84 ~卒業式の日 前編~
「シオ、先に入れるか?」
「うん。私もそう言おうと思ってた」
先に栞を小広間に入れて、千明様の様子を見てきてもらう。待っている間に、急ぎ足で彰がやって来た。栞に呼び出されたのだろう。
「あれ? シオは?」
「まだ中にいる。先に様子見てもらってる」
「あっそう。じゃ、俺も外で待ってた方が良いんだな」
「それが一番、千明様の負担にならない気がする」
「昼ご飯は、カケが戻ってきそうになかったら、鍋に残しておいた方がいいか? それともよそっておくか?」
「よそっておいてくれていいよ。多分、手、離せなくなるから」
「了解」
彰との会話が一段落すると、小広間の扉が開き、栞が出てくる。
「カケ兄さんに話したいことあるらしいから、中入って。アキ兄さんは、私と一緒に朝食づくりね」
「了解」
俺は、小広間の中に入り、彰と栞は食堂に向かっていった。
「失礼します」
ひどく疲れた様子の千明様の前に座る。
千明様は、ギャン泣き状態の泉ちゃんをほぼ放心状態で抱いている。目にはクマができているし、千明様も泣いたのか、少しだけ目が充血している。
「ごめん、こんな姿で」
「いえ。すぐに代わります。ゆっくり休んでください」
「ありがとう。今日あったこと伝えてから寝ようと思って」
「はい」
「えっと、十時半前後ぐらいにミルクをあげたんだけど、その時に泉が泣き始めて、一回、泣き疲れて寝てたんだけど、また四時前にお腹空いたって泣き始めて、それからずっと泣いてる状態で……。多分、そろそろ泣き疲れて寝ると思うんだけど……」
「そんな風には見えないですね。海斗君にミルクはあげられてるんですか?」
「うん。どちらも、お父さんが手伝ってくれたから、あげれてる。それ以外はずっと寝てるから、あ、でも、そろそろ起きるかな。いつもこの時間になると起きてるから。起きてたら、その辺にあるおもちゃ渡しておけば一人で遊んでくれるから、のどに詰まらせたり、どこかにぶつけないようにだけ見ておいてほしい」
海斗君の寝ている布団の隣にいくつかのおもちゃが置いてあった。鳴るものや、感触の柔らかいボールみたいなのもある。
「分かりました」
「泉は……、ちょっとまだよくわかってなくて、適当に遊んでくれると嬉しい。ミルクあげる時間は、昨日のメモにも書いたけど、メールにも送っておいたから、それ参考にして。それ以外で泉が泣き始めるとしたら、多分、おむつを替えてほしいってことだと思うから、確認して。海斗のも一緒にお願い。少し不満そうな顔になるだけで、多分、分からないから」
「ありがとうございます」
「そんな感じかな。ミルクの時間になったら、多分、お父さん来てくれるか、晴さんが来てくれると思うから、手伝ってもらって」
「はい」
「じゃあ、お願いします」
千明様はそう言いながら、泉ちゃんを渡してくる。泉ちゃんは俺だと分かったのか、必死に手を伸ばしてくる。俺が抱き上げると、先ほどまでのギャン泣きが嘘のように眠り始めた。
「はぁ……」
千明様は大きなため息をつき、一度目を瞑る。
「ゆっくり休んでください。遠慮なくどうぞ。昼ご飯は、シオに伝えました?」
「うん。栞ちゃんには伝えてある」
「じゃあ、本当に遠慮なく、何時間でも休んでください」
「ありがとう……」
千明様は、壁伝いによろよろしながら立ち上がる。
できればついて行きたいけど、海斗君から目は離せないからな。
「一人で大丈夫ですか? 晴さんか冬馬様呼びましょうか?」
「だ、いじょうぶ。だとおもう。多分」
「分かりました。おやすみなさい」
「ん……」
千明様は小広間を出て行き、そのタイミングを見計らってか、海斗君は目を開く。
やっぱ、貴族みたいな感じだよな。前世貴族か?
ゆっくりと千明様の気配は移動している。どこかで止まり、動きそうになかったら、晴さんか冬馬様に連絡しようと決め、海斗君に適当なおもちゃを与える。
当主様の部屋の前を曲がったあたりで、千明様の気配が止まる。十数秒経っても動き出さないため、誰かに連絡しようとスマホを取り出す。
冬馬様か……晴さんのほうがいいのか……?
と考えていると、食堂から一つの気配が出てきた。どちらかわからないため、とりあえず彰に電話をかける。
「はい、どうした?」
「当主様の部屋の前曲がったあたりで千明様の気配が止まったんだけど、どうなってる?」
廊下を移動していた気配の動く速度が速くなったため、彰だったのだろう。
「……どうしましたか?」
少し遠くで彰の声がする。千明様に話しかけているのだろう。
「何でもないです……、大丈夫です」
「これ、カケと繋がってるんですけど、カケにだったら言えますか? ……そうですか。……えっ? 分かりました。カケ、こっちで解決できそうだから切るぞ」
「サンキュ。頼んだ」
電話を切り、ポケットに仕舞う。電話している間、ずっと海斗君に見られていた。
「どうした?」
「う」
海斗君はこちらに手を伸ばす。握手だろうかと思い、俺がその手に触ろうとすると、手を振られる。違うらしい。そうなると、泉ちゃんぐらいしかいない。
泉ちゃんを海斗君の横に寝かせると、泉ちゃんの服の袖をつかみ満足そうに頷き、もう片方の手に持っていた柔らかいボールみたいなものを握っている。
俺に取られてると思ったのか?
泉ちゃんのもう片方の手は俺の服を探して動いている。すぐに見つからないからか、段々顔の皺が寄っていき、泣き出しそうになる。
俺は、横になり、泉ちゃんの手に服を握らせると朗らかな顔になり、すぅすぅと寝息を立て始める。
こんなところにいたらすぐに寝そう。小説持ってくればよかったか。
やることがないため、小広間の外の気配を探っていると、食堂から一人、早足で俺たちの部屋がある方に歩いていく気配があった。
入れ替わりで六人の気配が食堂に向かって歩いていく。
シオは鉢合わせなくてよかったのか。
海斗君の相手をしていると再び外に動きがあった。
食堂から六人出てきたかと思うと、三人は2階に上がっていき、二人は表玄関へ、一人は当主様の部屋に入っていった。
当主様に入っていった気配と入れ替わりで一人の気配が出てくる。真っすぐに歩いてくるため、食堂に向かっているのかと思ったが、小広間の前で止まった。十数秒立ち止まった後、扉がノックされる。
俺が返事をすると、扉がゆっくりと開き、入ってきたのは美佳様だった。俺は慌てて起き上がる。その反動で泉ちゃんの手から俺の服が落ち、泣き始めた。泉ちゃんをあやすために抱き上げると、今度は海斗君が不満そうな顔をする。
「ふふふっ」
神妙な面持ちで入ってきた美佳様だったが、小さく笑い始める。
「どうか、されましたか……?」
「ううん。笑ってしまってごめんなさいね。連鎖していくのが面白くて……。翔君の前だと海斗も表情豊かね」
「そうなんですか……?」
確かに、言われてみれば、千明様がいたときはずっと海斗君は笑うか寝てたな。
「そうよ。海斗は私の子供たちで一番……ではないわね。二番目に感情表現の薄い子だったから」
美佳様は、海斗君を抱き上げ、顔を合わせながら言う。
一番目は……誰なんだろう。冬馬様のような気もするし、千明様のような気もする。
「私たちの前では猫を被っているのかもしれないわね」
美佳様は、海斗君を膝の上に寝かせ、片手で支えながらもう片方の手で頭を撫でている。
「迷惑をかけないようにと考えているのかもしれませんよ」
「それもあるかもしれないわ」
美佳様の膝の上に寝ている海斗君はこちらを睨んでいる。視力が悪いからかもしれないが、敵対意識かもしれない。
「……よかったわ。千明が助けを呼べる人がいて。冬馬や優斗には絶対に言わないもの」
「そう、なんですか?」
確かに、助けてって言ってる場面見たことない気がするな。
「千明自身がどれだけ無理を強いられても、絶対に家族には助けを求めないから。私たちは少し悲しいけど、ね。だから、冬みたいに壊れるまで何も言わないの。今回も言ってくれないかもしれないからと、当主様にはお伝えしておいたけれど……。自ら助けを求めたのは、千明の中で結構勇気のいることだったと思うの。それでも、ちゃんと信用できる人に助けを求められたのは成長したわね、と思って。こんなこと、翔くんに話しても意味ないわね。ごめんなさいね」
「いえ。助けを求められないと、こちらも勝手に手出しできませんから、千明様側から手を伸ばしてもらえて助かりました」
「これ以上千明のことを話すと、恥ずかしがって翔君を頼ってくれなくなってしまうかもしれないから、この辺にしておくわ」
「はい」
「これから三カ月長くなると四カ月くらい、全国の相川家を回らなければならないの。その間、千明とこの子たちをお願いね」
「僕のできる限りを尽くさせていただきます」
「本当に頼りになるわ。できれば私だってこっちに残って2人の成長を見守りたいのよ。赤ちゃんなんて一瞬で育つもの。でも、この仕事は私にしかできないことだから。……って、翔君の前だと何でも話してしまうわ。気をつけないと。それじゃあ、よろしくお願いします。この後のミルクタイムは晴さんが来ることになっているから、連絡してね」
「はい。ありがとうございます」
美佳様は名残惜しそうに海斗君を布団の上に寝かせると、小広間を出ていった。
再び3人で川の字に寝転がり、2人をぼーっと眺める。気配を探ってみると、表玄関では写真撮影をしているようで何個かの気配が立ち止まったり動いたりしていた。
美佳様が言っていたミルクタイムを覚えるために、千明様のメールを確認する。ミルクをあげる目安の時間以外にも、粉を溶かすお湯の温度や、粉の量まで2人に合わせた量が書いてある。
これ、一日で見抜いたのか? いや、さすがに、美佳様とかからもらったんだろうな。にしても、ちゃんと送ってくれるのありがたいな。あんな状態だったのに。
そろそろ十時半になる少し前に、一人食堂に歩いていく気配があった。多分、晴さんだろう。
すると、海斗君が泣き始めた。初めてのことで、どうしたらいいかわからない。抱き上げたら、多分、泉ちゃんが泣き始めるだろう。
晴さんはまだ食堂に行ったばかりであるから、すぐにはやってこない。
起き上がって、海斗君を抱き上げる。お腹が空いて泣いているだけだとは思うが、良い気はしない。
隣では泉ちゃんが、もう泣き出しそうである。2人を一緒に抱き上げるのはできなくはないだろうが、怖い。
泣き出してしまった泉ちゃんのお腹を撫でながら、晴さんが来るのを待つ。
数分後、やってきた晴さんから哺乳瓶をもらい、泉ちゃんにあげる。晴さんが来た途端、泣き止んだ海斗君は晴さんに託した。
2人にミルクを与え、おむつを替えると、気持ちよさそうに眠り始めた。俺もずっと横になっているからか、眠くなってきたため、一緒に眠る。
小広間に入ってきた気配があり、目を覚ます。扉の方を見ると、千明様が入りづらそうに扉の前に立っていた。
「あ、体調はどうですか?」
「よく眠れたし、大丈夫」
時間を確認するためにスマホをつけると、彰からチャットが来ていた。4時間ほど眠っていたらしい。
「昼ご飯、まだですか?」
「うん。先に様子見に来たから」
「千明様の昼ご飯何もしてなければ、鍋に残ってるみたいなので、食べれそうだったら食べてください」
「ありがとう。……こっちで食べてもいい?」
「どうぞ」
千明様は小広間を出ていき、小丼を持って帰ってきた。
「翔君もまだご飯食べてないよね……?」
「ないですね」
「ごめんね。これ食べたら、食べに行って」
「ゆっくり食べてください。寝ていただけであまりお腹は空いてませんから」
「そう」
千明様はゆっくりとご飯を食べ始める。
千明様がご飯を食べ終わると、俺は泉ちゃんを連れて自室に置いてあったバックを持って家に向かう。二時間後のミルクタイムはそっちでどうにかしてほしいと言われたからだ。
「あ、おかえり」
家で何かいい匂いのするものを作っていた栞が俺に気づく。
「ご飯食べるの? よそう?」
「あぁ。お願い」
バッグを居間の隅に置き、席に座る。
「カオ、今いいか?」
俺がいないからこちらにつれてこられたであろう薫に話しかける。小説は読んでおらず、ぼーっとしていた。
「なに?」
「上のタンスの中に、幼児用のサイズの布団と掛け布団が入ってるから、干しといてくれるか?」
「ん。りょーかい」
薫は立ち上がり、居間を出ていく。
「はい、どーぞ」
「ありがとう」
栞は親子丼の入った丼をテーブルに置き、スプーンを置くと台所に戻っていった。お菓子か何かを作っているのだろう。
俺は、泉ちゃんを足の間に乗せ、ご飯を食べ始める。今日は、少し機嫌がいいのか、全部食べ終わるまで泣き出さなかった。
戻ってきた薫は、庭に出てバレーボールと戯れている。
泉ちゃんを抱き上げ、丼をシンクまで持っていく。
「あ、洗うから置いておいて」
オーブンと睨めっこをしていた栞に言われる。
「サンキュ。シオは何作ってるんだ?」
「クッキー。あ、そうだ、えっと、アユ兄さんとノゾ兄さんの好きな味とかってある?」
「味?」
「なんか、お茶が好きとかチョコが好きとか何かない?」
「うーん。それは、アキとかトオに訊いたほうが良いな。いや、シズに訊くのが一番いいか」
「分かった。訊いてみる。ありがとう」
「力になれずすみません」
「そんなことないよ」
居間に戻り、畳の上にうつぶせに寝かせてみる。抱いてはいないが、泣き出しはしなかった。頑張って首を持ち上げ俺の顔を見ている。
「う、う」
俺も寝転がり、目線を合わせる。片腕で体を支え、もう片方の手を伸ばし、俺に触ろうとしてくる。俺はその手を握ってみる。
納得はしていないが、悪くもいなという表情である。
すると、俺のスマホが鳴り始めた。淳さんからだった。
「はい。翔です」
「淳。今から行ってもいいか?」
「元女中の家にいますけど、それでもよければ、今は、空いてますよ」
「じゃ、行く。どこ?」
「裏玄関から見て左手前です」
「了解。また後で」
「はい。待ってます」
電話を切り、泉ちゃんと顔を見合わせる。
「よくできました」
頭をなでると嬉しそうな顔をする。俺も笑顔で返す。
二人で見つめ合っていると数分後にインターホンが鳴り、横から薫が出ていった。俺は、起き上がって座る。泉ちゃんをそのまま寝かせていようと思ったが、泣き出しそうだったため、抱き上げる。
「おじゃましまーす」
「おじゃまします」
卒業式の日ですが、翔からするとただの休日です。裏では、歩と望が当主一族に翻弄されてます。
そして、淳たちの引っ越しの話。日常が戻ってきた感じがしますね。
次回は、 登場人物紹介 薫編 です。




