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逆襲の花嫁  作者: 五十鈴 りく


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21/52

✤21

 リゼットは、またこの屋敷を出ていく機会を失ってしまった。

 まさかジスランまでもがまだいればいいと言ってくれるとは思わなかったのだ。ありがたいけれど、このままでは本当に外へ出た時に何もできなくなる。


 二人は優しいから、つらい目に遭ったリゼットを甘やかしてくれる。それでも、それで一生生きていけるわけではないのだから、一人でなんとか生きられるようにならないといけない。強い自分にならないと、復讐もままならない。


 そのところが、恵まれている二人にはもしかするとわからないのかもしれなかった。



 この翌日、ロジーナは婚礼のための仕立て屋との打ち合わせがあり、リゼットにばかり構っているわけにはいかなかった。リゼットはその間、犬たちと散歩をすると言ってある。

 これはこれで、リゼットにとっては楽しい時間なのだ。

 しかし、そこに思わぬ邪魔が入った。


「リゼットさん、お客様が訪ねていらしたのですが……」


 メイドの一人、ラシェルがそう声をかけてきた。

 最初、ロジーナの客人だからという理由から、『リゼット様』と呼びかけてきたので、それはやめてほしいと頼んでやっとのこと『リゼットさん』と呼んでもらえるようになった。

 ラシェルはリゼットよりも十五歳ほど年上だというし、呼び捨てでもいいくらいなのに。


 ラシェルは穏やかな顔立ちの優しい人だ。生まれも育ちもエストレ地方で、両親は町で宿屋を営んでいるという。ちなみに、夫はこの屋敷の庭師である。


「お客様ですか? 私に?」


 ここにリゼットがいることを知っている人はそう多くない。それにしても、リゼットに用がある人がいるとも思えなかった。


「ええ、まだ若い男性です。シャリエ・コンスタンさんと名乗られましたが」


 シャリエ。

 サンテールの屋敷で御者をしていた青年だ。寡黙だが、仕事はいつも的確で、主人からの信頼も厚かった。


 御者は使用人たちの中で扱いが違う。メイドたちに比べれば格段大切にされているのだ。そんなだから、他の使用人たちに偉ぶったり態度の悪い御者も要る中、シャリエはそうした傲慢なところはなかった。ただ淡々と職務をこなしていた。


 だから、あまり口を利いたことはなかったかもしれない。

 それでも、浮ついたところのないシャリエをリゼットなりに仕事のできる人だと評価していた。シャリエに憧れているメイドもいたようだった。

 それで――そのシャリエが何故このエストレ地方にいるのだろうか。しかも、このクララック邸に。


 彼の名を騙る偽物だろうか。そんなことをする理由がわからないけれど。

 もし本物だとするのなら、一体何をしに来たのだろうと考えると余計にわからない。

 アダンのところから無事に逃れたリゼットになんの用があると。

 皆でリゼットを陥れたことを謝罪に来たというのなら、そんなものは受け取らない。


 リゼットの中でまた沸々と怒りが湧いてくる。

 このまま会わずにやり過ごすべきかと思ったが、それではリゼットの気持ちが収まらない。どういうつもりかだけでも話を聞こう。

 メロディからの伝言でも携えていたのなら、暴言を吐いてしまうかもしれないけれど。


「……会います」


 リゼットは薄暗い目をして答えた。

 知り合いが訪ねてきたにしては、あまり嬉しそうには見えなかっただろう。


 しかし、この屋敷において、主の許可もなく他人を通すわけにはいかない。シャリエが通されることはなく、リゼットの方がシャリエが待つ外へと向かうのだった。

 ラシェルはリゼットを心配そうに送り出した。きっと、ジスランかロジーナに報告している気がする。

 話は手短に終えたい。



 開いた扉の前の階段に立っていたのは、リゼットの知る青年だった。ただ、いつもの御者の制服ではなく、ごく普通のシャツとパンツそれにキャスケットを被っている。


 シャリエは落ち着いた目をリゼットに向けていた。その目からは感情が読み取れない。シャリエはいつもそうだった。


 だから、リゼットも自然と身構える。

 無言のままシャリエを睨みつけるリゼットに、シャリエは嘆息した。


「無事でよかった」


 無事でよかったとは、今さら何を言う。

 我が身可愛さに皆でリゼットを嵌めたくせに。

 やはり、シャリエは謝罪に来たのか。


 リゼットはカッと頭に血が上るのを感じつつ、それを押しとどめるのに必死だった。感情が昂りすぎて震えが止まらない。それをシャリエはどう解釈したものか、一歩前に出た。


「……あの日、俺は呼ばれなかった。知っていたら、何をしてでも止めた」


 そこでハッと瞠目した。

 そう言われてみると、あの時、送別会と称した場にシャリエはいなかったかもしれない。寡黙だからいてもわからなかっただけかと思ったけれど、顔は見ていない。


 シャリエは声をかけられなかった。卑劣なことが嫌いで、それを声に出したところでシャリエは皆から虐げられるような立場にはなかった。相手が誰であれ、リゼットに対する仕打ちに目を瞑らなかったかもしれない。

 それならば、シャリエだけは敵ではないと言えるのだろうか。


 急なことで、リゼットの感情に整理がつかない。頭が考えることを拒んでいる。

 シャリエが関わっていないとして、だからなんだというのか。メロディたちに対する恨みはそれでも消えないし、薄れない。


 ひと言も口を利かないリゼットに、シャリエはどこか憐れむような目を向けた。かと思うと、急にリゼットの手首をつかんだ。驚いてとっさに振りほどこうとしたけれど、強い力が込められている。

 シャリエは静かに、それでも重みのある声で言った。


「屋敷を辞めてきた」

「えっ?」


 思わず声を漏らした。シャリエはそのまま続ける。


「皆からリゼットがいなくなった理由を聞き出したんだ。それで、皆がリゼットに何をしたのかも知った。それなのに、今まで通りあそこで働きたいとは思わない」


 もう少し早くにシャリエが事情を知っていたら、もしかするとアダンのところに囚われる前に救い出してくれたのだろうか。

 アダンは執念深いから、逃れられたとも思えないけれど、それでもその気持ちがあれば少しはリゼットも心安らかにいられたかもしれない。


 けれど、すべて遅いのだ。

 リゼットの心には消えない憎しみが渦巻いている。


「そうね。あんなところで働いても、私みたいに捨てられるだけかもね」


 この後、シャリエがどうするつもりなのかは知らないけれど、シャリエなら自分一人くらい自分で面倒を見られるだろう。

 刺々しいリゼットを、シャリエは悲しそうに見つめた。手を放さないまま、むしろ力を込めて言う。


「リゼット、迎えに来たんだ」


 最初、シャリエが何を言おうとしているのかをリゼットは理解できなかった。だから呆然としてしまった。

 それでも、シャリエは続ける。


「いつまでもここにいるわけにはいかないだろ? だから、一緒に行こう」

「……どこへ?」

「それはこれから考える」


 いつまでもロジーナやジスランの厚意に甘えていられないのは事実だ。けれど、だからといってシャリエに甘えられない。それをする理由がない。

 関わりのない二人が当てのない旅に二人で出るのも変だ。


 何を言っているんだろうという目を向けたせいか、シャリエはこの時になって初めて照れたようにして目を背けた。


「ずっと、リゼットのことを見ていた。いつも人一倍一生懸命に働いていたから。それで、旦那様の許しがもらえたら、リゼットと結婚したいと思ってた。それが――」


 と言葉を濁す。

 リゼットは開いた口が塞がらなかった。

 寡黙で何を考えているかわかりづらいシャリエがそんなことを考えていたとは。


 だからこそ、屋敷を辞めたのか。もしかして、リゼットが気づかなかっただけで、他の皆はそれを知っていて、それであの送別会にシャリエを呼ばなかったという可能性もある。

 けれど、リゼットは――。


 シャリエをそういう目で見たことがなかった。何を考えているのかよくわからない人だと、そんなふうにしか思っていなかった。真面目で仕事ができるから敬意は払っていたけれど、配偶者になる可能性は考えてみたこともない。


 だから、本当に唖然とするばかりである。

 そんなリゼットの反応に、シャリエは気づいていないのだろうか。マイペースに話を進める。


「リゼットのことは養えるように頑張る。嫌な思いをしただろうから、そのことは何も訊かない。嫌なことは忘れて一緒に暮らそう」


 嫌なことは忘れて、と簡単に言ってほしくはない。そんな簡単に忘れられるのなら、とっくに忘れている。

 その無神経なひと言に、リゼットはシャリエの手を振り払おうとしながら声を荒らげた。


「嫌な思い? したわよ、そりゃあね。メロディたちがあたしを売り渡したことを一生忘れない。友達だって信じてたのに、あっさり裏切って――それを忘れろっていうの? 嫌よ。絶対に復讐してやるんだって決めたんだから。あの子たちがあたしが嫌な思いをした何倍も不幸になればいいのよ」


 これは呪いの言葉だ。

 彼女たちが、リゼットは馬鹿だと嘲り笑った分だけ不幸になればいい。

 ただ、こんなことを口にする自分自身を好きになれるはずがない。人を呪えば自分もそれ相応に汚れていく。


 リゼットには幸せになってほしいとロジーナは言ってくれるけれど、どうしたら幸せになれるのか、それがそもそもわからない。

 だから結局、リゼットは復讐によって得られるカタルシスだけを追ってしまうのかもしれない。


 こんなことを聞かされても、シャリエはリゼットを軽蔑しなかったのだろうか。つかんでいる手をさらに引き寄せた。


「リゼット、もういいから。ごめんな、助けてやれなくて――」


 シャリエが謝るのは傲慢だ。善意とは違う。リゼットにとってシャリエは特別な存在ではないのに、自分が悪かったようにして振る舞うのは違う。

 そこにも腹が立って、リゼットはシャリエの胸を押して抵抗した。


「やめてよ。もう帰って!」


 涙が滲むのは、いろんな感情が入り乱れて整理がつかないからだ。

 シャリエが悪いとは思わない。

 それでも、無神経ではある。少しも愛しくはない。

 リゼットの方が人として欠けているから、誰も受け入れられないのかもしれない。


 リゼットはきっと、誰のことも好きにはならない。多分、なれない。


 ――この時、リゼットは自分のことに精一杯で周りが見えていなかった。

 すぐそばまでジスランとロジーナが来ていることにも気づけなかった。シャリエがリゼットをつかむ手を緩めたのは、二人に気づいたからだった。


 ハッとして二人に顔を向けると、二人とも神妙な面持ちだった。特にロジーナが悲しそうに見えたのは、リゼットが復讐などと口走ったのを聞いてしまったからだろうか。

 この二人には、リゼットが復讐心を持つことを知られたくはなかった。この醜い感情をさらけ出すことになったのは、やはり人を呪えば我が身に返るということだ。


 リゼットは緩んだシャリエの手を振り払うと、その場から逃げ出した。


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