✤52(挿絵あり)
ロジーナとバディストの結婚式を終えると、ジスランは職務に復帰する。
リゼットは以前話した通り、ジスランについて王都へ行き、タウンハウスで過ごすのだった。犬たちとしばらく離れて暮らさねばならず、別れる時は泣いた。ロジーナと別れる時よりも泣いたかもしれない。
またしばらくすれば会えるのに大袈裟だと、皆に笑われてしまった。
タウンハウスではジスランがいない間に行儀作法を学ぶ。リゼットは真面目な生徒だから、先生はよく褒めてくれた。
この半年の間に、ウエディングドレスの仮縫いから何まで王都で済ませておかなくてはならない。ジスランは領主だから、ロジーナたちの結婚式のように内輪でというわけにはいかないという。ある程度招待客も多いから頑張って、とロジーナからも言われているのだ。
ジスランが申請している長期休暇まであと一ヶ月というところで、ジスランはふとあることを提案してきた。
「リゼットのご両親はすでに亡くなったと言っていたが、結婚前に一度墓参りに行かないか?」
「え?」
「俺も挨拶がしたい」
ソファーでくつろぎながら、ジスランはそんなことを言う。
「えっと、何もないところですけど……」
忙しいジスランに足を運ばせていいものかと考えたけれど、ジスランの気持ちは嬉しかった。ジスランはリゼットの肩を抱きながらささやく。
「リゼットだってご両親に報告したいだろう?」
「……ええ」
両親の墓には参りたいけれど、昔を思い出す土地に行くのは少し躊躇われた。
そう考えて、心の中で失笑する。
何も疚しいことはないのだから、胸を張って帰ればいい。それだけのことなのに。
✤
結局、ジスランが休暇に入り次第、先に墓参りをしてからエストレ地方へ向かうということになった。
もうすぐでリゼットはジスランの花嫁になるのだという実感がまだ湧かない。幸せすぎて現実味がない。またいつかこの幸せが翳る日が来るのだと思うと怖くもある。
リゼットは、故郷に向かう馬車の中でジスランに寄り添いながら両親にまずなんと報告しようか考えていた。
その間、ジスランはリゼットの髪をサラサラと撫でている。二の腕にかかるまでに伸びた髪はハーフアップにしてある。服装もシルクのドレスシャツにレースを幾重にも重ねた青いスカート。今までのリゼットが着ていたものとは質が違う。
今のリゼットを見て、リゼットだと気づいてくれる人はいるだろうかとすら思う。
リゼットの生まれ故郷は、働いていたサンテールの町の隣にある。途中、馬車はサンテールの町を通るのだが、リゼットはここを通りたくないような気もした。しかし、町は広い。
たまたまメロディに遭遇するなんてことはないだろう。
ここに心残りがひとつだけあるとしたら――。
「ジスラン様、サンテールの一番通りにある『アベラール』というパン屋さんのりんごパイが大好きで、仕事の合間に時々勝手こっそり食べていました。懐かしいです」
このところは上等な食事をさせてもらっている。それでも、嫌なことがあった時にそれを忘れさせてくれた好物には特別な思い入れがあった。
「そうなのか。立ち寄って買ってこようか?」
「いいのですか?」
「俺も食べてみたいから」
ジスランがそう言ってくれたのが嬉しかった。
とはいえ、小さな店なのだ。馬車で乗りつけると驚かれるだろう。通りの手前に馬車を停めてもらい、買いに出ようとしたらジスランも一緒に降りてきた。
サンテールの町の匂いが懐かしい。嫌な思い出も、もうどうだっていい。隣にジスランがいる。それが今のリゼットのすべてだ。
「ここです」
ジスランの腕を引きながら、看板のわかりにくい、隣の店に埋もれがちなパン屋の扉を開く。ドアベルがカランと鳴って、店主の妻がにこやかに振り返った。リゼットから見ると母親くらいの年齢なのだが、気さくな人なのだ。しかし、彼女は町のパン屋にそぐわないジスランに驚いているように見えた。
「い、いらっしゃ――」
「ご無沙汰しています。お元気でしたか?」
リゼットが挨拶すると、彼女は目を丸くした。
「え? リゼットちゃん?」
「はい。りんごのパイを買いに来ました」
すると、彼女はリゼットとジスランを交互に見た。そうして、ため息をつく。
「そうかい。リゼットちゃんはお屋敷を辞めたって聞いてたんだけど、いい人ができたからなんだね?」
「ええ、まあそういうことです」
リゼットの身に起こったことのすべてを説明するのは難しい。結果だけを言うのならばそれでいいような気がした。
彼女ははぁ、と惚れ惚れと息をつく。
「それにしても立派な方だねぇ。もしかして、それでメロディちゃんはアレだったのかしら」
その名が出た時、リゼットがギクリとしたのをジスランは気づいただろう。リゼットは聞きたくなかったけれど、ジスランは口を挟んだ。
「何があったのでしょうか?」
ジスランに見つめられ、彼女は照れつつ手をパタパタと振った。
「いえ、ね。メロディちゃんもお屋敷を辞めたんだって。辞めたっていうか、辞めさせられたみたい」
「えっ?」
リゼットは無意識のうちに声を漏らしていた。
メロディが屋敷を辞めさせられたとは――。
「それが、仕事を下の子に押しつけて、できていないと当たり散らしたり、相当荒れていたって聞いたよ。以前は愛嬌のある子だったのにね」
「…………」
「リゼットちゃんがいい人を捕まえて行っちゃったのが寂しかったのかしらね。でも、そういうことはしちゃいけないわね。――と、そうそう、りんごのパイだったね」
「あ、はい、三個ください」
りんごのパイを包んでもらい、リゼットは礼を言ってパン屋を出た。ジスランはリゼットが二個食べると思ったらしい。しかし、それは違う。
「はい、どうぞ。いつもありがとうございます」
リゼットは、パイをひとつ、馬車で待っていた御者に手渡した。
「え? 私にですか?」
「ええ。いつもありがとうございます。私の好物なんですけど、お口に合うと嬉しいです」
「ああ、恐縮です。喜んで頂きます」
ジスランは意外そうに目を瞬かせたけれど、リゼットはそんなジスランに笑って返した。
リゼットは労働階級の出だからこそ、こうした気配りをしたい。身分に関わらず、人には心がある。思いやりのある主人を持ちたいのは、仕える者たちが共通して持つ思いだ。
それが嫌というほど身に染みてわかっているから、仕えてくれる人々を大事にしていきたいのだ。リゼットがジスランの妻になっても、当たり前だと威張ることはしない。
それがわかることがリゼットの強みになるはずだから。
――メロディは屋敷を辞めさせられたのなら、故郷に帰ったのだろう。もう会うことはない。
ここでそれを知らされるとは思わなかったが、もうどうでもいい。メロディの実家まで知らないから、本当にもう会わない。
もういい。この先のリゼットの人生には必要がないことなのだから。
✤
サンテールの隣町、ラファラン。
村よりは少し大きいかという程度の小さな町で、リゼットはここでは職が見つけられなくて、孤児院からの伝手を頼りにサンテールの屋敷で働くことになったのだった。そんなことも今となっては思い出だ。
リゼットが家族と住んでいたのは借家だったから、今はもう違う人が借りているか壊されたかのどちらかで、あえてそこに足を向けたくはなかった。
直接墓地の方へ向かいたい。けれど、その前に花だけ買ってから行こう。
「もう少し近かったらうちの薔薇を供えるのに、やはり遠いな」
ジスランもそんなことを言いながら馬車に揺られていた。墓地まで行く途中、町の往来でカートに花を載せて売り歩いている娘がいる。スカーフを被っているけれど、まだ若い娘だ。
売り物の花はたくさんある。売れないと帰れないだろうな、とリゼットはなんとなく思った。
「ジスラン様、あそこで花を買ってきますね。ここで待っていてください」
「一緒に行こうか?」
「いえ、すぐ戻ります」
リゼットはそれだけ言うと、馬車を停めてもらい、道に降りた。この田舎町では貴族の馬車など珍しい。浮いてしまっている。リゼットが降りたら、町人たちがチラチラとリゼットを見てきた。直視するのではなく、関わらないように盗み見る。
リゼットは苦笑すると、花売りの娘に声をかけた。
「すみません、お花を頂きたいのですが」
にこやかに声をかけたが、花売り娘の顔を見た途端に笑顔が凍った。
スカーフの下の赤毛。そばかすの浮いた幼く見える顔。
リゼットを見て、零れ落ちんばかりに目を見開いているのは、メロディだ。
居所も知らない。もう会うわけがないと思っていたのに、今、この時になって再会するのはやはり因果だろうか。
メロディは、唇だけでリゼットの名をつぶやいた。メロディも驚いているようだが、リゼットも冷静とは言えない。脚がカタカタと震えた。
復讐はしないと約束した。もういい。そう思っても、心にさざ波が起こる。
このままきびすを返せばいいのに、リゼットは動けなかった。それはメロディも同じだった。
急にキッとリゼットを睨みつける。
「な、なんであんたがこんなところに……?」
そんなことを言われる筋合いはない。リゼットは自分でも驚くほど低い声で言う。
「ここは私の故郷だからよ。そっちこそ、なんでここにいるの? お屋敷を辞めさせられたんでしょ?」
リゼットがそれを知っているとは思わなかったらしい。メロディはカッと顔を赤く染めた。
「辞めさせられたんじゃないわ。辞めたのよ。こき使われるばっかりで、あんなところに未練はないもの」
それがせめてもの強がりであることは簡単に見抜ける。辞めさせられたのでは、紹介状ももらえない。次によい職に就けることはまずないだろう。
一瞬、それをあげつらってやりたい気持ちが湧いた。それくらいならば許されるのではないのか。
リゼットがそう考えた間、メロディはリゼットの服をじっと見ていた。同室だった時にこんな上等の服を持っていなかったことを知っているのだから、今のリゼットの装いを不思議に思うのだろう。
――もう、これが最後だ。二度と会わない。
リゼットは、メロディに向かって言った。
「私、もうすぐ結婚するの」
「え?」
メロディはきょとんとした。そうしているとやはり幼い。
顔かたちだけでなく、心が幼いままだ。人に甘えるばかりで、気に入らないと癇癪を起す子供のまま。
リゼットは、別れた時と変わりないメロディに冷え冷えとした心境で告げる。
「ロッセル家に囚われていた私を救い出してくれた騎士様と。そんなおとぎ話みたいなことが本当に起こるのよ。世の中、わからないわよね」
それを聞くと、メロディは目に涙を溜めて手前の白い花を握りつぶした。花弁をブチ、とちぎって、その花弁をリゼットに叩きつける。けれど、そんなものは痛くも痒くもない。
「あんたはいいわよね! 綺麗な銀髪で、そばかすもなくて、黙って待ってればそうやって男の人が寄ってきて、何もしなくてもちやほやしてくれるんだから!」
シャリエがリゼットを好きになった理由を、メロディはそんなふうにしか受け止められない。
リゼットは以前、自分には可愛げがないから、メロディのような甘え上手になりたいとどこかで思っていた。どうしても人は、他人を羨んでしまう。そのせいで周りが見えなくなる。
ないものねだりには意味がない。早くそれに気づかなくては時を無駄にしてしまう。
リゼットは、白い花弁を振り払うと、喚いていたメロディに言い放つ。
「何もしなくても? 何もしていないのはあなたでしょう? 私は幸せに相応しい自分になるように動いたわ。あなたは? 私を陥れる以外に何かした? 全部人のせいにしているだけで幸せになんてなれないわよ」
ジスランが倒れて、リゼットは幸せは何もせずに手に入るものではないと知った。足掻いて、すがりついて、苦しんでやっと引き寄せられる。
メロディは、リゼットがいなくなればシャリエが自分を見てくれると思っていたのか。何もしなくて寄ってきた人がいたとして、そんなものはすぐに飽きたら去るだけだ。
互いの心を知り、信じ合えなければ幸せは長く続かない。
「あんたに何がわかるのよ!」
メロディの金切声が響く。
しかし、少しもリゼットの心が動くことはなかった。
「わからないわよ。わかりたくもない」
それがリゼットの本心だ。
ずっと、メロディへの復讐を夢見ていたけれど、今、目の前にいるのは惨めな娘だ。
この現状を、自らの行いが招いたことだと受け入れられない。それではいつまでも変わらないのに。
恨む気持ちが霧のように晴れていくのを感じていた。
この時、いつの間にかジスランがリゼットのすぐ後ろにまで来ていた。
「リゼット、花は買えたのか?」
メロディはハッと顔を上げて固まった。
リゼットは、ジスランほど整った容姿をした男性を見たことはなかった。メロディもきっとそうだろう。
この時、リゼットは意地の悪い気分でジスランの腕に自分の腕を絡め、微笑んだ。
「いいえ、ここのお花はお供えには向かないみたいで」
「……そうか。リゼットがそういうなら、他所も見てみよう」
ジスランはきっと、二人の会話を聞いていた。それがすぐにわかった。
急にリゼットの額にキスをする。普段、さすがに人前でこういうことはしないのに。
メロディの唇がわなわなと震えている。けれど、もう、メロディにリゼットを陥れることなどできない。リゼットは、悪意を跳ね返すほどに強くなった。
「じゃあね、さようなら。私、幸せになるから。あなたのことはもう思い出さない」
信じていたのにどうして裏切ったのかなんて、恨み言はもう言わない。
言いたいとも思わない。
メロディにとって、嫌いなリゼットが輝くばかりの幸せを手に入れたことはかなりの屈辱だろう。事あるごとに幸せそうなリゼットの笑顔を思い出し、身もだえするのではないだろうか。
怒られそうだけれど、いい気味だとも思う。
これに懲りてメロディは心を入れ替えたらいい。
もう、メロディはリゼットの人生では重要な役どころにいないのだ。退場した端役のことは忘れてしまえばいい。
綺麗に、欠片も残さずに忘れること。
なんのしこりもない心で、幸せを噛み締める。
これでリゼットの復讐は終えたのだ。
満たされた心でリゼットはジスランに寄り添いながらメロディに背中を向けた。
ペロリと舌を出したリゼットに、ジスランは苦笑しながら二人で歩む。
それは晴れた、気持ちのいい日だった。
✤THE END✤
※こちらのイラストは夕立様に描いて頂けました。無断転載等はお控えください。
【夕立様】https://mypage.syosetu.com/571414/
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!
素敵なイラストで最後を飾ってくださった夕立様、改めましてありがとうございます<(_ _)>




