12. 聖母
エイジャクス近衛隊長はこの世の春を謳歌していた。
エルダを首尾よくダリウスの護衛に据えたことで、自分は憧れのレジーナ王女の護衛になることが出来た。
もう、毎日が楽しくて仕方がない。
(毎日レジーナ様に『おはよう』と『お休みなさい』と言って貰える日が来ようとは……ああ、幸せすぎて怖い……)
エイジャクスは嬉しさのあまり、咽び泣いた。
毎日王女の部屋の外で待機し、移動の際には一緒に行動する。
出来ることなら24時間警護したかったが、さすがに夜間は別の者に交代させられてしまった。
レジーナ王女の護衛はエイジャクスにとってはご褒美も同然。
なので、休日も全て返上して王女のそばに張り付いた。
ある日、レジーナ王女が公務で孤児院を訪問することになった。
エイジャクスも当然、護衛として同行する。
子供たちへのお土産や、お菓子などを沢山馬車に詰め込んで、いざ出発。
(二人で同じ馬車に……まるでデートではないか。この上なき僥倖!)
嬉し過ぎて、前日の晩は一睡も出来なかったエイジャクス。
もとから怖い顔をしているところに、寝不足で充血した目が加わると、連続殺人犯も真っ青な恐ろしさだ。
案の定、孤児院の子供たちに泣かれて大変だった。
孤児院が建っているのは王都の商業地区から少し外れた静かな通り。
母体となる教会は同じ敷地内に隣接している。
王都にはいくつかの教会……とは言っても宗派は同じ、が存在する。
この教会は貴族御用達の煌びやかな教会ではなく、主な利用者は貧困層だ。
貧しい者、困っている者の救済に力を入れており、皆の心の拠り所となっている。
建物いっぱいにツタが絡まる歴史のある教会。
その隣に建つ孤児院では男女合わせて五十名ほどの子供たちが暮らしている。
何を隠そうエイジャクスはこの孤児院の出身である。
赤ん坊の時に両親を亡くし、引き取られた先で虐待されて育った。
そしてこの孤児院に保護されたのが十歳の時だ。
以後、騎士になるまでの六年間をここで過ごす。
孤児院には温かい食事と清潔な寝床があったが、指導員たちは私情を交えず公平に適切な指導をしたーー端的に言えば事務的だった。
エイジャクス少年は母親の愛情も家庭の温もりも知らずに育った。
そのことになんの疑問も持たずに生きて来たが、エイジャクスが十二歳になったある日、彼の世界が一変する。
この国の幼い王女ーーレジーナ殿下がこの孤児院を訪れたのである。
レジーナ王女は小さい子の世話を焼くのが好きだ。
あまりにしつこく弟のダリウス王子に構うので、見かねた国王が孤児院訪問を提案したのだ。
レジーナ王女が七歳の時のことである。
初めての公務。孤児院にやって来たレジーナは歓喜した。
子供がうじゃうじゃいたからだ。
小さな子供が大好きで、とにかくベタベタと猫可愛がりしたいレジーナにとって、孤児院はパラダイスだ。
「わぁ! 可愛い〜〜!!」
自分だって子供のくせに、目を輝かせ小さい子供を抱きしめるレジーナ王女。
気持ちだけは一端の『お母さん』のつもりだ。
母親の温もりに飢えている、小さい子達は嬉しそうに抱っこされている。
その様子を見た瞬間、エイジャクス少年は雷に打たれたような衝撃を受けた。
なんて美しくて幸せな光景なんだろう。
世の中にこんなにも尊く、美しいものがあるなんて。
胸が締め付けられた。
子供たちに優しい眼差しを送るレジーナ王女は教会で見た聖母の絵画そっくりだった。
限りなく温かく、慈愛に満ちている。
愛情、温もり、幸せ……エイジャクス少年はもちろんその言葉は知っていた。
でも、具体的にイメージ出来なかった。経験したことがなかったから。
子供を抱きしめているレジーナ王女の表情と、抱きしめられている子供たちの表情を見て、初めて
(ああ、これが『愛情』……これが『幸せ』……)
と、理解したのである。
それからと言うもの、エイジャクス少年はレジーナ王女の訪問を心待ちにするようになる。
王女が子供たちを可愛がっている姿を見ることが、彼のささやかな楽しみとなった。
見ているだけで自分まで幸せな気分になれた。
愛されることを疑似体験していたのかもしれない。
エイジャクス本人はレジーナより五歳も年上である。
だから小さい子に混じって甘えるわけにも行かず、物陰からこっそり見ているだけだったけど。
やがて、孤児に剣術を教えにやって来たボランティアの騎士に、素質を見出されたエイジャクス少年はみるみる頭角を現し、騎士団入団試験に合格する。
そしてレジーナ王女のそばにいるために近衛になり、今日に至ると言うわけだ。
エイジャクスにとって『愛情』と『レジーナ』は同意義である。
他の愛情の形を知らないからだ。
『幸せ』や『優しさ』や『温もり』についてもそうだ。
この世のあらゆる尊いものは全てレジーナとイコールなのである。
レジーナ王女がいなければ、エイジャクスの人生には『愛情』も『幸せ』も『温もり』もない。
レジーナ王女はエイジャクスの人生におけるたった一つの光であり、神にも等しい存在だ。
王女が隣国に嫁ぐ際には何がなんでもついて行くと決めている。
嫁ぎ先でレジーナ王女が子供達に愛情を注ぐ様をそばで見ていたいのだ。
「レジーナ様、抱っこ〜!」
「マリーはおねしょしたから悪い子なんだぞ! あっちへ行け」
今日も子供たちの抱っこを巡る争いが勃発する。
「おねしょしても、悪い子でも構わないわよ。私はマリーの美味しそうなほっぺたが大好きだもの」
そう言ってレジーナ王女はマリーを抱き上げほっぺたにキスの雨を降らせる。
子供たちが可愛くてたまらないのだ。
「ボクも抱っこ〜。レジーナ様いい匂い」
「ジェイの方がいい匂いよ。お日様みたいな匂いでずっと抱っこしてたいわ」
「私も〜」
「レジーナ様、これ見て!」
甘え方を知らない天邪鬼な子供に対しても、お構いなしにぎゅうぎゅう抱きしめ、可愛がる。
「離せよ!僕は赤ちゃんじゃない!」
「嫌よ。はぁああ、可愛い、可愛い、可愛い〜!」
「…………」
レジーナ王女は心底嬉しそうである。
文句を言ってる子供たちもまんざらでもない様子だ。
レジーナ王女の聖母のような笑顔を、エイジャクスは眩しそうに見つめていた。
その後子供たちとゲームをし、読み書きを教え、持参したおやつをみんなで食べて、この日の孤児院訪問は終了した。
帰り際に、院長に皮袋に入ったお金を渡す。
お茶会で集めた寄付金である。
「少しですが、維持費に充てて下さい」
「殿下、いつもありがとうございます」
「殿下がお越し下さった日は、夜泣きやおねしょが激減するのですよ」
孤児院の院長は嬉しそうに語る。
「きっと子供たちも遊び疲れているからですわね」
レジーナ王女がにこやかに答え、また来る約束をして孤児院を後にした。
(違う……)
エイジャクスは子供たちの心の内が痛いほど分かった。
孤児院にいる子の多くは、過去に辛い体験をしている。
保護者との死別や貧困や虐待などだ。
レジーナ王女との楽しい時間や、抱きしめられた時の温もりを、何度も何度も頭の中で再生しながら眠りについたに違いない。
多くを持たない彼らにとって、レジーナ王女と過ごす時間は宝物なのだ。
その多幸感が子どもたちが抱えている辛い過去を一時的に上書きしてくれたのだろう。
「子どもってどうしてあんなに可愛いのかしら」
馬車を停めてある所に向かって歩きながらレジーナ王女が呟く。
「私、王女でなければ孤児院の指導者か乳母になりたかったわ」
「自分の子供を自分で育ててみたい。平民が羨ましいわ。もし神様が一つだけ願いを叶えてくれるなら迷わず自分の子供を自分でそだ……」
「ーーそこのお嬢さん、占いはいかがかい?」
突然声をかけられて、レジーナ王女とエイジャクスは足を止め振り向く。
孤児院を出てすぐの表通り。道端に直接テーブルと椅子を置いて営業している占い師。
声の感じから女性のようだが、ベールを被っているため顔が分からない。
孤児院の周辺は建物もまばらで、大した商店もない。
おまけに隣は教会だ。
どうせ道端で商売をするならもっと街の中心部にすればいいものを。
「一回につき50ルビンだ。お嬢さんの真実の愛がどこにいるのかわかるよ」
馴れ馴れしい占い師をエイジャクスが軽く睨んだ。
魔王の恐ろしいオーラに、占い師がビクッとする。
そして誰かを探すようにキョロキョロ辺りを見回す。
「こ、今回は特別に……時間無制限でじっくり占ってあげよう」
占い師の女の言葉には異国の訛りがあった。
カロニア王国の人間ではないようだ。
「結構よ。真実の愛なんて……私には縁のないものだもの」
少し寂しそうにレジーナ王女は微笑み、占い師の前を通り過ぎる。
「ま、待って!! じゃあ3ルビンで……いいえ、タダでいいから……ねえ、ちょっと」
背後からしつこく声を掛けてくるが、もう振り返らない。
「お願い!! 帰らないで!!!」
占い師の女は立ち上がる。
そして水晶玉を放ったらかして、追いかけて来た。
そんな占い師のことは無視して、二人はさっさと馬車に乗り込む。
走り去る馬車を追いかけながら、占い師の女は叫んだ。
ーーお、お嬢さん! アンタ、南のほうに行っちゃいけない!真実の愛を手に入れたければ、南に行ってはいけないよ! アンタの真実の愛はカロニアにあるから!




