15. 抱きしめたい
「おはようエルダ。あれ、なんか顔色悪いね」
翌朝、上機嫌なダリウスの笑顔に迎えられたエルダは目の下に見事なクマをこしらえていた。
昨晩は全然眠れなかったのだ。
ダリウスの笑顔と抱きしめられた感触、耳元で囁く声が、頭の中で繰り返し再生されてしまって。
身体に腕を回されることなど、騎士の訓練中はよくあること。
男性に全く免疫のない深窓の令嬢ならともかく、エルダはずっと男性に囲まれて育ってきたのだ。
でも……全然違うのだ。
ダリウス王子が抱きしめる力は強いのにどこか優しい。
肩を掴む手は大きくて熱かった。
あんな風に誰かに抱きしめられたのは初めてで……。
以前ダリウスは「エルリアーナに触れたい」と言っていた。
彼は昨晩のことをどう感じたのだろう。
エルダはチラリと第二王子の顔を盗み見る。
なんだか上機嫌で顔色も良いのがムカつく。
エルダはドキドキしっぱなしで全然眠れなかったと言うのに。
少々わざとらしいとは思ったが、あえて聞いてみる。
「殿下、昨晩の夜会は如何でしたか?」
ダリウスは真っ赤になって、デレデレした。
「もう嬉しくって〜〜えへへへ」
「エルリアーナが僕のリボンを髪に着けてくれた……あの地獄のような菓子の山と闘った甲斐があったよ……もう菓子は一生食べたくないけど」
「良かったですね」
たかがリボン一本髪に結んだだけなのに、こんなに喜んでくれるなんて。
エルダはなんともむず痒い思いがした。
「あまりに嬉しかったから……つい……衝動的に? 紳士らしからぬ振る舞いをしてしまったんだが……あ、そこは内緒だから教えないよ。ふふ」
(知ってるけどね)
……と言うか、そこの感想を聞きたいのである。
「わざとじゃなかったんだよ? エルリアーナのこと怖がらせてしまったかなぁ。嫌われてないといいんだけど」
(ふむ。意図してやったわけではないのか……)
「やっぱり聞きたい? いや、聞いて? エルリアーナってさ……」
ダリウスはうっとりとした表情でため息をつく。内緒と言いつつ実は聞いて欲しいらしい。
「抱きしめると柔らかくて、腕の中にすっぽり入ってさ、甘いお菓子みたいないい匂いがして、めちゃくちゃ可愛いんだよ!!」
そう言うとダリウスは机の上に置いてあったボロボロで薄汚れてて、臭そうなクマのぬいぐるみを抱きしめる。
そして昨晩の感触を思い出すように目を閉じた。
(脚色しすぎでしょ! 私、筋肉質だから男みたいに硬いし、甘い匂いは……まあ実際にお菓子食べてたからかな?)
「はぁ……エルリアーナ。もう一回抱きしめたい。今すぐ抱きしめたい。ずっと抱きしめてたい」
クマのぬいぐるみに思いの丈をぶつけるダリウス。
エルダは羞恥心で居た堪れなくなる。
こんな生々しい本音を聞いてしまって良いものだろうか。
「不自然にならずに抱きしめる口実ってないかなぁ。ああ、もうエルリアーナが好きすぎてどうにかなりそう……僕は今めちゃくちゃ舞い上がってる」
そう言うとダリウスは真面目な顔でエルダに意見を求めてきた。
「ねぇ……エルリアーナは僕に抱きしめられて嫌だったかな。どう思う?」
エルダは考える。
ダリウス殿下に抱きしめられた時、自分は嫌だっただろうか?
あの時自分は……
「嫌ではなくて……ただびっくりして……あ、頭の中が真っ白になっちゃって……それで……心臓がドキドキして……すごく……ドキドキして」
昨夜を思い出して、真っ赤になる。
ダリウスの顔を見ることが出来ずに俯いてボソボソと喋る。
「え……?」
「い、いえ……その……あくまで想像ですけど。多分そのような感じなのではと」
「…………。そ、そっか。ありがとう」
(エルダもあんな顔するんだな……)
エルダが見せた表情にダリウスは一瞬ドキッとしてしまった。
今まで女の子として意識したことはなかったのに。
少年のように思っていたのだけれど。
エルリアーナの心情を語った時のエルダの顔は……『女の子』だった。
「そういえば、エルダも好きな人いるって言ってたよね」
あの顔は……きっと抱きしめられたことがあるのだろうなとダリウスは思った。
その体験を思い出しながらの発言だったのだろう。
(そっか……エルダも女の子なんだな)
◇◇◇◇◇◇◇
レジーナ王女の護衛、エイジャクスの持ち場は王女の私室のドアの外。
緊急時以外、私室内への立ち入りは禁止されている。
その日はたまたま、カーテンの交換があったため、部屋のドアが開けっぱなしになっていた。
エイジャクスは好奇心を抑えきれず、ちょっと隙間から覗いてみる。
レジーナ王女は長椅子に座って本を朗読していた。
そして膝の上にはクマのぬいぐるみが乗っている。
詩を朗読しながら、王女の片手はクマの頭を優しく撫でる。
(…………!!!!)
次の瞬間エイジャクスは凄いことに気づいてしまった。
クマのぬいぐるみは騎士の格好をしているではないか!
自分と同じ騎士の格好を。
エイジャクスは感激し身悶える。
騎士(……の服を着たクマのぬいぐるみ)を可愛がるレジーナ王女!
エイジャクスはあのクマのぬいぐるみは自分だと思うことにした。
レジーナ王女に膝枕されながら、頭を撫でてもらう自分の分身……。
(いい……! すごくいい!)
擬似……ではあるけど、膝枕!!
興奮して身悶えるエイジャクス。
(レジーナ様に膝枕を……なんと言う罰当たりなクマだ、羨ましい)
「ネバンドリアの王太子妃になったら、もう孤児院にも行けないし。可愛がれる子がいなくなると思うととても不安なの……お前はずっと一緒にいてね」
レジーナ王女が、クマに話しかける。
(…………っ! レジーナ様! 私もずっとおそばにおります! 私とそのクマと……)
三人で幸せになりましょう……と心の中で熱く叫んだ時、険しい顔をしてやって来る王太子に気がついた。
王太子はドアを簡単にノックすると、返事も待たずに中の妹に声をかけた。
「レジーナ、エイジャクス、二人とも至急父上の所へ来い」
「また怪文書が届いたーー」
国王がなんともいえない表情でレジーナに告げる。
「わ、私の婚姻に関してですか!?」
レジーナ王女はショックで顔色をなくす。
一体誰がこの婚姻に反対しているのだろう。
ネバンドリアの王家から強く望まれた婚約なのに。
私は誰かから恨みを買っているのかーー?
レジーナは震える手でその手紙を受け取る。
中にあったのは前回と同じ筆跡で……。
『ネバンドリア王太子とレジーナ王女との婚約は破棄した方が良いと思う』
「…………」
「…………」
ん?
「こ、これは……脅迫文と言うより……」
「…………意見書……?」
「そうなのです」
王妃が困惑気味にこぼす。
「前回は明らかな脅しだったので、事件として扱い捜査していたのですけど」
「意見の場合、どう対応するべきか……」
「少なくともこの国では国民は自由に意見を述べる権利があるからなぁ」
調べたところによると、犯人は道端の子供に銅貨を渡し、王宮の門番に手紙を渡すよう指示したとか。
その子供を探し出し、どんな人に頼まれたのかを問い詰めたが、何も聞き出すことが出来なかった。
「この婚姻によってデメリットを被る人というのが思い当たらないのだ」
国王がお手上げと言うようにこぼした。
「一体誰の仕業なんだ」
「レジーナ様に恋慕の情を抱いている者の仕業ではないでしょうか?」
身に覚えがありすぎるエイジャクスはそう推察した。
「若い男性との接触をずっと禁じられていたのよ! あり得ないわ」
ちょっと不満そうにレジーナが口を尖らせる。
「では……先方の王太子の方はどうだろう? 女性関係を調べてみては?」
王太子が提案した。
この国の外務長官をネバンドリアに送り、あちらの王族と情報を共有する、同時に密偵を送り込んで調査させる、この二つの方法でひとまず対応することとなった。
「もし彼の国にこの婚姻に反対するものが大勢いるようであればレジーナはやらん」
国王の言葉に王妃と王太子も頷く。
「こっちの方が国力は上なんだから、欲しければそれなりの環境を整えて出直せって言ってやりましょう、父上!」
「私の娘は絶対に幸せな花嫁にならなくてはダメよ!」
家族を持たないエイジャクスはこのやりとりを眩しそうに眺めていた。




