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✤9

 ロジーナは一旦出て行くと、小一時間ほどして戻ってきた。手に持っている服は、ロジーナのものではなかったかもしれない。


「はい、これに着替えて。兄様に伝令は走らせたけれど、私たちも急ぎましょう」


 それから、メイドの二人が入ってきた。ロジーナが目配せすると、メイドはロジーナから服を受け取った。シンプルな若草色のドレスだ。茶色のフリルがついていて可愛らしい。


 このドレスには袖を通した跡がなかったように見える。わざわざ買ってきてくれたのかもしれない。申し訳ないけれど、今はそこを突き詰めて考えている暇もない。リゼットは手伝ってもらいながらもなんとか着替えた。

 そこで思い出す。


「あ、あの、私がいた部屋にリボンがあるはずなんです。いつもつけていた……。それを持っていきたいのですが」


 ナディアからもらったリボンだ。あれを見るたびに苦い思いが蘇る。だからこそ、持っていこうと思うのだ。


 メイドの一人が畏まりました、と言って去った。思ったよりも声が低い。あんな声をしていたのだな、とぼんやり思った。

 急いでくれたらしく、彼女はすぐに持ってきた。机の上にあっただろうから、探す手間はなかったとしても。


「ありがとうございます」


 ペコリと頭を下げると、メイドたちはようやく感情を見せた。泣き出しそうに見えるのは心苦しさからだろうか。


「どうか、お幸せにお過ごしください」


 そう言ってくれたのは、上辺だけではなかったように思う。自分が同じ立場で、アダンに逆らってでも相手を護ってやれたかと問われるなら、きっとできなかった。だから、素直な言葉が出た。


「ありがとうございます。あなた方もどうかお健やかに」


 そうして、リゼットはロジーナと共に部屋を後にする。


「転ぶといけないから、私につかまってくれてもよいのですよ」

「い、いえ、大丈夫です」


 そう言いながらも、ちょこちょこと少しずつしか進めない。階段も手すりにつかまりながら慎重に下りる。

 すると、階段の下に黒髪の青年がいた。それは、あの時ジスランの隣にいた青年だ。

 癖のある跳ねた黒髪と垂れ目に見覚えがある。けれど、にっこりと笑う様子は兵士とは思えない親しみやすさだった。


「ロジーナ、馬車をつけてある。行こう」

「あら? あなたも行くのですか? 兄様にここを任されているのでしょう?」

「二人を送ったら戻るよ。大事なロジーナと花嫁さんに何かあったら困るし」

「私、その辺りの賊に遅れなど取りませんわ」

「そういう君だから送り出せないんだって……」


 とても自然だった。そういえば、ロジーナは婚約者という言葉を使っていた。この人がそれらしい。青年はニコニコと朗らかに言う。


「僕はバディスト・ガイヤール。ロジーナの婚約者でもある。まあ、今はそんな話をしている場合じゃないから、とりあえず馬車に乗ろう」


 馬車には御者が控えており、車体の大きさのわりには馬が二頭も繋がれていた。急ぐからだろう。

 まず、ロジーナが身軽に車内に乗り、そこから手を差し伸べてリゼットを引っ張ってくれた。貴人がすることではない。ロジーナは本当に快活だ。

 バディストも馬車に乗り込むと、鞭の音が響き、馬車は走り出す。



 目まぐるしい一日だ。今までの平凡な暮らしがどんどん遠ざかっているような気がする。

 小さくため息を吐くと、バディストがロジーナの隣に座るリゼットの方をじっと見ていた。


「ロッセル――特に息子のアダンは、以前から結構薄暗い噂がささやかれてはいたんだけど、証拠がなかなかつかめなくて。でも、ロッセル男爵――アダンの父親が色々と喋ってくれたよ。病身だったみたいで寝てたけど、あれは多分毒でも盛られてるね。もう長くはないかもしれない」


 あちこち歩き回らないようにリゼットを部屋に閉じ込めたのは、男爵に出くわしてしまわないためにだったのか。用心深いアダンのことだから、リゼットを婚姻で縛った後はともかく、結婚前だと密告される可能性も考慮していたかもしれない。

 結局、どこかから話は漏れたようだけれど。


 ロジーナもため息をつく。

 それから、急にリゼットの方に手を伸ばし、頭を抱きかかえるようにして撫でた。


「もういいの。忘れましょう。リゼットは無理強いされていただけで、あの家とは無関係ですもの。あの馬鹿息子に少しの愛情も持ち合わせていなかったのでしょう?」

「ええ。大嫌いでした。忘れたいです」


 ロジーナには本心が言えるような気がする。そうやって誰かを信じて、また裏切られてしまうのかもしれないけれど。

 特にロジーナはリゼットとは身分が違う。詳しいことは聞いていないけれど、こうして馴れ馴れしくしていい相手ではないとは感じる。だから、今だけだ。

 そう自分に言い訳をして、今だけはそのあたたかさに触れていたかった。


「そうか、それはよかった。あんな馬鹿でも好きだったんです、とか言われたらこっちも後味が悪いしな。うん、身分と金があってもあんなヤツと結婚したらお先真っ暗だ。大体、結婚は好きな人としたいよな」


 好きな人と言われてもピンと来ない。多分、リゼットは一生こんな具合なのだろうなという気がしている。

 誰かを信じるのは怖い。疑うのがつらい。

 だからこそ、心から人を好きになれない。そんな人生だ。

 目の前の二人は幸せそうだけれど。


「リゼットにはきっといい人が現れるはずよ」

「うんうん、俺以外なら誰だって好きなの選んでよ」


 アハハ、とバディストは軽く笑った。この状況で悲壮感を漂わせないのがある意味嬉しい。


「いえ、私は……」

「ジスランでもいいんじゃないか? あいつ独身だし」


 そんなこと、起こり得るはずがない。

 あのキラキラとした美貌の青年を思い起こし、気が遠くなる。


「い、いえ、私……」

「まあ、あいつは結構ややこしいしなぁ。無理か。ほんと、ややこしいんだよ」


 人の話を聞いてほしい。

 ジスランがややこしいというのはよくわかった。


 あの外見で女性に不自由しているとは思えない。寄ってくる女性が多すぎて選べないと、むしろそういう手の苦労をしている気がする。

 もし、何か大きな欠点があったとしても、まあ、あの顔だからと納得してしまいそうだ。


「兄様がややこしいということに関しては否定致しませんけれど」


 しないんだ、とリゼットは横を向いた。しかし、ロジーナは笑っている。


「兄様でもそうでなくとも、誰でもよいのです。リゼットのことを一番に考え、大事にしてくれる相手であれば」


 そんな優しいことを言ってくれる。

 だから、妙に泣きたいような気持になってしまった。熱くなる目頭をどうしたらいいのか困り、リゼットはうつむいて顔を隠した。


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