✤41
「魔女が助けてくれるとは限りませんわ……」
ロジーナが、目にいっぱい涙を溜めて言う。
それはそうだろう。
「ええ、どこへ行けば会えるのかもわからないし。でも、それしか方法がないのなら捜さないと……」
リゼットがそれを口にすると、誰しも驚いて固まってしまった。ここへ来て、リゼットはやはり自分の育ちが違うということを痛感するのだった。
裕福層の人々にとって、禍々しいイメージで凝り固まった魔女に自ら近寄るなどとは考えられないことなのかもしれない。
しかし、そんなことを言っているゆとりはないはずだ。
ここでバディストが苦々しい口調でつぶやく。
「南の森に薬草を採りに来る魔女がいたんじゃ……」
「えっ?」
リゼットが振り向くと、デジレは厳しい顔をして息子を叱った。
「余計なことを言うんじゃない。魔女かどうか定かでもない、ただの噂だ」
南の森に薬草を採りに来る女性がいて、その女性が魔女と噂されているということか。
事実、薬草を採っているから魔女だと決めつけるのは早計だ。けれど、会って話をしてみたい。
「なんでも手掛かりになるなら逃したくない。私、ジスラン様のためにできることをしないと……」
静かに眠るジスランに目を向けると、不安に心が揺さぶられる。大丈夫だと信じたいのに、悪い方へと考えが転がりそうになる。
そんな中、デジレがそっと言い聞かせるようにささやく。
「あなたはジスラン様についていらしてください。解決策を探すのは我らの役目です」
「ついていたいのはもちろんですけど……」
リゼットは祈るようにして手を組んだ。
目が覚めた時にはここにいてあげたい。それでも、ただ待っているだけでは何も変らないかもしれない。
嫌なことがたくさんあって、それでやっと辿り着いた幸せが壊れかけている。
現実は無情だと、それを知っているくせに、どうして手に入れた幸せを失う心配をしなかったのだろう。
苦しんだ分だけ、あとは自然と幸せにしてもらえるなんて、どこかでジスランに甘えきっていた。だから、これはそんなリゼットへの試練なのだろうか。
この幸せにしがみついて、守り抜くつもりはあるのかと。
どんなことをしてでも、諦めずにすがりつけるのかと。
――絶対に、諦めない。
リゼットはそれを固く心に決めた。待つだけで、その先に起こり得る結果を受け入れる気はない。幸せは迎えに行く。
魔女に会おう。
会って、敬意を持って話そう。助けを乞おう。
この時、リゼットは寝る前に、寝物語のようにして母が時折話してくれた魔女のことを思い出していた。幼い、まだ字も書けないような頃だ。
『私がお母さんのおなかにいる時の話よ。リゼットのおばあさんね』
『お母さん、生まれていないの?』
『そう。お母さんが生まれる時のこと。リゼットのおばあさんがね、道で急におなかが痛くなってしまったの。でも、まだ生まれるには少し早くって、大丈夫だと思って出かけたんですって。それが動けなくなってしまって、苦しくて木の根元で唸っていたそうなの。このままだと赤ちゃんが助からないかもしれないって、すごく怖かったそうよ』
『赤ちゃんも痛かったの?』
『うーん、その赤ちゃんはお母さんだけど、それは覚えていないわね。それで、おばあさんが苦しんでいるところに魔女が来たんだって』
『魔女? どんな魔女?』
『黒ずくめの女の人だったらしいわ。魔女は悪いことをするって、皆自分からは近づかないけど、この時、魔女はおばあさんを助けてくれたのよ。痛みに苦しんでいるおばあさんに薬草で作った薬を飲ませてくれたって。そのおかげでおばあさんと赤ちゃんは助かったそうなの』
『魔女はなんで助けてくれたの? 悪いことをするんじゃないの?』
『おばあさんが言うには、魔女はお礼をしたいって言っても要らないって、何も受け取らなかったそうなの。あなたの銀髪がとても綺麗だから助けただけだって。お母さんは父親譲りの茶色だけど、リゼットの髪もおばあさんに似た銀色で嬉しかったわ。困った時には助けてもらえるかも』
『変なの』
『そうねぇ。まあ、銀髪だから助けてくれたっていうのは本気かわからないけど。おばあさんが言うには、魔女にはあたしたちの善悪では推し量れないものがあるって。薬が毒になったり、刃物に助けられたり傷つけられたりするみたいに、善悪を決めるのは対する人の方なんじゃないかって』
『よくわからないよ……』
『ごめんね。なんでこんな話をしたかっていうと、リゼットにはちゃんとわかっていてほしかったからよ。むやみに恐れるのではなくて、魔女には敬意を持って接しなさい。そうしたら、おばあさんみたいに困っている時には助けてくれるかもしれないわ』
――けれど、母以外の誰もが魔女は悪者だと言った。
だからリゼットも母の言わんとすることをあまり理解できなかったし、しようとも思わなかった。それが変わったのは、母が亡くなったせいだ。
母がいなくなって、母がどれだけリゼットを護っていてくれたのかを実感した。だから、母が繰り返しリゼットに語ったのなら、それは大事なことだと。
必要以上に恐れず、敬意を持っていれば助けてくれるかもしれない。
いつかもし、魔女を頼らなくてはならないようなことが起こった時にはそのようにしようと、心の片隅に留めておいた言葉だ。
普通に生活していれば、そう接点はない。だから、ずっと忘れていた。
けれど今がその時なのか。
それならば、呪いを受けたジスランのそばにリゼットがいたことが幸運になり得るのか。
できることを、しよう。
✤
「――いい加減にしたらどうだ」
騎士団長のミュレが厳めしい顔をしかめて見せる。しかし、格子の向こう側にいる青年は動じる様子もなく石の壁にもたれかかって顔も向けない。
「何が?」
耳障りな声だ。世の中のすべてを馬鹿にして、見下しているのが伝わる。
しかし、この青年は囚人だ。他人を見下せる立場にない。むしろ、見下される存在である。
元が貴族であったためか、矜持だけが独り歩きしているのだ。
「こちらの問いかけにまともに答えることもなく、人を食ったような態度ばかり取るようでは、その首が断頭台に乗る日が近づくだけだぞ」
アダン・ロッセル。
父親にも毒を盛った冷酷な男だ。数々の悪事が露見してもなお、この態度である。最初に会った時はミュレが牢の中に侵入して逆さ吊りにしたせいもあり、人並みに怯えた様子は見せたものの、それ以降は慣れたのか、牢の中なら安心と思うのか、憎まれ口ばかりだ。
この男の取り調べをさせた数人が精神を病んだ。蛇のように陰湿で、残忍な性質をしている。
思った以上に厄介だ。正直なところ、手を焼いている。
この時、アダンは壁を見つめたままでつぶやいた。
「最近、あいつが来ないな?」
誰のことを指すのか知らないが、それはお前が治療院送りにしたからだろうとミュレは嘆息した。
しかし、アダンはクッと笑っている。
「ジスラン・クララック。僕と顔を合わせるのがそんなに嫌なのかな?」
誰だって嫌だと言いたい。
ミュレは呆れた心境で返す。
「彼は妹の婚儀に合わせて長期休暇中だ」
すると、アダンはへぇ、と感情の籠らない声を上げた。
「ああ、あのキツイ性格の妹か。よく貰い手があったな」
あれだけの美貌を持ち、朗らかで分け隔てのない令嬢だ。むしろ、バディストがかっ攫ったと嘆く者が騎士団にも多くいる。アダンはきっと相手にされずに恨んでいるだけだろう。
そこでふと、アダンのいけ好かない態度を崩してやれる一手をミュレは見つけたような気がした。
「そういえば――」
気になるところで言葉を切り、ミュレはにやりと笑ってやった。薄暗い地下の牢獄で、互いの顔がよく見えるというわけではないが、アダンが身じろぎしたのがわかった。
ミュレは勿体ぶって言う。
「その休暇中の彼から手紙が来てな、どうやら妹に引き続き自分も婚礼を上げたいらしい。まあ、すぐにというわけにはいかんが、彼はそのつもりでいるようだ。相手がまた、面白い。お前とジスランとはほとほと腐れ縁とでも言うのかな」
それだけ聞くと、アダンは何かを察したようだ。この男はどうしようもない下衆だが、鈍くはない。
精一杯の悔し紛れなのか、アダンはクッと笑った。
「その相手は、僕のおさがりってことかい? 平和ボケで随分と焼きが回ったようだ」
牢獄で囚人服を着て強がったところで負け惜しみにしか聞こえない。
――そのはずなのだが、この男が言うこと言うこと、いちいち不吉に感じてしまう。
立場を逆転させるために切り出したはずが、思うようにはいかなかった。アダンは、へぇ、と楽しげにつぶやく。
「リゼットはさぞ浮かれているんだろうなぁ」
ゾッとするような暗い響きに、歴戦の戦士であるミュレでも肌を虫が這い回るような不快感を覚えずにはいられなかった。
しかし、アダンは急に機嫌を直したように、口調まで改めて言う。
「ああ、いいことを聞かせてもらったお礼に、明日はなんだって答えて差し上げますよ。明日、出直して頂けますか?」
「……本当に話すのだろうな?」
信用できない相手であることは十分にわかっている。
その、つもりだった。
「ええ、どうぞ期待してお待ちください」
これほど人の神経を逆なでする微笑があるかというほどには、アダンは不穏に微笑んでいた。




