26. 拒まれたキス
レジーナ王女の隣国への出発がいよいよ一週間後に迫った。
その日の夜会はレジーナにとって、カロニア国での最後の夜会となる。
王女の門出を祝うため、ホールを飾る花やキャンドルも特別に豪華なものが用意された。
王都中の貴族が入れ替わり立ち替わりレジーナのところにやって来て、お祝いの言葉を述べる。
正式な婚礼は半年後にネバンドリアで執り行われる予定だ。
そんな中、第二王子のダリウスは一人ホールの隅にいた。
(はぁ……どんな顔をしてエルリアーナに会えばいいんだ)
いつも真っ先にエルリアーナの元に飛んで行って、囲い込むようにベッタリ張り付いていたダリウスだが、エルダに対する気持ちをはっきりと自覚した今、どういう態度を取れば良いのかわからないのだ。
連日の筋トレで逞しくなった身体にロイヤルブルーの上着を纏い、憂いを帯びた表情でワイングラスを傾けるダリウスは得も言われぬ色気を醸し出していた。
多くの独身令嬢たちが頬を染め、遠巻きに見ている。
「殿下、難しいお顔をなさって……こんなところでどうしたのですか」
振り向けば、フィービー会長が不思議そうな顔をしながら近づいてきた。
ダリウスは内心ホッとした。
エルリアーナのファンであるフィービー会長なら、気を遣わなくて済むからだ。
ダリウスは苦しい胸の内を打ち明けてみた。
ところが、話を聞くうちフィービー会長の表情がどんどん険しくなり……。
「最低ですわ!! 浮気者!!」
親の仇でも見るような目で睨みつけられ、ダリウスはびっくりした。
「エルリアーナ様の他にもう一人同じくらい好きな女性がいるだなんて! 許せません!」
「しー!!」
ダリウスは慌ててフィービー会長の口を塞ぐ。
周りに聞かれては面倒だからだ。
「そんないい加減な気持ちではエルリアーナ様を傷つけてしまいます」
「でも本当にどちらのことも真剣に愛しているんだ」
「それは愛ではなく欲なのでは? 殿下はどちらも本気で好きではないのですわ」
フィービーの辛辣だが的確な言葉はダリウスの胸に突き刺さった。
(本当に好きなら二人の間で迷わないのか? 僕はどちらに対しても本気ではないと言うことなのだろうか?)
獰猛な肉食獣のような令嬢であるフィービー会長は不敬罪なんて恐れない。
カンカンになって第二王子に殴りかかろうとしたところ、腕を押さえられる。
彼らは気づいていない……二人の様子ははたから見ると恋人同士のじゃれあいにしか見えないことに。
少し離れたところでエルリアーナはカークやアランと共にこの様子を見ていた。
「殿下とフィービー嬢、進展早くないか?」
「言いたいことを自由に言い合える仲なんだなぁ」
カークとアランの無邪気な言葉がエルダの胸を容赦なく抉る。
「お、フォービー嬢が殿下に手を上げようとしてるぞ。『もぉ〜殿下のバカん。ウフフ』ってか」
「殿下、フィービーの腕を掴み『ヤキモチ焼き屋さんだなぁ。アハハ』」
エルダの気持ちなどお構いなしに、勝手にアフレコまで始めるカークとアラン。
やがてフィービー嬢はダリウスを突き飛ばし、何やら罵りの言葉を吐くと、頬を膨らませてエルリアーナのほうにやって来た。
「エルリアーナ様ぁ〜」
「……フィービー伯爵令嬢。こんばんは」
エルダの顔がこわばる。
フィービーはエルリアーナの腕に抱きつく。
「浮気者の殿下なんか放って置いて、女同士でスイーツでも頂きませんこと?」
横から伸びてきたダリウスの腕がエルリアーナをフィービーから引き剥がした。
そして大事そうに自分の腕の中に抱え込む。
「ダメ! 僕もエルリアーナと話をしたいんだから」
「殿下」
「ダリウス殿下! エルリアーナ様に触らないで下さいませ!!」
フィービーは毛を逆立てた猫のようにダリウスを威嚇する。
しかし周りはそれをダリウスのことを独占したいが為のヤキモチなのだと受け取った。
カークとアランは同情するようにエルリアーナとフィービーを見比べた。
(ダリウス殿下も罪作りだなぁ……)
おどおどしながらフィービーとダリウスを交互に見るエルリアーナ。
ダリウスはかまわずに彼女を強引にバルコニーに連れ出した。
今日のエルリアーナは金色のドレスを身に纏っている。
所々、黒のベルベットのリボンでアクセントをつけてある、シックなドレスだ。
アクセサリーはパールとクリーム色のバラの生花で上品にまとめている。
シックな色合いの装いにエルリアーナの紫水晶のような瞳の色が際立つ。
ダリウスはしばし、エルリアーナの美しさに見惚れた。
何度見てもその感動が薄れることのない美しさ。
初めてエルリアーナを見た瞬間から変わらずにダリウスの心を捉えて離さない。
こんなにも好きなのに。
なぜ自分は二人の女性の間で揺れているのか。
『殿下はどちらも本気で好きではないのですわ』
フィービー嬢の言葉を思い出す。
そんなはずあるものか!
こんなに愛しいのに。
姿を見るだけでこんなに胸が高鳴るのに。
ダリウスはそっとエルリアーナの頬に触れ、顔を見つめる。
不安げに揺れる紫水晶のような瞳がすがるように見つめ返してきた。
(エルリアーナがエルダの存在を知っているはずはないが、何かを察しているのだろうか……?)
自分はこの可愛い人を不安にさせているのだ。
ダリウスはやりきれない気持ちになる。
本当は誰より甘やかして幸せにしたいのに。
エルダとエルリアーナ。
どちらの方が好きなのか、わからないのならば。
(どちらか片方を無理やり選んでしまえばいいのではないだろうかーー)
エルダが好きなのは自分ではなくエイジャクスだ。
だったらーー。
手に入らないほうは諦めて、手に入るほう一人に絞ればみんな幸せになれるのではないだろうか。
ダリウスはエルリアーナの顎をつと持ち上げる。
熱のこもった眼差しで見つめると、エルリアーナは恥じらうように長いまつ毛を伏せた。
ーーほら、エルリアーナは僕を受け入れてくれる。
うん。エルリアーナを選ぼう。
僕が好きなのはエルリアーナなんだ。
どうせエルダは姉上についてネバンドリアに行ってしまうのだ。
エルリアーナの腰を抱き寄せ、ゆっくりと顔を近づける。
マシュマロのような柔らかい、甘い唇に口付けようとしたその時
ダリウスの脳裏に赤い髪の女騎士の顔が浮かんだ。
「…………っ!」
思わず反射的にエルリアーナから身体を離す。
背中を冷たい汗が伝う。
エルダへの気持ちを自覚してしまった今、それに蓋をしてエルリアーナにキスをすることなど出来なかった。
エルリアーナは驚いて目を見開く。
そしてダリウスの表情を見ると、瞬く間に大きなアメジストのような瞳に涙が湧き上がった。
エルリアーナの涙を見てダリウスは焦る。
キスを拒む、と言うとんでもなく失礼なことをしてしまったけど、エルリアーナのことは本気で好きなのだ。
そんな矛盾する気持ちをうまく伝えることが出来ない。
「ち、違うんだ、エルリアーナ……そ、その……なんて言うか」
「…………」
「……ごめん……」
エルリアーナは指先で自分の目元を拭うと、大きく息を吸った。
「殿下……。殿下のお心には別のどなたかがいらっしゃるのですね」
「う……うん。そうなんだけど、でもーー」
「いいのです」
エルリアーナは寂しげに微笑んだ。
「いいのです。最初から分かっておりました」
そう言うと、エルリアーナはドレスの裾を摘んで礼をし、ホールに戻って行った。
一人バルコニーに残されたダリウスは手すりに手をつき、項垂れた。
手っ取り早く一人に絞ろうなんて打算的なことを考えたからバチが当たったのだ。
(エルリアーナを泣かせてしまった……)
ズキリと胸が痛んだ。
だけどーー
何度考えても。
どちらのことも好きなのだ。
「はっきりさせなければ……」
エルダの出発まで、もうあまり時間がない。
満月が明るく照らす夜のバルコニー。
第二王子は為す術もなくいつまでも立ち尽くしていた。




