7. 【最終話】失われた時をその手に
朝目が覚めると、エイジャクスに両腕でしっかり抱えられていた。
そんな彼はぐっすり眠っている。
(良かった……私のせいでずっと寝不足だったから)
案外あどけない寝顔を見ていたら、胸の奥がムズムズした。
(はぁ……好き……)
ん?
今私なんて?
昨晩は眠さと疲労で意識が朦朧としていて気づかなかったけど。
ぐっすり眠って頭がスッキリ冴えた今、ようやく自覚した。
自分がいつの間にかエイジャクスに恋をしていたことにーー。
……と言うことは。
私は恋を自覚するよりも先に夫婦になろうとして……
あろうことか、夫に無理やり子作りを強制した……!?
「な、なんてことなの……」
自分のイタさに青ざめる。最低すぎるわ私。
物事には順序というものがある。
一般的に男と女は出会い、恋をして、結婚をして、親になるものだ。
ところが王女として育った私はその当たり前の常識が抜けていたのである。
エイジャクスに幸せな子供時代がなかったように、私には青春時代がなかった。
私の中に無意識に植え付けられていた結婚の概念、それは……婚約する、初めて顔を合わせる、お世継ぎを作る、以上だ。
「恋」が完全に抜けている。
そういうふうに教育されていたからだ。
愛だの恋だのに振り回されていては政略結婚は務まらない。
そんなことよりも、お世継ぎを産むことに生きがいを感じ、至上の喜びと考えるよう教育されていたのだ。
『でもあなたは私のことを……男として好きなわけではない』
エイジャクスの言葉の意味をようやく理解する。
彼は私と夫婦になることを拒否していたのではない。
政略結婚のような義務的な夫婦にはならない……そういう意味だったのだろう。
私が彼のことを男性として好きになるまで、ずっと待つつもりでいてくれたの?
きっとそうね。彼はそういう人だもの。
自分のことより、いつでも私の気持ちを一番に考えてくれる優しい人なのだ。
なのに私は。
なんておこがましいのだろう。
「私が愛を教えてあげるわ」と言わんばかりの上から目線の態度で。
自分の不完全さは棚に上げて。
エイジャクスは愛を知らずに育ったはずなのに。
私なんかよりよっぽど人の愛し方を知っていた。
本当に私には勿体無い、素晴らしい人だ。
……恥ずかしい。
なんて頭でっかちな馬鹿なのかしら、私って。
自分が情けなくて、泣けてきた。
ぐずぐず涙を拭っていたら、エイジャクスが目を覚ましてしまった。
泣いている私を見て、パッと身体を離す。
「レジーナ様、あ、いえ…レ、レジーナ。やはり私に抱きしめられるのは不快でしたか……すみません」
「違うっ! 違うのよ。エイジャクス……あのね」
「はい……どうしましたか」
「…………好き……」
「………………」
エイジャクスが無言になる。
数秒の沈黙の後、彼は布団を頭まで被って丸まってしまった。
どのくらい経っただろうか。
やがて布団からエイジャクスがモゾモゾと顔を出した。
「失礼しました。ちょっと動揺してしまいまして。やはり空耳……」
「好き」
「うわあぁぁああ!!」
エイジャクスは真っ赤になって手で口を覆う。
「そ、そんなわけあるはずないでしょう!?」
この人が好きだ。
この不器用で優しくて、頼もしい人が好きだ。
「エイジャクスが好き」
「ちょ……まっ……っ」
一度自覚すると、もうこの気持ちは止まらない。
『好き』で心が一杯になって溢れ出す。
私は彼の首に抱きついた。
「好き好き好き好き」
ーーエイジャクス、私はあなたと恋がしたい。
「……………………」
エイジャクスは石のように固まって呆然としている。
やがてゆっくりと口を開いた。
「もしかしてこれは夢か、幻か、あるいは死後の世界かも知れませんが。それでも構いません」
逞しい両腕で私の腰をグッと抱き寄せる。
「レジーナ……あなたを愛しています。ずっと前から」
順序を間違ってしまったばかりに、私たちはとんだ回り道をしていた。
結婚してから二ヶ月。
私たちは晴れて恋人同士になったーー。
◇◇◇◇◇◇◇
「行ってらっしゃい」
仕事に行くエイジャクスの頬にキスをする。
「行ってきます」
あれ以来、睡眠をたっぷりとっている夫は顔色も良くなり、一安心だ。
「ねえ。お仕事に行くのはあなただけれども」
「ん?」
エイジャクスが足を止めて振り返る。
「私だってキスが欲しいのに……」
名残惜しくて仕事に行こうとする夫にわがままを言って引き止める。
エイジャクスは目を輝かせて、すぐ引き返して来た。
「では今後は『行ってらっしゃい』は頬ではなく、唇にしましょう」
そう言って、とびきり優しいキスをくれた。
ああ、もうエイジャクスが好きすぎて……困ってしまうわ。
「うふふ。好き」
「あなたほどの女性に好きだと言ってもらえるなんて……自分は結構凄い男なんじゃないかと思えてきました」
「当たり前よ。私が今まで見た中では最高の男性だわ」
エイジャクスはクスクスと笑う。
普段あまり笑わない人が笑うと、ギャップがまたいいのよ。
うっとりと見つめていたら、頬を撫でられた。
「そんな目で見つめられると仕事に行きたくなくなります」
「そんなこと言われたら、仕事に行かせたくなくなるからやめてちょうだい」
「なるべく早く帰ってきます。あなたのおかげで生まれて初めて自分自身のことが好きになれそうです」
そう明るく手を振って、夫は仕事に出掛けて行った。
夫の姿が見えなくなると、私はニヤリと笑って厨房に駆け込んだ。
数時間後、私はサンドイッチを詰めたバスケットを持って、王宮の敷地内を歩いていた。
作ったのは私ではなく料理人だけれど。
「うふふん。夕方まで待てないもの」
お昼休みに合わせ、夫に差し入れを持って行くのだ。
私はもともと愛情深い……と言えば聞こえはいいが、愛の重い女なのである。
恋を知らなかった頃はそれが弟や孤児院の子供に向いていた。
ラナにもよく「レジーナの『可愛がりたい病』は異常」と言われていたっけ。
弟のダリウスなど、嫌がって泣いていたわ。
なにしろあの子は常にみんなから愛されていて、お腹いっぱいな状態だったから。
それに引き換えエイジャクスは!
乾いた砂のように私の愛をいくらでも吸収してくれる。
何と、ボタンの掛け違えも、顔に食べ物をくっつけていたのも、わざとだったんですって。
最初の一回以外はね。
あの頻繁な怪我も。
私に構ってもらえるのが嬉しかったのだそう。
甘えてもらえていたんだと知って、キュンキュンしたわ。
面と向かって甘えられない所が可愛くて。
でも、彼は私が甘やかすよりも私に甘えられるほうが嬉しいみたいで。
「あなたが私に我儘を言えば言うほど、自分に自信が湧いてきます」
だそう。目下、エイジャクスの自己肯定感はぐんぐん上昇中。
く〜! なんて素敵なのかしら、私の旦那様。
私のこの溢れんばかりの重たい愛を受け止められる人なんて他にいない。
好きだという気持ちが、私の足を早める。
私は小走りに王宮の庭を横切り、騎士団の演習エリアを目指す。
数時間前に送り出したばかりだと言うのに。
会いたくて、会いたくて。我慢できない。
「エイジャクス! 会いたくて来てしまったわ!」
息を切らしながら、団長執務室の扉を開ける。
「奇遇ですね。私もちょうど会いたいと思っていたところです」
黒い騎士服に身を包んだ強面の夫は、私にだけ分かる優しい光を瞳に浮かべ、両腕を広げる。
私は勢いよく愛する人の腕の中に飛び込んだ。
完
でもこの二人、まだハグとキスまでの関係です。




