」


 セレスティアの言う通りだった。

 ギルベルトは、嫌われ者の自分に付いてきてくれた研究員たちに報いたかった。

 何をしても、功績は自分にしか与えられない。

 魔導具造りはひとりではできないのに。

 だからこそ、ひとりでは成し遂げられない大掛かりな魔導具を造ろうと思ったのだ。

 これなら、皆も認められる、と。

 それなのに、国が勝手に教会に申請を出して、聖女がやって来た。


「貴方の怒りは仲間の為に。そんな貴方だから、私は愛してしまったのです」

「祝福、は?」

「それは、本当ですよ。ただ、貴方に私という存在に慣れてほしくはありました」


 祝福は嘘だったのか、と緊張して端的に問えば、きちんと否定してくれた。

 知らずのうちに入っていた力が抜ける。

 セレスティアはギルベルトの隣に横になると、きゅっと彼を抱きしめた。


「貴方には選択があります。ギルベルト様は、これから行われることの意味を知らない。だから、私は無理強いはしたくないのです」

「セレスティア……」


 確かにギルベルトにとって、先ほどの口づけは理解できない。

 セレスティアの口振りから、他にも何かあるのだろう。


「ギルベルト様、選んでください。これからの人生を私と共にありたいか。それとも私と離れて過ごすのかを」


 ギルベルトはぎゅと、セレスティアを抱きしめ返す。

 無理だ。

 選択肢など、最初から有りはしない。

 知ってしまった。

 彼女という存在を。

 知らない状態には、戻れない。

 ギルベルトの様子で全てわかったのだろう。

 セレスティアは、ギルベルトから一度離れると、ゆっくりと覆いかぶさるように彼の体の左右に両手を置く。

 上から見下ろす形になったセレスティアは、愛しげにギルベルトを見つめ、笑う。


「優しくしますね?」


 ギルベルトは思った。

 知らないなりに察した。

 この台詞は、たぶん違うと。



 次の日。

 国中に、聖女の婚姻が大々的に発表されたのだった。

 彼女を長年守っていた神官長は泣きそうな顔で、発表の場に赴いた。

 その神官長の様子に様々な憶測が飛ぶ。

 感極まるほど嬉しいのだろう。国民はそう受け取り。

 権力のある者ほど勘繰った。

 だが、そんな騒ぎは、『聖女の間』で甘い時間を過ごす二人には届かない。



 休暇が終わり、第一研究室に日常が戻った。

 休暇を満喫して談笑していた研究員たちは、静かに入室した所長の姿に、思わず黙る。

 静かな空間で、研究員たちの視線を集めた彼は、そっと所定の席に座った。

 姿は休暇前となんら変わらない。

 ただ、そう、表情。

 表情が、ふわふわしているというか、心ここに在らずというか。

 とにかく、無垢な子供のような雰囲気だ。

 そんな彼が、ぼんやりと呟いた。


「……あんな、世界があったなんて、知らなかった」


 それを聞いた一部の男性研究員は、あっと声を上げた。

 彼らは、ギルベルトが興味のないことはとことん知らないことに勘付いていたのだ。

 だから、聖女にとって夫婦の寝室になるという『聖女の間』に行くと聞いて心配していたのだが。

 そこに聖女との結婚ときた。

 ギルベルトに何が起きたかは、まあ、わかってしまった。

 ただ、彼の表情に悲壮感はなく、ただ未知の世界に驚いているだけのようなので、そこは安心した。

 他の研究員たちも、ギルベルトをよく思わない連中が色々噂しているのを聞いてはいたが、信じる者はいない。

 噂のなかに聖女様を手折っただのとあったが、まあ、そうだ。

 今までの二人の様子から察するに。

 手折られたのは、確実に――。



【何故、彼の者は手折られたのか】



 手折るは本来女性に使われますが、ギルベルトのその分野においての無垢さを強調したくて使いました。

 お読みくださりありがとうございます!


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