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「兄様~、兄様~」
ロジーナの声がする。ジスランは渋々、庭の木の根元から腰を上げた。
大きく伸びをすると、初夏の日差しが枝葉の隙間から落ちてきて心地よかった。爽やかな風が吹き抜ける中、ジスランは庭から妹がいるテラスまで歩んだ。
「ロジーナ、ここだ」
軽く手を上げると、ロジーナは嘆息した。五つ年下のロジーナは、母親譲りの美しい金髪をしている。ジスランの髪は父親譲りの淡い赤茶色だ。
今日はドレスに合わせて金髪を優雅に巻いているけれど、ロジーナはなかなかのじゃじゃ馬である。勇ましく剣も振るうし、馬にも乗る。そんな時は髪をキリリと結い上げているのだった。
どう考えてもお転婆が過ぎるのだが、ジスランはそんな妹によく助けられているので何も言えない。
「もう、随分探しましたのよ!」
探されていたらしい。木陰で昼寝していたことは黙っておこう。
ジスランは苦笑しながらテラスの椅子に座った。ロジーナもその正面に座り込む。
「それで、何か話があるのか?」
「ええ、もちろんです」
「……嫌な予感しかしない」
「先にそういうことを仰るものではございませんわ」
そう言ってむくれたけれど、ロジーナが言い出す内容がなんとなくわかったのだ。
「次の討伐に連れていけと言うのではないだろうな?」
「あら、その通りですわ」
あっけらかんとロジーナは言った。ジスランは溜息をつくことしかできなかった。
「駄目だ」
「どうしてですの? だって、バディストも行くのですから、私が同行してもよろしいでしょう?」
バディストはジスランの親友である。そして、ロジーナの婚約者となった勇気ある若者だ。
ジスランは男爵の称号を持ち、クララック家の当主である。また、騎士でもある。まだ二十五歳ではあるが、当主であった父と兄を相次いで亡くし、否応なしに家を継ぐはめになった。
本来ならば兄が家を継ぎ、領地を管理するのだから、次男であるジスランは家の名誉になる職に就けばいいと思っていた。それが騎士の職務に加え、領地の管理までをせねばならなくなり、とても手が回らないと、今は領地の管理を人に頼んでいる。
実際のところ、ジスランは騎士ではあるものの、戦は好きではない。こっそりと庭の草木をいじるのが趣味という老成した男であった。
現状を考えると退役するのもありかと思わなくもないが、まだまだ体力のある若いうちに辞するのは恩のある騎士団に対しても忠節を捧げた王にも申し訳ない。
そんなわけでズルズルと現状維持をしている。ロジーナは、そんな兄に代わり領地の視察にもまめに出かけ、兄を補佐してくれている。できた妹ではあった。
「バディストもお前に来てほしいとは言わないだろう。何かあってはいけない」
もっともらしいことを言ってみたけれど、バディストなら来てほしいとは言わずとも、来るなとも言わない気がする。大らかで大雑把、ガサツな性質なのだ。
けれど、部下からは好かれる。バディストが隊長になってジスランが補佐をした方が絶対に上手くいく。それなのに、立場は逆なのだ。身分上、仕方ないとバディストは言う。バディストは、貴族でこそないが、地主の息子だ。庶民とも少し違う。
ジスランが頼ったのもバディストの父であり、領地の管理はバディストの父に頼っている。
そんな状態なのだから、ロジーナがバディストに嫁ぎたいと言い出したら誰にも止められない。
同行は駄目だと言われて、ロジーナはむくれてみせるけれど、本気で怒ったりはしていない。顔を見ればそれくらいはわかる。
「バディストなら、あなたと片時も離れたくありませんのと言えば大丈夫ですわ」
「丸め込んでどうする……」
結婚したらどうなるか、すでに先が読める二人であった。
すると、ロジーナはうふふ、と笑った。それはお転婆な妹にしては女らしい仕草であったかもしれない。
「丸め込むだなんて心外ですわ。片時も離れたくないのは本心ですもの。留守番が退屈というのも本心ですけど」
惚気られた。二人をよく知るジスランはひどく居心地の悪い思いをしつつも、妹が幸せそうなのは素直に嬉しいとも思う。
「最初は犬猿の仲だったのにな」
「最初というのは、私が十歳くらいの頃でしょう? 私、子供でしたから。兄様を取られたような気がして面白くなかったのです」
その妹が、今では嫁ごうとしている。早いものだとしみじみ感じたが、そういうところがジジ臭いとかバディストには言われそうだ。
遠い目をしてしまっていたかもしれない。そんなジスランにロジーナは体を前のめりにして言った。
「兄様も早くいい人を見つけて私を安心させてくださいませ。独り身の兄様を残して嫁ぐことが私の気がかりですのよ?」
「いや、俺は……」
「兄様はお美しいですし、地位も名誉もおありです。憧れる女は多くございます。ただ、それ故に中身が空っぽのおバカ娘がホイホイと引き寄せられてしまいますもの。だから心配なのですわ」
貴族令嬢のくせに口の悪い妹だ。いや、だからこそだろうか。社交界で嫌味の応酬をしても負けない逞しさがある。
うぅん、と指先を顎に当てながら考え出した。
「どういう娘がいいかしら? 芯があって、優しくて、偉ぶらなくて――なんて、言い出したらキリがありませんけど、兄様が決めた相手ならば私も仲良くしたいと思いますわ」
「今のところ、そういう予定はないのだが」
「お急ぎくださいませ」
「……」
ジスランはいくつかの言葉を呑み込むと、逸れた話を元に戻した。
「それで、お前が今度の討伐に同行するという話だが、屋敷へ直に乗り込むのでないのなら許そう。作戦時は宿で待機だ」
ロジーナは隊員たちに絶大な人気を誇る。いるだけで士気が上がるのも事実だ。ロジーナを掻っ攫ったのがバディストでなければ闇討ちされていたかもしれない。
こう見えて、従軍する料理人や医療師たちにも優しく、いると規律が乱れにくくなる。
「あら、残念ですわ。あのロッセル家ですのよ。私、息子のアダンのことが大嫌いでしたの。捕縛される瞬間を見てみたかったものですわ」
本当に跳ねっ返りだ。ジスランは我が妹ながらハラハラする。
しかし、ロジーナがアダンを嫌いだというのはわからないでもない。数えるくらいしか顔を合わせた覚えもないが、卑屈な目をした男だった。
忙しなく、定まらない視線がジスランをまっすぐに捉えることはなかった。そのくせ、何かと絡んでくることもあったかもしれない。
それから、ロジーナのことは執拗なまでに見ていた。ロジーナは睨み返す気の強さがあるけれど、その視線に怯える女性は多いだろう。
真っ向から勝てない相手は策を巡らせて陥れ、女子供といった弱い相手には強く出る。そうした性質の男に思えた。
卑怯な男だから、今回の密告があってもジスランはさして驚かなかった。
ロッセル家は抜け荷や不正な年貢の取り立てを行い、私腹を肥やしているという。それだけでなく、領地では行き場のない子供を集めて売るという人身売買も行わせているとか、何せ以前から黒い噂はあったのだ。
それがようやく証言も集まり、摘発となる。今は上手くいくことだけを祈りたい。