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逆襲の花嫁  作者: 五十鈴 りく


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✤44

 リゼットは途中で行き合った人に道を訊ねながら急いだ。

 南の森へ行きたいと言うと、大抵の人は難しい顔をする。


「あそこに用があるのかい? うん、ここをまっすぐ行けば着くけど――でも、あそこは草木が生えて獣がいるだけだよ。その上、時々魔女に出くわすって噂さ。女の子が一人で行くのは危ないんじゃないのかい?」


 この時も年配の夫婦にそんなことを言われた。

 しかし、リゼットは人々の忠告に怖気づくこともなく安堵していた。南の森に魔女がいると皆が口をそろえて言う。そこに行けばやはり魔女に会えるのだと希望を見出せたのだ。


「大丈夫です、この子がいますから」


 リゼットはフィンの頭を撫でてみせる。

 夫婦は顔を見合わせて苦笑した。きっと、森を見たら恐れてすぐに帰るだろうと思うのだ。リゼットは二人に礼を言い、先を急ぐ。

 なだらかな丘を下っていくと、低く窪んだ土地が広がっていた。その深い緑色が目に入る。


 この丘を下りきれば森がある。リゼットははやる気持ちを持て余しながら丘を下った。この時、すでに太陽は真上にあった。日が沈むまでに帰りたいけれど、間に合うだろうか。



 森に用のある人というのはあまりいないらしく、出入りがあるようには見えなかった。歩いた跡もなく、道らしきものがない。リゼットはそれでも茂みをかき分けて押し入った。スカートの裾がピッと音を立てて裂けたのがわかった。


 茂みを抜け出すと、手も擦り傷だらけになっていた。リゼットが苦戦した草木の狭い隙間を抜けるのに、フィンもひどいことになった。真っ白でふわふわだった毛に小枝や葉っぱが絡みつき、全体的に薄汚れた。


「ああ、ごめんね」


 取ってあげたいけれど、今は時間が惜しい。払えるところだけササッと手で払う。フィン自身はあまり気にした様子でもない。元気に、ワン、と鳴いた。


 森の中は最初、明るく陽が差しているように見えた。けれど、いつの間にか薄暗くなった。雲が太陽を隠してしまったのだ。しばらくすればまた晴れるだろうと、リゼットは歩き出す。

 中に入ってしまうと、草が少なく、歩けるところもあった。これが魔女の使う道だろうかと思いながら辺りを注意深く見た。


 魔女はここに薬草を探しに来ているのだとして、リゼットにはどれも雑草にしか見えなかった。

 立ち止まって魔女を待っているべきなのか、捜し回るべきなのか迷ったけれど、立ち止まっている方が不安だった。リゼットはさらに奥へと進んでいく。フィンもそんなリゼットについてきた。


 ギャァッと身の毛がよだつような声を上げて黒い鳥が飛び立つ。烏よりもずっと大きかった。リゼットは思わず、ヒッと悲鳴を上げて頭を抱えた。


 急に歯の根が合わないほどの恐怖を感じる。あの鳥が肉食ではないと思いたい。

 早足で進みながらも、ふと後ろを振り返ると、茂みの中に光源がいくつも点在して見えた。

 あれは――。


 夜空の星のように光るあれは、獣の目ではないのか。

 ここは森なのだ。どんな危険があっても不思議ではない。

 そこに進んで飛び込んだのはリゼットの方だ。


「あぁ……」


 リゼットの口から乾いた声が零れる。急がないとと気持ちだけ焦り、足がもつれて転んだ。とっさに手を突いたら、手の平をひどく擦り剥いた。


「いた……」


 血と土とが手の平で混ざり合う。それでも、痛いと言って泣いている暇はない。リゼットは歯を食いしばって立ち上がった。

 フィンはワン、とひと際大きく鳴き、何もかもをリゼットから遠ざけようとしてくれているように感じた。


 こんな危ないところへ来て、馬鹿なことをしてるのかもしれない。それでも、何もしないで待っているだけではジスランを救えないと思ったのは間違いではないはずだ。

 今、こうしている間も、ジスランは自らの意識の中で呪いと戦っているのだろう。リゼットだけが耐えていると思ってはいけない。


 雲はなかなか晴れず、気づけば先にはうっすらと霧のような靄がかかっている。このまま行くと道に迷うのではないかという不安が頭をよぎった。

 先に進むと霧はどんどん深くなっているようで、白いフィンは霧に紛れてしまいそうだった。


「フィン?」


 時折呼びかけてみる。ワン、と返事が返って、リゼットはほっと息をつく。

 しかし、何度目かの時に返事がなかった。


「フィン?」


 シィン、と鳥の鳴き声さえしない。心拍が狂ったように早くなる。

 フィンの声は聞こえたが、それは低く唸るものであった。


「どうしたの、フィン?」


 リゼットが問いかけても、フィンは唸っていた。何かに怯えているのか。

 近くにまた獣がいるのかもしれない。リゼットは、手荷物の中からペーパーナイフを取り出し、握り締める。そんなものが役に立つとは思えないけれど、気休めだ。


 しかし、リゼットの目の前に現れたのは獣ではなく、ほっそりとした女性だった。顔は見えないが、黒いローブをまとっている。その黒さが、霧の中ではっきりと浮かんで見えたのだ。


「ま、魔女?」


 思わずつぶやいた。

 魔女に会いに来たくせに、いざ遭遇して身構えているのもおかしなものだ。けれど、フィンの警戒が尋常ではない。

 魔女は長い袖を振るった。そうしたら、霧が少し薄れた。まるで、この霧は魔女が操っているかのようだ。


「あなたは誰? こんなところで何をしているの?」


 無機質な声でリゼットに問いかけた魔女。

 フードの下から覗く瞳は、水晶のように透き通っていた。フィンはグルグルと唸るのをやめ、尻尾を丸めた。所在なげにリゼットの周りをうろつくフィンの頭を撫でてやると、リゼットは魔女に向かってなんとか声を絞り出した。


「あ、あなたは魔女と呼ばれる方ですか? もしそうなら、私はあなたに会いたくてここに来ました」


 すると、魔女は流れるように歩を進めた。リゼットはフィンを撫でて落ち着けてやる。けれど、リゼット自身もまた魔女に緊張を覚られないように必死だった。


「私? 私に会いに来たの? どうして?」


 そのわけをリゼットが語るのを待たず、魔女はリゼットの頬に手を伸ばし、リゼットの目を覗き込んだ。

 魔女は、美しかった。ただ、ロジーナが生命に満ち溢れた美なら、魔女の美はもっと退廃的なものであったかもしれない。

 リゼットの目を覗き込んでいた魔女は、そう、と静かにつぶやいた。


「アリアンヌの呪いが回り始めたのね」


 まだ何も語っていないというのに、魔女はリゼットの目を通して状況を見たというのか。それは人智を超えた力で、人々が恐れるのも無理はない。


 しかし、逆にいうのなら、この魔女はすべてを知っている。それなら、ジスランの救い方も知っているのではないのか。


「アリアンヌ様のことをご存じなのですか?」


 リゼットも知らないその人を、魔女は知っているのだろうか。

 魔女は軽くうなずいたように見えた。


「彼女も今のあなたのようにここへ来て、私に頼み事をしたのよ」

「……じゃあ、あのジスラン様の呪いは、あなたが?」


 アリアンヌはただの女性だ。呪い方を教えたのは魔女だろう。


「ええ、手伝ったわ。面白そうだったから」


 少しも面白くない。アリアンヌは死に、ジスランも死にかけているのだ。これの何が面白いのだ。

 相手が魔女でなければ、リゼットは苛立っただろう。

 母から聞いた言葉を思い出す。魔女の善悪は自分たちと同じところにはないのだと。


「その呪いを解いて頂きたいのです。どうか、お願い致します」


 この呪いは魔女にしか解けない。リゼットはギリギリと痛む胸を抱えながら頭を下げた。

 すると、魔女は感情の籠らない声で言った。


「あの呪いはあなたのせいなのよ?」

「えっ」

「アリアンヌの願いは、もし彼が誰かを本気で愛しく思った時、死に至らしめる呪い。ね、面白いでしょう?」


 それなら、ジスランが誰のことも好きにならなければ呪いは発動しなかったということなのか。

 だから、これはリゼットのせいだと。


 ジスランがリゼットを愛しいと感じてくれているのは、たくさん言動で伝えてもらった。こんなことになって苦しいのに、ジスランの心にまったく偽りがないことを改めて知って嬉しい気持ちもある。そんな不謹慎なことを思うから、罰が当たるのかもしれない。

 リゼットは自分の胸をグッと押えて感情の波に耐えた。


「アリアンヌには惚れ薬もあげたのよ? でも、彼女は使わなかったわ。プライドが許さなかったんでしょうね。自分から好きだとも言えず、こんなやり方で幕を閉じたんだから、本当に面白い娘だったわね」

「そんなやり方で好きな人の心を手に入れても虚しいだけだからでしょう……」


 リゼットも、薬の力でジスランの心を手に入れても嬉しくない。そばにいても余計に苦しくなりそうだ。


「そうね。でも、そのくせ、他の女に盗られるのは嫌なのよね。その時が来たら殺したいなんて」


 魔女はクスリと笑った。

 アリアンヌは、ジスランが自分以外の誰かに愛情を傾けることがなければ生き、そうでなくなったら死ぬように呪った。


 ――執念というのか。

 それほどの強い想いがあるのなら、ジスランが振り向いてくれるように気持ちを伝えていればよかったのではないのか。それができない不器用さがこじれてこんなことになった。

 どんなに強い気持ちがそこにあろうとも、ジスランをアリアンヌに渡すわけにはいかない。


「あの呪いはどうすれば解けますか? 教えてください、お願いします!」


 懇願するリゼットの目を魔女は再び見て、それから言った。


「あなたにも人を呪いたい気持ちはわかるのでしょう?」

「そ、それは……」

「まあいいわ。ついてきて。ああ、犬はここまでにして。うちには舐めると危ないものもあるから」

「でも……」


 フィンだけ残して行って大丈夫なのだろうか。獣に襲われないかが心配になる。

 魔女は淡々と、リゼットの心配を言い当てる。


「森の獣はここまで来ないわ。この辺りから動かなければ平気よ」


 ここは森の中でも魔女の力が及ぶ範囲なのだろうか。

 リゼットはフィンを抱き締め、よく言い聞かせた。


「ここで待っていて。お願いね」


 フィンはキュゥン、と切ない声を上げた。しかし、フィンはリゼットの言うことをちゃんとわかってくれている。フィンはその場に座り込んだ。


 なるべく早く戻りたい。

 リゼットは気持ちを落ち着けつつ魔女の後ろを歩いた。


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