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逆襲の花嫁  作者: 五十鈴 りく


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31/52

✤31

 リゼットは薬湯を飲んでから、その効果なのか妙に汗を掻いた。汗と一緒に熱が出ていったらしく、体は楽になったけれど、肌がべたついて気持ち悪い。


 朝からメイドに頼み込んで湯浴みをさせてもらうことにした。食欲がなくてほとんど食事をしていなかったから、多少ふらつくのは仕方ないとしても、もう熱はないと自分でもわかった。


 ほっとした半面、ジスランがあんなにも甘やかしてくれることはもうないと思うと、もう少し寝ついていてもよかったような気になってしまう。そんな心のうちを当人に知られたら呆れられるかもしれないけれど。


 汗をすっかり流して浴槽に浸かっていると、考えるのは昨日のことばかりだ。

 ――もう忘れようと決めた。

 きっと、深い意味もない。変な意識は持たない方がいい。


 あの直後からずっとそう自分に言い聞かせている。

 暗示のようにして繰り返した。そうしていないと、ジスランに触れられたところが熱を帯びる。

 リゼットは、浴槽の湯をバシャリと顔にかけて気を引き締めると、湯浴みを終えた。



 病み上がりなので締めつけの少ないワンピースを用意してくれてあった。リゼットはそれを着て食堂へ向かう。

 そこで席に着いたジスランとロジーナがあれこれと話していた。ただ、リゼットが来たことに気づくと、二人とも会話をやめた。


「リゼット、軽いものなら食べられそうかしら?」


 ロジーナは席を立ってわざわざリゼットの手を引いて椅子に座らせてくれる。ジスランはそんな様子をじっと見ていた。その視線に気づいたリゼットは、にこりと笑い返した。


 上手く笑えているかどうかはわからないけれど、何も気にしていない、意識もしていないということを示したかった。それが伝わったのかはわからない。

 ジスランは何度か目を(しばたた)き、軽くうなずいた。その意味はよくわからない。


 それでも、トクン、と胸が鳴った。リゼットは動揺を見せないように笑顔を貼りつけて食事をした。スープや柔らかいパン、果物を少し。

 昨日のチェリーも美味しかったと思う。味わいたくても雑念が多くて、その味はぼんやりとしか覚えていないけれど。



 それから少しして、ロジーナが庭へ連れ出してくれた。庭で上着を羽織ってベンチに座っていただけなのだが、久しぶりで光が目に沁みる。それでも、外のそよ風が心地よかった。

 フィンとフリーゼもリゼットにまとわりつき、いつの間にかジスランもすぐ近くにいた。


「あら、兄様ったらリゼットが気になるみたいね。私が無理をさせると思っているのかしら」


 などと言いながらロジーナがクスクスと笑っている。

 嵐に遭って乱れた庭も、リゼットが寝込んでいるうちに綺麗に整えられていた。散った花びらや葉は取り除かれている。


 それから、残っていた蕾が開いたのか、いくつかの花は咲いていた。

 嵐の後にも花は咲く。儚いように見えても力強い植物の生命力に感嘆した。


 ジスランは薔薇をじっと見ていたけれど、リゼットとロジーナの会話を気にしているのがなんとなくわかった。

 リゼットには余計なことを言うつもりはないのに。


 ロジーナはふとベンチから立ち上がると、リゼットの手を引いた。


「ねえ、リゼット。私、喉が渇いたからお茶を頼んでくるわ。しばらく薔薇を見て待っていて?」

「え、ええ」


 リゼットはうなずいたが、ロジーナはわざわざジスランのそばにリゼットを残していった。フリーゼを抱いて、フィンも連れていってしまう。それが意図するところがわかるような、わからないような――。

 ジスランは、そうっとリゼットに顔を向けると口を開いた。


「立っていて大丈夫なのか? よくなったと言っても病み上がりだから、あまり無理はしない方がいい」

「はい。お気遣いありがとうございます」


 そこで会話が途切れた。

 気まずい沈黙が続く。けれど、ここで黙っていると変に思われる。

 何かを言わなくてはと焦りながらつぶやいた。


「あの、過分なほどお世話をして頂いて、私、なんらかの形でお返しができたらと思うのですが……」


 看病のことばかりでなく、ここに置いてもらっていることもそうだ。

 ジスランやロジーナには世話になりっぱなしで、リゼットはこの二人にどんな恩返しができるのだろうか。働いてから、少額ではあっても金銭で返そうか。けれど、それは失礼に当たらないだろうか。


 二人は気にするなと言ってくれる。本当にそれでいいのか。

 何もしないでいるとリゼットが苦しいだけなのだ。


「返してもらうことは考えていない。それでは駄目か?」


 こんな話ばかりをしたくはないのだろう。ジスランの声は素っ気なく聞こえた。


 リゼットはしょんぼりと薔薇を見る。淡い黄色の薔薇だ。

 数は多くないものの、手前の一輪はとても綺麗に咲いている。花弁がベルベットのように滑らかで、触れてみたくなった。


 手を伸ばすと、ジスランは驚くほど素早くリゼットの左肩をつかみ、薔薇から引き離した。すごい力で、足が浮いた。近くから聞こえたジスランの声が慌てている。


「この辺りの薔薇は棘を残したままだから、触ると怪我をする」

「す、すみません」


 上手く話せないのをごまかそうとして、余計にまずいことをした気分になった。リゼットが自己嫌悪で小さくため息をつく。

 この時、ジスランの手によってリゼットはさらに後ろに引き寄せられた。

 え、と声を漏らしたのは、背中がジスランにぶつかったからだ。


 昨日のように、気のせいかもしれないと思えるものではなかった。引き寄せられ、背後から抱き絞められている。この状況は――。


 固まっているリゼットの耳元で、ジスランはささやいた。


「リゼット、き――」


 そこで、ワン、とフィンの泣き声がした。

 ジスランはギクリと身じろぎしてとっさに体を離した。キャッキャと楽しげに話しているロジーナの声も向こうからした。どうやらメイドと一緒にティーセットを運んできたようだ。

 ジスランは何か言いたげな顔をしたけれど、一度目を伏せた。


「……また日を改めて話したい」


 それだけ言うと、ジスランはティーパーティーに参加するつもりはないのか、さっさと屋敷の方へ帰った。取り残されたリゼットは、足元からくずおれそうだった。体中が心臓になったような動悸を抑えるのに精いっぱいで、耳も目も役立たずだった。


「リゼット?」

「ふぇっ?」


 ロジーナが急に目の前に現れたような気分で、リゼットは慌てふためいていた。その動揺を見るなり何かを察したのか、ロジーナはフフ、と少し笑った。


「お茶にしましょう」

「え、ええ」


 リゼットは、ジスランにつかまれた肩を軽く摩る。ジスランの体が離れ、肌寒さを感じる。

 ジスランの腕の中はあたたかで心地がよかったと、そんなふうに思ってしまう自分にも驚く。不快感を持たなかったのは、ジスランが恩人だからだろうか。見目が美しいからだろうか。

 ドキドキと、未だに鳴りやまない心音を持て余しながらリゼットは薔薇の咲く庭で空を見上げた。


 日を改めて、話を――。

 聞きたいような、聞きたくないような気分だった。

 聞かなければ、もうしばらくは夢を見ていられそうだから。

 

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