18. 向日葵の館
エイジャクスはおろおろしていた。
閉ざされた扉の内側から、グスンと……レジーナ王女が鼻を啜っている音がするからだ。
(レジーナ様が泣いておられる!?)
これは一大事である。
その日の午前中、レジーナ王女はお妃教育の講義を受けた。
その講義が終わってからずっと塞ぎ込んでいるのだ。
ドア越しに漏れ聞こえた講義内容は、『閨教育』。
エイジャクスも思わず耳を塞ぎたくなるくらい不快なものであった。
王妃となる者の最大の任務は後継者を残すこと。
特に政略結婚の場合、次の国王となる王子を産めないと意味がない。
例え愛情がなくても、疎まれても、周囲に邪魔をされても、なんとしてでもお世継ぎを産む。その為の極意……これが閨教育の中身だ。
どんな手段を使ってでも懐妊せよとは……なんともえげつない。
王太子にその気がない場合の対処法、愛妾がいた場合の対応などなど、偽りと謀略に満ちた殺伐とした内容である。
懐妊後、毒を盛られないように気をつける方法などと言うものもあったりして、エイジャクスは驚愕した。
相手の王太子がどんな人物かも分からない、味方もいない異国の宮廷。
レジーナ王女の不安は察するに余りある。
エイジャクスが密かに心を痛めていると、不意に扉が開いて王女が顔を出した。
「エイジャクス、悪いのだけどダリウスの所に行ってエルダを数時間借りて来てちょうだい」
ようやく顔を出したレジーナ王女が自分ではなくエルダに頼ろうとしている事に、エイジャクスは密かに傷つく。
自分ではダメなのだろうか。
絶対に秘密は漏らさない自信はあるのだが。
「それは……どう言ったご用件で? お、恐れながら……レジーナ様の今の護衛は私であります。私には務まらない役目なのでしょうか?」
泣き喚いてもいい、当たり散らしてもいい。
自分に全てぶつけて欲しい。
レジーナ様の苦しみは全て自分が代わりに背負いたいのだ。
そして王女自身には誰よりも幸せになって欲しい。
レジーナ王女は一瞬キョトンとエイジャクスを見つめ、眉を下げて言った。
「ごめんなさい。そうよね、あなたに失礼だったわね。ちょっとエルダ相手にお芝居ごっこをして現実逃避しようと思っただけ」
「そのお芝居ごっことやらは私ではダメなのでしょうか」
「ありがとうエイジャクス。でも例えお芝居の恋愛ごっこでも男性が相手だと、あらぬ噂を立てられるわ」
レジーナ王女はふふ、と笑って
「代わりに庭園を散歩するから付き合ってくれる? 恋愛ごっこはこのクマのぬいぐるみ相手にするわ」
エルダにもクマのぬいぐるみにも出来ることが自分には許されない。
エイジャクスはもどかしかった。
レジーナ王女のことを一番想っているのは自分なのに。
レジーナ王女はクマのぬいぐるみを抱えたままゆっくりと庭園を進む。
少し離れてエイジャクスが後ろに続いた。
広大な王宮の敷地内にはいくつかの離宮が存在する。
何代も前の国王の側室の為に建てられた館だ。
その中の一つに通称『向日葵宮』と呼ばれる建物がある。
その名の通り、見事な向日葵が咲き乱れる離宮。
今は住む人もなく、無人だ。
二階建ての煉瓦造りで、向日葵が映えるように外壁を白く塗ってある。
一階の入り口付近が大きな軒のあるポーチになっていて、二人掛けのブランコが設置されている。
ポーチに絡まる蔦の葉はブドウで、向日葵が終わって秋になると甘い実をつけるのだ。
レジーナ王女は憂鬱な気分を吹き飛ばすため、向日葵を見に行くことにした。
「まぁ! 可愛らしい向日葵だこと!」
太陽に向かって咲き誇る鮮やかな黄色い花。
まるでニコニコ顔の元気な子供のような花だと思う。
(でも私は産むだけで、子供の笑顔を見ることは叶わないかもしれないけど)
きっと産んだ子の育児は乳母に任されるだろう。
憂鬱な気分を吹き飛ばしに来たのに、またしても嫁いだ後のことを考え、気分が暗くなってしまった。
『お世継ぎ製造マシーン』としての生活が待っているのだ。
もし子供が出来なかったら……と思うと、プレッシャーで胃が痛くなりそうだ。
愛し愛された男性と結ばれて、可愛い子供に囲まれて暮らす……そんな生活にレジーナ王女は憧れる。
それは王女という身分に生まれた彼女には決して叶うはずのない夢だった。
「先ほどの」エイジャクスがポツリと言う。
「王子様の芝居……ここなら誰かに聞かれることもありません。セリフだけで、触れたりしなければ、遠目に見ても誤解されることはないかと……」
「エイジャクス……?」
「私では力不足でしょうが……レジーナ様の憧れのセリフを……頑張って演じさせていただきますので」
(エルダの代わりに芝居ごっこに付き合ってくれようとしているのね)
レジーナはエイジャクスの気遣いが嬉しかった。
顔は怖いし、口調もぶっきらぼうなエイジャクスが!
王子様っぽさは全くないけど。
「じゃあ……『男の子でも女の子でもどっちでもいいよ。君に似た可愛い子が出来るといいな』って言ってもらえるかしら。ふふ」
「え。これは……その……れ、恋愛の芝居ではなかったので?」
「憧れの子供が出来る設定。だって……私、自分の子を育てるのが夢なんですもの。あ、言い辛かったらセリフ変えても良くてよ。アドリブ入れても」
「で、ではーー」エイジャクスがコホンと咳払いする。
「『お、男の子でも女の子でもどっちでもいい。絶対に君に似た子なら可愛い子に決まってる。宝物のように大事にする……』」
「まあ! 素敵なアドリブだわ。次は『君と温かい家庭が築きたい』と『何があっても君とこの子を守って行きたい』って言って」
(エイジャクスにお芝居ごっこの才能があるとは意外だったわ)
お世辞にもノリがいいとは言えないエイジャクスがお芝居ごっこに付き合ってくれたことに驚く。
「『君が築く家庭は絶対に世界一温かくて居心地の良い家庭だ。俺は……何があっても君と子供を守る。幸せにする。だ、だって……君は僕の太陽だから』」
口下手なエイジャクスはプライベートでこんなセリフは絶対に言えないタイプだ。
内心、顔から火が出そうだったが、必死に耐えた。
まして彼は孤児なのだ。
『家庭』も『夫婦』も『親子』も知らずに育った。
イメージなど掴めるはずがない。
でもレジーナ様のためならば。
エイジャクスは一生懸命考えた。想像した。
もし自分とレジーナが夫婦だった場合の自分の心情を。
その結果があのアドリブだった。
顔を赤らめ、額に汗を浮かべつつも、エイジャクスは真っ直ぐにレジーナ王女の目を見てセリフを口にした。
告げることは永遠に叶わない本心を芝居に織り交ぜながら。
エイジャクスの演技が迫真すぎて……。
自分を見つめる強い視線にレジーナの心臓が跳ねる。
「……………………」
「……………………」
ーーこれが現実だったら……どんなに幸せだっただろう
レジーナとエイジャクスは同時に心の中でそう思った。
(政略結婚、嫌だな……行きたくない)
レジーナ王女の目に涙が滲む。
うっかりクマのぬいぐるみをポロリと落としてしまった。
「あ、ご、ごめんなさい。ちょっと感動してしまって……お、お芝居なのに」
焦りながら目元を拭う。
最愛の人が目の前で泣いている……。
エイジャクスはレジーナ王女が気の毒で胸が痛んだ。
うっかり抱きしめてしまいそうになり、慌てて伸ばしかけた手を引っ込める。
護衛と言う立場を逸脱するわけにはいかない。
無言のままレジーナ王女が落としたクマを拾い上げる。
そして黒子のように、後ろからクマの両腕を持ちーー
レジーナ王女の顔の前でクマが『おいで』をした。
エイジャクスと同じ、騎士の服を着たクマ。
呑気な顔をしてレジーナ王女に向かって短い両腕を広げている。
レジーナ王女がそろりそろりと近づくと、クマはモコモコした短い腕で優しく受け止めてくれた。
「ありがとう……エイジャクス」
向日葵が見守る中、レジーナ王女はクマのぬいぐるみの胸に顔を埋めて泣いたーー。




