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✤5

 リゼットが馬車で運ばれ、そのまま連れていかれたのは地下室だった。粗末な部屋ではない。上質な絨毯が敷いてあったし、調度品も腕のよい職人によるものだと思える。

 ただし、その部屋には窓がなかった。


「ここが君の部屋だよ。まあ、結婚したら部屋を移ることになるから、しばらくの間だけだけどね」


 アダンはゾッとするようなことを言う。彼の言葉は何ひとつ、リゼットを喜ばせることがない。


「あ、あの、私はこの部屋から出てはいけないのでしょうか?」


 思いきって聞いてみた。この部屋に閉じ込められたら、本当に逃げ場がない。

 ニコリと微笑み、アダンはうなずいた。


「うちは広いからね。慣れない君が迷子になるといけない」


 見られたくない部屋でもあるのだろうか。それでも、メイド勤めしかしたことのないリゼットに弱みを握って強請るような芸当ができるはずもない。

 ただ震えているうちに扉は閉められた。ガチャ、と錠がかけられた音が無情に響いた。


 リゼットは、持ち物と呼べるものは何もないまま連れ去られた。メイド服のままである。亡くなった家族との思い出の品さえ持ち出せなかった。

 持ち物といえば、ポケットに入っている、ナディアからもらったリボンだけ。新緑を思わせる若々しい色だった。そこに白糸で刺繍が施されていて、メイドの薄給からすると高い買い物であっただろう。


 これを買った時のナディアはどんな気持ちだったのか。気の弱い子だから、罪悪感から高級な品を選んだのではないだろうか。

 貴族の花嫁になることを知っていたのなら、いくら自分が奮発したところで身につけられることもないガラクタになる。それでも身銭を削ったのは、心苦しかったからか。


 けれど、リゼットをアダンに売り渡したことに変わりはない。こんなちっぽけな贖罪で、罪はなかったことにならないのだ。

 リゼットはそのリボンで髪をまとめた。この日の惨めな気持ちを忘れない。



 その日から一週間、リゼットはアダンが誂えたドレスを着て、与えられた食事を取った。風呂に入る時も着替える時も手伝ってくれるメイドを二人つけられた。リゼットよりも五歳以上は年上の女性たちだけれど、いつも怯えて見えた。


 何を訊ねても答えてくれない。答えてはいけないと言いつけられているらしかった。

 だから、リゼットに話しかけるのはアダンだけであったのだ。一日に三度ほど訪れ、好き勝手なことを言って去っていく。リゼットは笑わないけれど、アダンはお構いなしに嬉々としている。


「リゼット、僕たちの結婚式は明後日だよ。ドレスは明日には届くからね」


 思った以上に早い。そのことに愕然としてしまった。


「内輪でささやかな式にするから、遠方から呼ぶ人もいないことだしね」


 クク、とアダンは笑いを噛み殺している。

 誰も呼ばないのなら、招待状なども送る手間はなく、返事も待たない。標準体型のリゼットなら、ドレスも特注である必要はなかった。

 アダンは初婚ではない。それから、メイドの娘を見初めて結婚するなど、褒められたことではないのだ。身分のある紳士淑女を招待したところで笑われるだけである。


「君の花嫁姿、楽しみだなぁ」


 椅子に座ったまま人形のように動かないリゼットの背後に回り、両手を後ろからリゼットの肩に載せ、そのまま髪をサラリと掻き上げる。全身に鳥肌が立った。膝が震える。

 けれど、それらを顔には出さないように努めた。癇癪を起されてはまずいのだ。それだけは学んだ。


 しかし、口先だけのことだからと、私も楽しみです、とだけは絶対に言いたくない。そんなことは口が裂けても言えない。

 まだこの時でさえ、どうやったら逃げ出せるのかを考えていた。


 アダンは馬鹿だと思っていたけれど、実はそうでもなかったのかもしれない。リゼットの考えをすぐに読んだ。


「あのさ、君がもし逃げたら僕はどうすると思う?」


 首に指が巻きついた。グッと軽く力が込められる。こんなのは本気ではない。脅されているだけだと思うけれど、アダンの思惑通りにリゼットは怯えてしまうのだった。


「わ、私は……」

「うん、逃げたりしないよね。もし君が逃げたら、僕はメイドたちに当たり散らすよ。少ぅし傷が残るかもしれないね。殺しはしないけど、前にもそんなことがあって、その女の頭が変になったから解雇したけど」


 リゼットが逃げたら、メイドたちの誰かは廃人にされてしまうのか。

 逃げて、罪悪感を抱えながら生きるのと、この屋敷で死ぬのとどっちがマシなのだろう。

 どっちも嫌だ。もう、嫌だ。


「わ、私はここにいます」


 そう言うしかなかった。アダンが背後で満足げにうなずいた気配があった。首を包み込んでいた手が離れる。


「リゼットは賢い娘だから、僕の言うことをちゃんと理解してくれる。助かるよ。――ああ、そう、ひとつだけ言っておかないと」


 瞬きをすると涙が溢れそうになるので、リゼットは必死で目を見開いていた。そんなリゼットに、アダンは薄暗い微笑みを見せた。


「結婚しても子供は要らないよ。僕、子供が嫌いなんだ。もし孕んだりしたら、怖いよ?」


 人の皮を被っているだけで、この男の正体は悪魔ではないだろうか。

 リゼットは、悪魔の贄なのだ。

 この悪魔を誰かが討ってくれるのなら、リゼットはどんなに感謝しても足りない。

 

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