✤37
リゼットが行儀作法を習い始めてから五日ほど経った。
難しいことばかりだったけれど、講師からは姿勢がよいと褒められた。メイドだったので立って控えていることが多く、綺麗な立ち姿を維持するようには心がけていたから、それが役に立っている。
そんな間も、ロジーナの結婚式の準備は着々と進んでいた。ロジーナは嬉しい半面落ち着かない様子でもある。たまに顔を見せるバディストはただ浮かれているように見えた。
ジスランはというと――。
「リゼット、ほら」
庭に咲いた薔薇をリゼットに見せつつ、キラキラと輝く笑顔を向けていた。
「いい香りだろう?」
夢見心地になるのは、薔薇のむせかえるような芳香のせいばかりではない。二人きりになるとジスランはすぐにリゼットを抱き寄せる。話す時はいつも近くて、隙を見つけては短く口づける。
最初は戸惑ったものの、今では微笑み返すくらいのゆとりが出た。リゼットが笑えば、ジスランも満足そうに笑った。
「ロジーナが嫁ぐまではここまでかな」
「えっ?」
慌てたリゼットの反応を楽しんでいるのか、また口を塞がれた。
そんな二人の足元で、フリーゼがキュゥン、と声を上げる。構ってほしそうだが、今は無理だ。
その後になって、ジスランはリゼットの腰を捕らえたまま、急に言いにくそうに切り出す。
「ロジーナたちの挙式までの長期休暇だから、それが終わったら俺はまた王都に戻るが、リゼットも王都に来てくれるか? それとも、このカントリーハウスで行儀見習いをしながら待っているか、どちらがいい?」
「王都にフィンとフリーゼは連れていけないのですよね?」
多分、ジスランはそこを心配していたのだろう。
グッと言葉に詰まる。
「うん、まあ。王都のタウンハウスでは自然も少なくて手狭だから、犬たちにはあまりいい環境ではないし、連れて行ったことはない」
犬たちと天秤にかけられると勝てる気がしないのだろうか。困っているジスランを可愛いと思った。
「私も王都へご一緒してもよろしいですか?」
「……いいのか?」
いいのかと訊ねながらも嬉しそうだ。リゼットはあたたかな気持ちでうなずいた。
「はい。ジスラン様が毎日帰ってこられるところにいたいので」
そう言えば喜んでもらえると思った。計算で言ったばかりではなく、リゼット自身も長くジスランと離れているのは寂しい。
「ありがとう」
ギュッと抱き絞められた。力加減はしてくれているけれど、それでも少し苦しい。
ジスランはリゼットの耳元でささやく。
「次に長期休暇が取れるのは半年ほど先になると思う。式はその時にしよう」
「しき?」
きょとんとしたリゼットに、ジスランは鳥肌が立つような艶やかな声音で言う。
「結婚式。リゼットと、俺の」
え、あ、その、とリゼットは上手く答えられなかった。とっさに気の利いた言葉が出てこない。
ただ、嬉しくて、これ以上ないほどに幸せで胸がいっぱいになった。
涙が零れたのは、信じられないくらいに幸せだからだ。
もう、メロディの顔もアダンの顔も思い出さない。ジスランの居場所が大きすぎて、片隅に追いやられてしまった。
――こんなに幸せでいいのかな、とリゼットはジスランの腕の中で思った。
結婚は好きな人としないと、と以前に誰かに言われたけれど、その言葉にうなずける自分になった。
以前、アダンのために袖を通すはめになったから、ウエディングドレスにはいい思いでもないけれど、ジスランがそれを幸せな記憶に塗り替えてくれる。
救い出してくれた騎士と結ばれる。
そんなことが本当に起こり得るのだから、人生はわからないことだらけだ。




