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逆襲の花嫁  作者: 五十鈴 りく


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26/52

✤26

 昨晩、ジスランは庭の薔薇が気になって嵐の中外へ出た。あれだけの強風に繊細な薔薇が耐えられるはずもなく、花弁は散ってひどい有様であった。


 濡れそぼって仕方なく屋敷へ戻ると、テラスから入ってすぐのところにリゼットが潜んでいた。不審者が侵入してきたと思われたらしい。


 あれは不運としか言いようがないのだが、薄着でいるリゼットまでずぶ濡れにしてしまった。

貴族にしては呆れた男だと思っただろうか。

 けれど、笑顔も見れた。

 呆れられたばかりでないのならいいけれど。


 醜態をさらしただけでしかないのに、笑うリゼットといて、落ち着かないようなくすぐったいような、不思議な気分になった。

 できることなら――。


「――兄様、何を唸っておいでですの?」


 朝食の前にテーブルについていたジスランは、自分でも気がつかないうちに唸っていたらしい。それをロジーナに指摘された。

 何も知らないロジーナは不思議そうにしている。ロジーナに知られると色々とうるさい。可能な限り隠しておきたかった。


「いや、なんでもない」


 答えた途端に、ロジーナは半眼になった。こうした時、ロジーナは根拠のない嫌な勘が働くのだ。


「なんでもないのですか?」


 それなら何を唸っていたのだか、と笑顔が問い詰めてくるようだ。

 バディストもロジーナを娶ったら、この笑顔には注意した方がいい。浮気などした日にはすぐに見抜かれるだろう。

 しかし、ロジーナはこの時、珍しく不安げな目をした。


「雨で古傷が痛むのでなければいいのです」


 ああ、それかとジスランは苦笑した。


「いや、そんなことはない。傷のことなど忘れていた。跡が残っているだけで痛むことはないから、心配するな」


 それは何度も言って聞かせた。

 それでもロジーナは()()()、ジスラン以上につらい思いをしたのだ。当のジスランは痛い思いをしただけで、ロジーナの方が苦しかった。


 気まずい思いをしていると、リゼットがやってきた。しかし、緊張したのはジスランだけだったのかもしれない。リゼットは普通だった。


「おはようございます」


 ペコリと頭を下げ、どちらかというなら微笑らしきものを浮かべている。特にジスランを避けるふうでもなかった。


「おはよう、リゼット。昨日はすごい風だったわね。よく眠れて?」


 ロジーナがそんなことを言うから、この時はリゼットも少し困惑したように見えた。


「ええ、まあ……」


 それでも、ロジーナはリゼットには追求しない。にこりと微笑んで椅子を勧める。


「さあ、朝食を頂きましょう」


 未明にかけて風は弱まり、今となっては雨も小雨に変わっている。これくらいの雨なら恵みであるが、昨日の雨がすでに過度だから、もう要らない。


 なんとなく、朝食を取りつつもリゼットの様子が気になった。それは、昨晩の別れ際の様子が少しおかしかったからかもしれないし、そればかりではないのかもしれない。


 リゼットはもともと、あまり食べるのが早くはない。こうした席に着いて食べ慣れていないから気を張るのだろう。

 この時もゆっくりだった。小さな口に少しずつ料理を運ぶ。


 最初の頃はマナーを気にしていたけれど、ロジーナを手本にしたのか日に日に様になっていた。もともと呑み込みがよいのだろう。

 ゆっくりなリゼットに、ジスランもロジーナも付き合って朝食を終えた。



 ジスランは休暇中に領地を回って様子を見てこようと思っていたのだが、これだけ雨が降ると土もぬかるんでいるので、数日後に先送りにする。雨が降ると庭にも出られず、ただ退屈な時間が過ぎる。


 そのはずではあったが、今は庭の薔薇よりもリゼットの様子が気になった。リゼットは、どこかうわの空に見えたのだ。

 昨日のことをあれこれ考えているのか、もしかすると違うこと――復讐について考えを巡らせているのだとしたら邪魔したい気もする。


 ロジーナは結婚式の招待客に振る舞う軽食の打ち合わせをしているらしかった。バディストも交えて決めないのかと言いたいところだが、大雑把なバディストが細やかな意見をくれるはずもない。ロジーナが自分だけで仕切った方が上手くいくと最初からそのつもりでいたのだろう。付き合いが長いので、そこはよくわかっている。


 リゼットはロジーナに空きがなければ、ほぼ犬たちといるようだ。だから、フィンかフリーゼがいるところにリゼットもいる。


 探しているというほどではないが、なんとなく屋敷の中を歩いてみる。すると、リゼットは二階の廊下に立ってぼうっと窓の外を見ていた。少し陽が差してきたから虹でも出ているのかと思ったが、そうではなかった。足元にまとわりついていたフリーゼが、キュゥン、と困ったように鳴いている。


 そうして、フリーゼはジスランが近くに来たことに気づくと、短い脚で一生懸命にジスランの方へ駆けてきた。頭をジスランの足に擦りつけて何かを訴える。


「なんだ?」


 その時、窓際に立っていたリゼットがカーテンを握り締めていることに気づいた。カーテンを離さず、そこにしゃがみ込む。

 様子がおかしい。ジスランはフリーゼを蹴飛ばさないようにしてリゼットの方へ急いだ。


「リゼット?」


 声をかけると、リゼットはビクリと肩を跳ね上げてジスランを見上げた。その目が涙で潤んでいる。呼吸も浅く、頬も紅潮していて、夢見るような目で見つめられる。そういう表情をした彼女を前に、心音が乱れたのは、後になってしまえば愚かしい限りだ。


 リゼットは、カーテンから手を離すと床に手を突いて、そのまま動かなくなった。動けないのだ。

 もしやと思い、リゼットの額に手の甲を当ててみると、熱かった。どう考えても昨晩体を冷やしてしまったせいだろう。


「す、すまない。俺のせいだ」


 ジスランが責任を感じたのが伝わったのか、リゼットはゆるくかぶりを振った。


「いえ、そんなにひどくは……。今、部屋に戻ろうとしたところで」


 朝も、もしかすると食欲がなかったのに無理して食べていたのだろうか。そういえば、ぼうっとしていたかもしれない。

 我慢強いリゼットが立てずに座り込んだくらいなのだから、ひどくないというのはやせ我慢だ。


「部屋まで連れていく」


 ジスランは、座り込んでいたリゼットを横抱きに抱え上げた。ジスランにしてみれば二度目のことなのだが、リゼットは具合が悪い時ですら狼狽えた。


「あ、歩け、ます」

「歩かなくていい。運ぶ」

「で、でも……」

「俺のせいだから」


 リゼットは、ジスランが運ばなくても誰か呼んできてくれたらいいと思ったのだろうか。

 アダンと同類にはされたくないけれど、男に触られたくないのかもしれない。ジスランにしてみたら、自分のせいだから人任せにしてはいけないような気分だったが、リゼットが嫌がるのならこんなことをしてはいけないのだろうか。


 しかし、リゼットは抵抗する元気もないようで、ジスランの腕の中でぐったりと、ジスランの肩に頭を傾けた。リゼットの息遣いが聞こえる。


 ――トクン、と鳴ったのは、どちらの心臓だったのだろう。

 廊下ですれ違ったメイドがギョッとしていた。


「だ、旦那様っ?」


 ジスランはそれを目で黙らせる。


「熱があるようだ。部屋で休ませる」

「まぁ……」


 メイドは急いでリゼットの部屋の扉を開けた。自分の屋敷とはいえ、女性に貸している部屋に入るのは気が引けたが、この状況では仕方ない。リゼットを抱えたジスランが部屋の中へ入ると、メイドはすぐさま扉を閉めた。熱があるリゼットは寒いだろうから閉めたのならいいが、余計な気を回してのことだったらどうしようかと少しだけ思った。


 ベッドに膝を載せ、身を乗り出しながらリゼットを下ろす。リゼットの首の後ろから腕を抜こうとすると、リゼットが呻いた。ギクリとして動きを止めると、リゼットがうっすら目を開けた。何もこの体勢の時に気がつかなくてもよいものをと、少し疚しい。


 けれど、リゼットは寒いのか震え出した。目は開けているけれど、虚ろで何も見ていない。これは熱が高いのかもしれない。苦しいのか、リゼットはポロポロと涙を流した。

 自分のせいかと思うと、どうしようもなく心苦しい。ジスランはその涙を指で拭った。


「リゼット、すまない」


 こんなことになるとは思わなかった。風邪をひくとしても自分だけだと、馬鹿なことをした。

 反省した顔をしてみたところで、リゼットの目には入っていない。

 リゼットは、泣きながらかすれた声でつぶやいた。


「怖い」

「え?」

「いや……」


 そう言って、首を振る。髪が乱れて、くくっていたリボンが取れた。

 リゼットは夢を見ているのか。悪夢にうなされているように見えた。


「大丈夫だ。何も怖いことはない」


 精一杯、柔らかな声を出して髪を撫でた。リゼットの髪は艶やかで綺麗だと思っていたけれど、触れると絹糸のような手触りだった。それが心地よいと思って、しかしそれではジスランの方が触りたくて触ったようだと打ち消す。


 リゼットは、ヒクッと一度しゃくり上げると、それでも安心したのか小さな寝息を立てた。ようやく、リゼットの下から腕を抜いたけれど、頭を撫でる手は止めなかった。


 ――リゼットは、まだまだ何気ない日常を送ることすら難しいほどに心が疲れきっている。

 そのことを改めて思った。


 アダンの仕打ちがそれほどにひどかったのだろう。昔の仲間を恨むことで心を保っているのだとしたら、安易に復讐など馬鹿げていると否定してはいけないのだ。


 それしかリゼットを支えるものがない。復讐を忘れさせようとするのなら、それに代わる何かをリゼットが見つけなければならない。


「どうしたらいいのだろうな……」


 なんとなくそうつぶやいた。

 しかし、答えが降ってくることはなかった。

 

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