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✤2

 ここを辞めるとなると、メロディたちともお別れだ。それは寂しいけれど、アダンに嫁いでも自由はなくなるのだから同じことだ。メロディたちにかしずかれることになるのは苦痛でしかない。


 仕事を終えた後、就寝前に板張りの床に膝を突いていつまでもガサゴソと動いているリゼットに、同室のメロディは首を傾げた。


「まだ寝ないの?」


 ベッドに潜りながらメロディは軽く体を起こす。


「ごめんね、うるさくして。悪いんだけど、もうちょっとだけ……」


 すると、メロディはシーツをめくり、足をそろえて下ろすと、ベッドの縁に座った。


「どうしたの? リゼット、ちょっと変だよ? またメイド長に何か言われたの?」


 言われたのは間違いないが、今までとは質が違う。何かの嫌がらせか冗談であってくれたらいいのに。

 門前でロッセル夫人に呼び止められていなかったら嘘かもしれないと思えたかもしれないけれど、メイド長が言ったことは本当だと信じられた。嬉しくはないとしても。

 メロディにはちゃんと話しておくべきだろうか。


「実は――」


 ことの顛末を語ると、メロディは口元を押さえて肩を震わせた。


「リ、リゼット、貴族様になるの? それでここも辞めちゃうんだ……」

「嫌だもん。あんな人のところには行かない。そうすると、ここを辞めて別のところへ行くしかないの。メロディとは別れたくないけど、ごめんね」


 少しどんくさい彼女だ。フォローしてくれる人がいなくなるとメイド長からいびられるかもしれない。それが心配ではある。

 庭師のジョスに頼んでおこうか。ジョスは多分、メロディのことが好きだから、様子がおかしかったら気にしてくれるはずだ。


「いつ、出て行くの?」


 不安げなメロディに、リゼットは苦笑した。


「うん、もたもたしてると逃げ遅れるから、明後日には」


 すると、メロディはリゼットのそばに駆け寄ると、無言のままにギュッと抱きついてきた。薄い寝間着から彼女の体温が伝わってくる。


「ごめんね」


 ごめんとしか言えなかったけれど、悪いのはリゼットなのだろうか。

 リゼットは悪いことをしたつもりはないのだ。ただ、嫌な相手に目をつけられただけで逃げなくてはならない。悪いのは、アダンだ。

 リゼットもアダンのにやけた顔を思い出し、ブルリと身震いした。



     ✤



 そうして、荷造りを終えた。もともと荷物と呼べるほどのものはない。普段着と余所行きが一着ずつと下着や靴下程度だ。

 メイド長はリゼットが逃げるほど嫌がっているとは思っていないらしく、至って普通であった。メロディ以外の皆も何も知らないので普通だ。だから、リゼットも普段通りに振る舞わなくてはならない。


 屋敷を出るのは早朝にしようと思っている。夜では町を巡回する自警団に保護されて連れ戻されそうだ。

 ごく普通に仕事を終えた。食事を取って風呂に行き、眠ればここでの生活は終わる。

 三年は長かったのか、短かったのか。よくわからない。



 食堂へ行くと、いつもなら手が空いた者から食べているのに、その日は皆がただ座っていた。リゼットの姿を認めたメロディが、笑顔でリゼットの手を引いてテーブルの中心へと誘う。


「な、何?」


 リゼットを座らせ、メロディは後ろからリゼットの肩に手を載せた。


「ごめんね、皆に話しちゃった。それで、皆でこっそりとリゼットのお別れ会をしようって話になったの」


 お別れ会と。

 皆がリゼットに目を向け、にこやかに笑っている。


「お前、貴族の求婚を突っぱねて逃げるんだってな? やるじゃねぇか」


 そんなふうに言いながら、シェフはいつもよりも形の残った牛肉の煮込みを目の前に置いてくれた。今まで食べてきたものは豆の方が断然多かったのに。


「ちょっとだけワインもくすねてきた」

「いいね、あたしは町でオレンジをオマケしてもらったの」

「ほら、パウンドケーキだ。きれっぱしじゃない、ちゃんとしたところだぞ。ちょっと薄いかもしれねぇけど」


 皆が口々に言い、リゼットに差し出してくれる。

 後輩のナディアは、リボンを差し出してくれた。子供みたいに小さくて大人しい娘だ。


「私はこんなものしか買えませんでしたけど、もらってください」


 目に涙を溜めて言うから、リゼットまで泣きたくなった。


「うん、ありがとう。大事に使わせてもらうね」


 メイド長のことは好きではなかったけれど、他の人たちは家族のようなものだった。離れるのはやはり寂しい。できればここにいたかった。


「さ、食えよ。料理が冷めちまう」

「はい、いたただきます」


 あんまり騒いでメイド長に見つかると大変だ。皆に迷惑がかかってしまう。

 リゼットは、皆からの精一杯の厚意を噛み締めた。


「今までで食べた中で一番美味しい」

「そりゃあよかった。ワインも合うだろうよ」


 ワインはあまり飲んだこともないけれど、断るのも申し訳ない。口をつける程度でいきなり酔ったりはしないだろう。

 リゼットは舐めるようにチビリとワインを口に含んだ。渋いし、えぐい。ワインの味の良さはよくわからなかった。パウンドケーキにはドライフルーツやナッツがたくさん入っていて、ブランデーが染み込んでいる。こっちの方が好きなリゼットはまだまだお子様だったかもしれない。


 フワフワのパン、フルーツ、たくさん食べた。

 皆が次から次へと勧めてくれる。

 疲れてもいたし、満腹になったせいか、眠気が抑えられなくて、リゼットは舟をこぎ始めた。かっくり、と前に倒れ込みそうになった時、隣にいたメロディが料理の皿をさげてくれた。


「リゼット?」


 テーブルの上がすっきりしたところで、リゼットはそのままテーブルに突っ伏してしまった。


「リゼットってば」


 メロディが肩を揺する。聞こえているけれど、返事ができない。意識が朦朧とする。

 ワインがいけなかったのかもしれない。ひと口ですら合わない。

 しかし、その時、誰かの声がはっきりと聞こえた。


「ほら、ワインじゃなくてパウンドケーキにしておいてよかっただろ?」

「ワインの方が一気に飲むと思ったんだけどなぁ」

「まあ、どっちだっていいじゃねぇか。早く運ぼうぜ」


 何を言っているのか、よくわからない。リゼットはすでに眠りに落ちていて、これは夢なのだろうか。


「気をつけて運べよ。傷つけたら俺たちの首も飛ぶぞ」

「へいへい。しっかし、リゼットも災難だよなぁ。可哀想だけど、逃がしたら俺たちのせいだって、三ヶ月も無給にするとか言いやがる。三ヶ月も給金をもらえなかったら干上がっちまうってのによ」

「リゼットはさ、これから貴族の嫁になるんだ。最初は嫌がってても、そのうちよかったって思うようになるさ。なんせ、贅沢三昧だろ」

「でも、アダン様の前の奥方って……」

「え? 失踪したんだろ」

「身寄りがなかったし、男と逃げたとか言ってたけど、見つからずじまいだってな」

「……」

「……」

「リゼットなら大丈夫よ。そのうちに慣れて、私たちに男爵夫人と呼びなさいとか言ってくるくらいには逞しい娘なんだから」


 あは、と笑いながら言ったのはメロディの声だった。


 ――これは、悪夢だろうか。


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